2018年10月03日

役割、個性 調和

 太陽系は太陽を中心として九つの惑星と三十二の衛星が整然と歩調を揃え、決して気ままな行動をとることをしない。
これと同じように、人にはそれぞれ器というものがある。人はその器に従って今世での役割を果たしていくのである。

 人間の五体が五体として成立するには各諸器官の有機的な機能が必要である。
それぞれが自己主張し、手足が頭に、頭が腕になりたいと望めばどういうことになるであろうか。
五体はバラバラになり、人間は一日として生存することが出来ないではないか。

 世の中の人々の中には、自分の事しか考えない人、あるいは常に天下国家の事を考えている人がいる・・というのがそれぞれの器ということである。

 また、実によく真面目に働く人がいる。よく働くというのでその人を何人かの長にするとさっぱりダメで人をまとめて仕事をさせることが出来ないという人がいる。そういうことも器である。

 慈悲とか愛という点でも、自分の事となるとおろおろして何かするのに、隣に病人があり困った人があっても知らん顔をしている人がある。
また、自分の事はさておいて人の事に一生懸命になる人がある。

 そういった個性は過去世からの業もあれば今世での周囲の環境、教育 思想 習慣から身についたものもあろう。しかしながらすべての現象は
単独で発生するものではなく相衣性、お互いさまということで成り立っていることを知らなくてはならないのである。

 宇宙の運動や自然の循環を見れば理解できるのである。
 人には個性があり器があり、当然向上心があるわけだから今世にて高い心を持つことが出来るように精進することが目的であって
 達成できなければ来世でまた努力をすればいいのである。

わたし達の使命は永遠の向上を目指すところから始まるのである。

  「広大なる宇宙体は万象万物の根元にして万象万物相互の作用により転生輪廻の法に従う」
posted by 筆文字や隆庵 at 11:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月01日

善なるものこそ人の本質

人間の潜在意識の底の底には善なるもののみが存在しているのです。

 善なるものであるからこそ悪事を働くと心が痛いのであります。また善なるものの積極的な顕現に
 失敗しているだけの事であり、元々の素直な心の顕現を心掛けていかなければならないのであり
 その為には普段の修養が大事であるという事です。

 

posted by 筆文字や隆庵 at 09:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月10日

潜在意識の説明

 光明思想家による潜在意識の理論について次のように言っている。

 1. 潜在意識は大いなる智慧を持っている。非常に複雑な身体の生理作用、機能を一点の間違いもなくこれを統一し

   活動させている。現在意識は潜在意識がいつどのようにしてこのような働きをしつつあるか、それは知らない。

 2. 潜在意識は現在意識が与える命令をそのまま実現させる。潜在意識自ら善悪を選択する力はないから、良いものであろうと
   
   悪いものであろうとみんな実現させる。

 3. 潜在意識から感情が起こる。感情は人間の思想、欲求を実現させるための原動力である。強い感情をもったものはすぐ

   実現するし、強く思わないものは実現しにくいしその感情がよいものであろうと悪いものでも 愛の感情であろうと

   憎悪の感情であろうとなんでも実現しようとする。

 4. だから、農夫が常に雑草を抜いて手入れをするように 人間は現在意識によって感情の整理をする努力をしなければならない
  
   理由ががある。

   しかしこの説明の中では、人の生まれつきの性格、才能などの違い即ち個性はどうして生まれるのかは説明できていない。

   真の生命科学を知るならば

   生まれ変わり、死に変わりといった循環の法則が人間に働いていることを気づくことができる。

posted by 筆文字や隆庵 at 10:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月02日

心の畠を管理する

 もし、私たちの心の畠に雑草が生えどんどん伸びていくのに、農夫が何もせずにただみているだけであるならば
 、神はただ見ていられるだけで、農夫に代わって何かをされるということなどは全くされない、悪は常に農夫自らに
あるのである。
 農夫とは私たちの「現在意識」である。

 このことを知らないで、一所懸命に祈れば自分は何もしないでも神様のほうから何とかよいようにして下さるであろうと
考えているのが他力信仰の人たちである。

 真の信仰とはあくまでも自力であって「自らの知恵と行動」の結果として「自力の極に他力あり」という事になるのである。
「天は自らを助けるもの助く」は真理である。


posted by 筆文字や隆庵 at 10:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月11日

信仰の生活

承前

世の中において信仰していない人々が皆無であってすべての人が信仰に値するものを持っているとは以前書いた。
問題は、信仰する対象が一体何かということであって、その対象によって幸不幸が確実に顕れてきているのであり、その是非を自らが受け入れなければならないのだという事を知らなければならないのである。

わたし達が生きていく条件として宗教団体が必要なのでしょうか

わたし達が生きていく条件として必要なのは大自然の淡々とした営みであってその営みの循環こそが信仰に値する現象なのである。
この大自然の営みに感謝し、その大自然の摂理に沿って生きていくことか゜真の信仰生活といえるのである。

物質社会に於いても

心の社会に於いても 同じ自然の法則が働いている訳でその法則はどんな宗教団体に属しようが、神仏を信じようと信じまいと同じ現象が起きるのであるという事を知らなければならないのである。

○○会とか○○教とかいう存在は全く意味のないことであり自らの思ったことや行ってきた事こそが自分の存在でありその思ったことや行ったことが自然の法則に反していたり自然の法則に忠実であったりしたことが今の自分を作っているという事を認識し自らを省みる習慣を日常の生活に取り入れる事が真の信仰生活であると思う次第である。

自然の法則とは以下の事をいう

1. 原因と結果の法則・・・あまねく宇宙の法とは一つの原因に対して必ず結果としての現象が現れるわけであって善行には善果が悪行には
             悪果が現れるのであってその結果を軽んじ消滅せしめんとするには反省という心の掃除しかないのである。
             神は反省というチャンスをすべての人に与えているのである。
             キリスト教では懺悔といい仏教的には止観というのであるがもともとは教とかは関係ないのである
             すべての事には必ず原因があるという事を知ることが必要である。
             心の法則に当てはめると、愛すれば愛される憎めば憎まれるという事、イエスは汝を憎むものを愛せよと
             これ究極の神の意識であろう

2. 循環の法則   ・・・地球は自らが回転しながら太陽の周りを回転している、天体はすべて回転している春夏秋冬の四季があり水は液
             体、個体、水蒸気と三態をあらわしている、動物と植物の間には酸素と二酸化酸素の循環がある

             人は過去世があり現世があり来世があるという事を知らなければならない
             つまり、輪廻転生を積み重ねることによって自らの神性を磨くのである。


3. 波長共鳴の法則 ・・・類は類をもって集まる、ラジオやテレビは波長があってこそ見えたり聞こえたりする。同様に明るい心の人
             の所には明るい人が暗い心の人には暗い心の人が集まる
             「笑う門には福来る」「泣きっ面に蜂」とはこのことを言っているのである。

4. エネルギー不滅の法則・本来は一番先に述べなければならない法則であり霊が永遠不滅であることを知らなければならないのである。


             今私たちがここに命を営んでいるという事は過去世があり来世があるという事であって
             永遠という魂の旅の途中であることを認識しなければいけないのである
             また、それは一宗の話ではとうていなくてすべての人々に共通する宇宙の真理であることを
             知らなければならないのである
posted by 筆文字や隆庵 at 00:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月08日

宗教、信仰

 厳密にゆうと宗教を持たない人は皆無であってすべての人は宗教を持っていてすべての人は何らかの信仰をしているのである。
宗教団体というのは世界中にたくさんあり、それぞれの信者が自分たちの団体が正しいといい他の宗教団体は邪道だ外道だと排斥しようとする。
一方宗教団体ではない信仰集団がまた世界にはたくさんある。
経済というものを信仰している集団で金もうけや物質の獲得に血道を上げている信仰者たち。言葉は物質優先主義者とでもいえばいいのか
共産主義も自由主義もとどのつまり金銭的欲望を満たすことを第一優先としているわけで宗教団体の信者と大差がなく信仰の対象が神か金かのちがいだけである。

 このことが宗教を持たない人はいないという理由である。

 また、自分の先祖や家柄や地位や名誉を信仰している人も多いが結局経済や肉親や地所などが自慢の種である以上金銭的なものに執着しているといえるのではないか

 結局は自分以外の何かを信仰しているわけでそれが「物質的」か「非物質的」かに分けられるだけのことである。

 真の仏陀の教え真のイエスの教えに帰れというのはここがポイント

 彼らは宗教者であったか否か、否である ただ創造主である神を信じ神が創造した大宇宙と大宇宙の摂理を物質的人類に

 われわれ人類の生き方の方法を教えてくれているのである 仏教でも キリスト教でも なく イスラム教でもなく自然に生かされている
 ことに感謝することを教えてくれた先達者なのである



 
posted by 筆文字や隆庵 at 16:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

反省、懺悔 潜在意識に播かれた雑草を抜く

承前

 心の畠に播いてしまった悪の種子、はからずも播かれてしまった悪の種子は
 そういう雑草のようなものは抜いてしまわなければならないといっても、心の習慣性から
 また同じような種子を播くかもしれない

 その時はまた、種子を雑草を抜き、「もう二度とこのようなことはしないぞ」と神に誓い
 勇気をもって先に進めばいいのである。

 これらの失敗は魂が向上するための、欠かしてはならない、ならなかった一つの過程であったのであると
 感謝することが大事なのである

 だから

 反省、懺悔するたびに心が暗くなるようではいけないのであって
 反省、懺悔によって新たな人生への勇気が湧いてくるような反省、懺悔を
 しなければならないのである。

 イエス曰く
 「石地に播かれた種子は生えぬ、石ころの多い、土の少ないところに播かれた種子は
  芽を出ても根を張ることが出来ないのですぐ枯れる。肥沃な土地に播かれた種子は
  よく根をだし、葉をだし、よく稔る」と・・

 つまり、我の強い頑固な潤いのない心では芽が出ないということであり
 少しは、潤いがあっても、それでも我が強く頑固であると、結局は実を結ばせることは
 できない

 心は柔らかく、すなおであたたかでないと幸福になることはできないといわれたのである

 自分の心をどのようにするかは各人の責任である

posted by 筆文字や隆庵 at 17:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月04日

潜在意識、人間の心の畑

 承前

 潜在意識は田畑に似ている 田畑自身は自ら手入れはしない

 田畑は播かれた種子をそのまま発芽させ成長させるだけである。
 田畑に雑草が生えたからといって、田畑自身がその雑草を抜くことはない
 田畑は責められない

 手入れをするのは農夫の仕事である

 人間の心の畠には、世間の噂、中傷、マスコミによる誤った情報発信、
 果ては、間違った教育、宗教など間違った種子がまき散らされている。

 物事の真意を考慮することの不得手な人がなんと多いことか
 情報リテラシーの乏しい現代の人々を思う時、上記の思いが胸に迫る

 すでにマスコミの嘘はだんだんと暴かれてきているが、未だに報道しない自由
 を実施しているのであるがネット世界の発達によりテレビ、新聞、雑誌
 の内容も厳しい批判にさらされていくであろう

 いずれにしても、私たちは心の畠に入り込んだ間違った種子を手入れしなければ
 ならない

 幸福になりたいと思いながら不幸になった人は知らず知らず不幸の種子を自らの
 心の畠に播いているからである、

 だから、その種子が良い種子か悪い種子かを見極める智慧を働かせなけれはならない
 智慧を働かせるには物事の真偽を図るための知識を持たなければならないのである
 論理的思考を持たなければならないのである
 
 常々良い種子を播いて、悪い種子を播かないようにしなければいけない
 もし、選別を誤って、知らず知らずのうちに雑草の種子が生えてきたとしたら
 その雑草は抜いて捨てなければならないのである、人間的には懺悔であり反省であり
 企業経営であれば決算時における棚卸、不良在庫の処理なのである

 
posted by 筆文字や隆庵 at 09:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月01日

潜在意識と現在意識

 現在意識は種子であり潜在意識は大地である

潜在意識は種子を選別しない。まかれた種子がよい種子であっても悪い種子であっても
雑草の種子であっても、又 
その種子が意識して播かれたものであろうと無意識のうちに播かれたものであろうとすべて
芽をだし、育て上げ、それを生活体験として顕現させるのである。
日常の暮らしの中で例えば自動車を運転するときにいちいち手足に命令して動かそうとして
訓練を続けた結果、体が勝手に判断できるようになる。
この場合は現在意識で運転していたのが潜在意識に投げ込まれた技術が内面化し習い性になった
事を意味するのである。
心の働きも同様であり、どのような情報を現在意識が捉えているかが問題となる。


 運命がよくならない、不幸ばかりおきている人たちはその潜在意識の中にマイナスの
 考えや行為という種子を播いていた結果として顕現されているのであって、
 運命が好転している人は心の中にマイナス思考を持たず積極的に前向きに行為をしている
 ということなのであ。

物事がうまく運ばない人の特徴は、ものごとを何事も他人のせいにして自己中心的でわがままで
反省が出来ないこと

上手く物事を運ぶ人の特徴は、両親に感謝し仲間に感謝し、人様のお役に立つために為すべきことを知り
為すべきことを為しまた為すべきことのレベルを常に向上させようと努力を惜しまないこと

 
posted by 筆文字や隆庵 at 11:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月25日

一宗一派に偏してはならない

 承前

 イエスの教えを信ずることはしなければならない

 しかし、イエスの教えを知り「聖書」を読むことだけが宗教生活のすべてであると信じて

 他の聖者や賢人の教えには一切耳を貸さずに、それを否定し科学も否定して独善的な小我に固まり

 一宗一派にに偏り一人の宗祖、一つの会派 宗教団体による教えだけが真理であるとし他の宗派
 宗教団体等と協調しないという宗教心はマルクスが言ったように「宗教は阿片なり」といわれても
 仕方ないことである。

 イエスが「我は道なり、神理なり生命なり」 といわれたことは正しいことである。

 それはイエスが大我を悟っていられたからである。

 同様にゴーダマも大我を悟っていられた

 イエスは「キリスト」といわれ ゴーダマは「仏陀」と呼ばれ、ギリシャ神話のアポロは「シュバラー」
 と称されていたという

 加えて般若心経では観自在菩薩といった表現になっているがいずれも大我を悟られた方のことである。

 つまり、イエスも釈迦も同じ神理を説かれていたのである。
posted by 筆文字や隆庵 at 17:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大我の人つづき

さて、私たちが永遠の生命として今あるとき

イエスは、「人は二人の主に仕えること能わず」といわれた。これは、肉体の小さな自分に仕えるのか、
それとも神に仕えるのかということである。

キリスト教的に大我というのは、仏教的には宇宙即我に到達した人ということである。

宇宙即我に到達すると、大宇宙が自分が一体になり、大宇宙が自分であり、自分が大宇宙であり、万象万物
すべては神の生命に生かされている生命の兄弟だということがわかる。

愛とは、すべての生命が、切り離すことことのできない、一つに繋がっている生命であるということを知った自覚から
起こってくる、聖なる心である。その一つの生命であるからこそ、人が病気したり、苦しんでいることを見て
自分の事の様に悩み苦しむのであり

また、人の喜びや感動している姿をみて同じように喜び感動するのである。

宇宙と自分と一体となる「宇宙即我」と、神の心をはっきりと知ることが出来る。
その神の心を知ることが出来た自分を大我という。

真の大我の発見、即ち宇宙即我になることは大変難しいことではあるが しかし我々は大我になるように
精進しなければならない。

  参考文献 園頭広周 著 より抜粋

※ 恐らく大我の心を得た人として私たちが知っている偉人はそう多くはないと聞いています肉体を持ちながら
  宇宙即我を顕現した
  ゴーダマ仏陀、イエスキリスト、モーゼ、モーゼの後のエリア ギリシャにおけるアポロ
  近年では高橋信次師(1976年)などがあげられますが
  間違ってはいけないことは少なくとも世の中で宗教と呼ばれているものや○○教とか○○会などという
  組織とは一切関係なく自らの心の中はすべて宇宙に通じているということです。
  私見ですがわたしは一宗、一派、一冊の経典にこだわることなくただ永遠の存在である神と神の法にそって
  生きようと精進していこうと念ずるものであります。
  http://www.shoho2.com/ 

 
  






posted by 筆文字や隆庵 at 08:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月21日

大我の人つづき

さて、私たちが永遠の生命として今あるとき

イエスは、「人は二人の主に仕えること能わず」といわれた。これは、肉体の小さな自分に仕えるのか、
それとも神に仕えるのかということである。

キリスト教的に大我というのは、仏教的には宇宙即我に到達した人ということである。

宇宙即我に到達すると、大宇宙が自分が一体になり、大宇宙が自分であり、自分が大宇宙であり、万象万物
すべては神の生命に生かされている生命の兄弟だということがわかる。

愛とは、すべての生命が、切り離すことことのできない、一つに繋がっている生命であるということを知った自覚から
起こってくる、聖なる心である。その一つの生命であるからこそ、人が病気したり、苦しんでいることを見て
自分の事の様に悩み苦しむのであり

また、人の喜びや感動している姿をみて同じように喜び感動するのである。

宇宙と自分と一体となる「宇宙即我」と、神の心をはっきりと知ることが出来る。
その神の心を知ることが出来た自分を大我という。

真の大我の発見、即ち宇宙即我になることは大変難しいことではあるが しかし我々は大我になるように
精進しなければならない。

参考文献 園頭広周 著 より抜粋

※ 恐らく大我の心を得た人として私たちが知っている偉人はそう多くはないと聞いています肉体を持ちながら
宇宙即我を顕現した
ゴーダマ仏陀、イエスキリスト、モーゼ、モーゼの後のエリア ギリシャにおけるアポロ
近年では高橋信次師(1976年)などがあげられますが
間違ってはいけないことは少なくとも世の中で宗教と呼ばれているものや○○教とか○○会などという
組織とは一切関係なく自らの心の中はすべて宇宙に通じているということです。
私見ですがわたしは一宗、一派、一冊の経典にこだわることなくただ永遠の存在である神と神の法にそって
生きようと精進していこうと念ずるものであります。
http://www.shoho2.com/









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2018年07月19日

大我に生きる

「マタイ伝」『福音書』第16章、25節より

 己が命を獲得する者はこれを失い、わが為に己が命を失う者はこれを得べし。

 イエスのこの言葉を意訳すると、「己が小我を獲得するものは大我を失い、我が為に己が小我を捨てるものは大我を
 得べし」 

 ということになる

 小我の火とは

 人に褒められることを好み、集会の上席に座り、人に見られんがために施しをし、正しい人間(信仰者)であるかのような顔をして
 長い祈祷や説教をし、又意見し。常に自己中心的で高邁不遜で、小さいことにこせこせし、常に感情的であって、その場限りの
 欲望を満たそうとする人である。
 仏教的に言うと、人間を肉体だと見て、肉体の煩悩執着に振り回されている人々である。

 大我の人とは

 寛容にして慈悲あり、妬まず誇らず、驕らず、礼儀を正しく守り、奉仕報恩の行為をして個人的な利益を求めず、少しのことなどに
 憤らず、人の悪を思わず、不義を喜ばず、神理を喜び、忍辱し、信仰し、希望と愛、慈悲に生きる人である。
 仏教的によると、人間を霊的存在と知って、慈悲のこころを持ち、肉体的な欲望である煩悩執着をなくして、生き通しの永遠の生命
 生きることを知った人である。

 園頭広周 著 「二十一世紀の宗教」より

 小我の人も大我の人も同じく「永遠の生命」であり魂巡礼の旅を現在地球上にて続けている仲間であることは間違いなきことでは
 あるが、それぞれの自我の在り方によって今の人生に影響を与えていくのである。
 
 この内容を理解するには現在の国会議員(特に特定野党のみなさん)の行動をみれば小我とは何かがよりお分かりいただけるものと
 思います

 







 
posted by 筆文字や隆庵 at 13:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

言葉

 人が言葉を発するとき、発する以前のこころの在り方が問題となります

心で思ったことの中で 怒りや不平不満 愚痴や優越感 劣等感などといった自己を中心とした思いから

発せられる言葉は、音として空間に表現される時に黒い霧のようなものが張り付いているということを知りましょう

逆に思いやり、愛と慈悲、感謝の言葉などには黄金の光の粒子がその音に張り付いていきます

 前者は聴いている方に不調和を
 後者は聞いている方に調和と安らぎを与えることになります

前者の周りの環境は不調和となっているわけですから 善男善女はあまり近づかないようにします

 だから、情報も正確には伝わりません
 だから、何か事を起こす時に必要な情報が不足することになります

 結果として人のいうことを聴かなくなり、物事は失敗するということになります

常に思いやりや愛と慈悲の心構えの方にはいろいろな協力者が現れ適宜なアドバイスなどを得ることになります

 結果として周りの環境との調和がとりやすくなり成功への道が拓けるのです

  語るということの重要性を知ることが大切ですね
 
常日頃から荒々しい言葉を使っていると、波長共鳴の原理から荒々しい環境を呼び暴力にまで発展することは

よく聞く話ですね





posted by 筆文字や隆庵 at 16:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

創造

わたし達は、一宗一派、一冊の経典、一片の主義主張にこだわるものではなく

ただ、永遠の生命である神とその神がつくられた永遠の法とを信じ且つ実践

してゆくものである


キリスト教でもなく仏教でもイスラム教でもなくユダヤ教でもありません

ただ、宇宙が示す教えを知り且つ畏れ 生命すべての成り立ちが私たちの

日々の生活に深く影響していることを肌で感じ、真の人間の生きる道を確認

していこうというのが、人生の目的と使命であることを学んでいるのです

永遠の生命である私たちはいま最も波動の荒いこの地上界において己の魂を

磨く巡礼の旅を続けているのです、その目的は創造主である神のこころに

少しでも近づこうというのが最大の課題なのです

100人が100人同じく神のこころに近づこうと潜在的には理解しているのですが、あまりの地上界の波動の荒さによってその本質を忘れてしまっています

様々な文献、聖書や仏典 日本の古事記などから天地創造の寓話が出てきています

ということは、創造主の存在を認めているということになるわけです

posted by 筆文字や隆庵 at 11:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする