2009年11月06日

自己の確立

人は何のために生きているのか、といった疑問に答えられる人はいるでしょうか、
 
食べるために生きているのか、生きていくために食べるのか、だからそのために経済が必要なのか
 
暮らしていくために、確かに経済は重要ですが、経済だけを追い求めていった結果が現代の様相のような
きがしています。人生のための経済か経済のための人生か・・・
 
多くの企業が「リストラ」という名の首切りを行っていますが、そこには労働者=消費者 という構図を忘れているわけで
ますます市場が冷え込むことになることを「為政者」は知らなくてはなりません
 
今年も又昨年同様派遣ぎりが行われるのでしょうか、
 
さて、では何のために人は生きているのでしょうか?
いよいよ、人はパンのみで生きるのではなく神の言葉と共に生きるのである。というイエスの言葉をおもわなければ
なりません。
 
人生の目的と使命をしるために人生があるということを知ることが大切なんでしょう。
 
人々と手を取り合って生きていくことを・・・そして、自分の心を見つめ自己の確立・・・己の個性を磨き多くの人々の
お役に立つべく日々の努力を続けていきたいと思います。
 
 
posted by 筆文字や隆庵 at 11:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

心の響

信仰するということはなにも特定の宗教を信ずるという意味ではなく、綿密にいえばだれもが何かを信仰しているのです。
 
神や仏もないという人は無神論という概念の信仰者であって、たぶんその人は金か、肉体か、所属している会社、家庭などを信じているのであろう。
たとえば、行動という言葉の意味するところは、何も動くという意味ではなく、「動かない」という行動をしているのです。
 
結果はある行動という原因から、相応に現れるものであるから、何もしないという行動からは何もできなかった、という結果が生じるのです。
一方、何もしないという行動を起こすということは、関連している他からの影響下に入るので、自力ではない結果がついて回るのです。
 
posted by 筆文字や隆庵 at 12:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

秋の到来

一番過ごしやすい季節の到来です。人間として最低限守らなければならないことをいま考えています。
 
仕事の中でも、お金のためだけに働くのではなく、多くの人々に喜んでもらいたい・・という 思いの人が幸せになっていくようです。
多くの人々にお役に立とうという、心構えを忘れてはいけないのです。
 
自分さえ儲かればいいといった風潮からか、いつのまに「子育て」がコストになってしまいました。
 
コストというと、経費のことであり、人生を経営するといった意味からは、低い方がいいわけでその分自分の利益がふえるっていうことなんでしょうか
 
情けない時代になったもんですね
 
子供はものではないことを知らなければなりません・・・・・こんな当たり前のことをいわなきゃならんことが悲しい
 
posted by 筆文字や隆庵 at 17:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月27日

四諦八正道

ごくごく当り前の話あるが、人が生きているということはいずれ死ぬことになるということに早く気がつくことが大切である。
いかなる努力のかいもなく、必然として我々の前に現れるのであるから・・・
 
だから、思い煩うことすら無駄な思考でありそのことに対して考えるというエネルギーの浪費であるとおもう。
 
釈尊は生老病死に対して諦めましょうとおっしゃっている。生まれてきた以上老いたくないと思っても年はとるし、病気をしたくないとし思っても病気をするし、死にたくないと思ってもいずれ人は死ぬのであるから、この四つの状態に関しては諦めましょうと「四諦」という言葉が残っている。
 
しかし、そのあと人は、八つの正しい道を歩めば、「生老病死」の悩みから解放されるとおっしゃっているのです。「八正道」こそが釈尊の教えなのであって、我々の人生の中に燦然として光明として存在しているのである。
 
我々が人生という旅を通して、学ぶべきことを学び、なすべきことをなすための指針として、「八正道」に沿って今日一日を生きよう。
 
 
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2009年10月22日

言葉は正しく

言葉は今の自分を表し、未来の自分を作る・・・常日頃どんな言葉づかいをしているのか、そのことによって運命が左右されるということを知っている人は少ない。言葉に魂が乗っていくことを昔の人は「言霊」といった。
 
荒々しい言葉、野卑で下品な言葉、悪口雑言等の言葉は、人を傷つけ「循環の法則」によってまわりまわって自らを傷つけていくということを知らなくてはならない。
 
他をいつくしむ愛ある言葉は、人を幸せにし、自らを幸せにする。
 
言葉には二種類ある。 一つは、想念として心の中にあるだけで、まだ口には言葉とならない言葉、言葉の思い。
一つは、口に発する音声としての耳に聞こえてくる言葉。
 
心に相手の幸せを思い、口に相手の心を調和させ、相手を発奮させる言葉を発すること。
 
心の中ではそう思ってなくても、口先だけでうまいことをいうお世辞が、相手に不愉快の思いを起こさせるのは、その思っている心の波動が伝わっていくからである。
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posted by 筆文字や隆庵 at 11:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

輪廻

仏教の言葉に輪廻という言葉がある。輪廻とは字のとおりまわってくるということなのだが・・・インドでは人の魂は不滅で何度もこの世に生まれては死に又生まれては死にを繰り返しながら苦界をさまようとあり、だから肉体行にて悟りを開き、苦しい輪廻からのがれたいと思うところからか、ガンジス河に様々な修行僧があつまり、さながらお祭りの様になっている。
 
はたして、正しい行為なのか・・・以下「如是我聞」
 
熊澤良信  著  「考えよう いま一度 もう一度 」 より抜粋
 
循環
 
それぞれの客は偉大な智慧を貯えながらそれぞれの館に眠る
数億分の一精子といっこの卵子この出会いの瞬間
これを神と名付けよう
日時がたつにつれ神と悪魔の合宿所となる。
大きな使命を持った客は合宿所という館で修業の道へ旅立ちをする
途中ふと考える
この旅は  いつまで続くのかと・・・
(死んで終わりなら気楽なのに)
それぞれの客が逃避できない修業の旅は果てしなく続き
終わりのない旅となる。
旅の途中 よき友を得て楽しい旅となり
行き先で よき環境にめぐり合い
旅の意義を知る。
 
何度となく繰り返す旅
その都度初めての旅の様に思う
それぞれの客は循環の法則の中にいきる。
 
 
注・・それぞれの客は私たちの心 合宿所という館は私たちの肉体 何度となく繰り返すとは生まれ変わるということ
   そして、循環の法則こそが輪廻ということ
   般若心経の一文 「色即是空、空即是色」 色はこの世のこと空はあの世のこと この世とあの世と輪廻していくこと・・・
   輪廻しながら私たちの心を大きくしていかなければならない・・・これが天の意思なのだ
 
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posted by 筆文字や隆庵 at 14:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月08日

自尊

自らが尊い存在であることをまず認識したい。その尊い自分が思ったり行ったりする中で数々の過ちを犯す理由は何かを日々熟慮しその原因を知りその原因をとり除かなければならない。
 
本来の自分が尊くなければ、過ちを犯すのは当然のこととなるので、ひたすら悪の原因を取り除こうとする必要はない。なぜなら悪を犯すことが当然であるからである。
 
自らが尊い善なるものであるからこそ悪を犯す時に心が安らがないのである。
なぜ、悪を犯すとだめなのだろうか・・・それは、天との約束である心の平和を乱すからである。悪はすべて、自分さえよければいいといった想いや行為が生み出すものであるから調和を乱し、まわりまわって自らの尊厳を傷つけていくものである。
 
自尊は決して高慢な思いではなく、自らを冷静に見つめるために必要なことである。
 
正しい思考の必要性がここにある。
 
posted by 筆文字や隆庵 at 10:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

心の響

今しなければならないことを後回しにしているとき、心は落ち着かない。日毎 多くの問題が立ちはだかるように思う私たちはこの問題を解決するたびに成長していくのだが・・・
ついついその問題から逃避をしてしまう
逃げても逃げても解決しなければならない問題は、必ず自分の前に起こる・・・この問題こそ天の贈り物であることを信じ、感謝しなければならない。
問題こそが私たちの成長を促す
問題こそが私たちの成功への道しるべ
だから、感謝して解決のための行動を起こそう。
今こそ・・・
posted by 筆文字や隆庵 at 10:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

邂逅

邂逅・・・思いがけず懐かしき友と出会う。webの存在の縁で32年ぶりに親友と出会う。それぞれの人生のある時々の決断は、われわれの間に隔たりを設定しそれぞれの道をそれぞれで歩むこととなった。
懐かしき友よ、お互い風体は変われど、心は変わらず とにかくここまで生きてきたものだと感慨にふける。
わずかの時間なれどその年月の空白は、またたく間に埋まり 当時の出来事に想いを馳せタイムスリップを体感する。
 
懐かしき友よ、これからもまた歩みをとどめず、人生を楽しもう。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

約束

約束事について、
私たちは人間として生きていく以上たくさんの約束事を守っていかなければならない。その約束事とは、正しいことを勇気をもって実践し助け合い、補い合い、許しあい、善なるものを生かし相手のためになることをする。それが自己を確立することであり、心の安らぎを得ることと約束している。そして、平和な社会を作ることを約束している。
そのために常に感謝と反省は忘れないと固く約束している。
 
あらゆる事柄に対して自己中心の心が出て来ると、約束破りということになり苦悩という芽がうまれ文字通り苦悩の人生を歩むことになる。
常に他者をいたわり、他者の喜びや幸せを思う心は、自己の心の安らぎから成功への楽しい人生が拓けてくるのである。
 
仕事の選択にしても、自分のためにという心構えだと長続きしないが、多くの人たちへのお役立ちのためにとおもうと楽しく長続きするものである。
自分との約束事は、天との約束事と同じ意味をもつのである。
posted by 筆文字や隆庵 at 14:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

今日を生きる

今日の日は、今日しかないのであるから一生懸命今を生きることが必要である。昨日はすでになく明日はまた来ていない。だから今を真剣に生きていきたいと思うのである。

 

空を飛ぶ鳥を見よ、野に咲く花を見よ、明日のことを思い煩うな明日は明日自身が思い煩うであろう。

本来は豊かな心であるはずの私たちを邪魔しているのは、私たちの現在意識から入ってくるマイナスの情報である。だから、心が暗くなるような悪い情報は意識的に排除していかなければならない。

 

怒り、愚痴、不平不満、貪欲、くよくよ、疑い、優柔不断、ねたみ、とり越し苦労などの想いが、自分自信を傷つけているということを知らなければならない。これらの心は自分さえよければいいといった誤った考え。他人に対して慈悲と愛の心で接することが、正しい生き方であることを心に命じていきたいものです。

 


 

 
posted by 筆文字や隆庵 at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

心がすべての元

人生の目的と使命について、考える。人はどこから来て何をなしどこに向かっていくのかを知ることが目的であり使命である。つまり人生の目的を知るために生まれてきているものと言えよう。
自然の法則の中で生きている私たちは、そのサイクルから一歩もはずれず調和の中で生きている。
だから、自然に生きていることこそが、幸福への第一歩であると思う。
 
聖書の言葉・・・・キリストはなんと言っているのか
 
(マルコ伝  福音書第四章 26節〜28節)
 
イエスまた言い給う。神の国は、ある人、種子を地に播くが如し、日夜起臥するほどに種子、生えいで゛て育てども、人はその故を知らず、地はおのずから実を結ぶなり。
 
よき種子をまく人なれ  
現在意識は種子であり、潜在意識は大地である。潜在意識は種子を選別しない。播かれる種子がよい種子であろうとも悪い種子であろうとも、はたまた雑草の種子であろうとも、意識無意識関係なくすべて芽を出し、育て上げ、それを生活体験として顕現させるのである。
 
だから、幸福になろうと思うならば、良い種子を播くということを意識的に行う必要がある。同様なことを釈尊は「因縁」と言っている。
 
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posted by 筆文字や隆庵 at 11:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

ひびき

日一日と、時は流れ無為無策のまま通り過ぎていこうとしている。今生きていることに感謝し、その感謝の意を報恩という形にしなくてはならない。ただただ天に恥じることのない生き方を模索しながらも、山に籠ることもできず、じっと熟慮する時間さえ、あわただしい世界の中に埋没する。
夏の暑さが例年ほどではないものの、年を重ねてきたせいか少しばてているようだ。 
 
だから、今日一日だけは、詩人となって心を大空へ解放してみよう・・・・・
 天に問う、我の使命とはなんぞ・・・・内なる心に問う、自己の確立とはなんぞ・・・・日々の生命が輝かしいものであるために野の草花に君の使命はなんぞと問うてみよう・・・
そこに、答えが存在する。  天の答えと内なる答えが響き共鳴すること、「鳴るほど・・・なるほど」という
 
 
posted by 筆文字や隆庵 at 11:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

人間学を学ぶ

多忙な時期がようやく過ぎ、しばしの心の休暇がわずかながらの日数を費やすことができます。気がつけば5月半ば、新緑の季節が目を休ませてくれているようです。
読書の時間に「安岡正篤師」 人間学を開いてみました。学ぶこと多いものです。
人間学の二条件・・・徳慧(とくけい)の学問、即ち広い意味においての道徳的学問、人格学、これを総括して「人間学」というならば、この学問が盛んにならなければ本当の文化は起こらない。民族や国家も栄えない。というのである。
師は学問を二つに分けていられる。ひとつは「知識の学問」もう一つは「智慧の学問」である。前者は機械的知識をいい、後者は経験を積み、思索反省を重ね、人徳を練る中から湧き出てきたもので、体験の中からにじみ出てきたもっと直観的な、人格的な学問のことを言う
 
・・・・機械的な学問は、極論すれば物質のみの世界であり、まずものありきから始まるが、人格を磨く学問からは心の偉大性から発し、物質は心を磨くための道具や手段としてとらえるのである。
 
こうしたことを学ぶにつけ、昨今の日本人の体たらくさを遺憾に思う次第である。GW期間における高速料金1000円に殺到する誇りなき行為や、金さえばらまけば経済が活性化するとうそぶく政治家、友達感覚で指導しなければならない学校の教師、無責任なマスコミなどなど数え上げればきりがない始末である。
「矜持」不在の国民にならないよう、人間学を学びたいと思うのであります。
posted by 筆文字や隆庵 at 15:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月26日

桜の時

季節がいくつ訪ねてきたのだろう、おそらく生きてきた年の数だけ・・・・56才の4倍  四季が訪れてきているはず
 
季節はいつも定期的に訪れるものです。今年もそろそろ春、いやもう春か? するとすぐに初夏が訪ねてくる、風が薫る頃大地は緑におおわれやがて夏の到来・・・球児達のさわやかなたたかいと地元のフアンの歓声が終わると、ちょっぴりさびしい秋の風が流れ、茜色が空を覆う、きんもくせいの香りが辺りを席捲する。  そんな頃、また冬が訪れ、年末年始、一年の始まり・・・・などと毎年の循環
 
何度目かの正月、そして今の今 桜の時花の乱舞・・・うつくしきかな
 
時の流れにただ感謝の今日
posted by 筆文字や隆庵 at 21:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする