2018年07月25日

一宗一派に偏してはならない

 承前

 イエスの教えを信ずることはしなければならない

 しかし、イエスの教えを知り「聖書」を読むことだけが宗教生活のすべてであると信じて

 他の聖者や賢人の教えには一切耳を貸さずに、それを否定し科学も否定して独善的な小我に固まり

 一宗一派にに偏り一人の宗祖、一つの会派 宗教団体による教えだけが真理であるとし他の宗派
 宗教団体等と協調しないという宗教心はマルクスが言ったように「宗教は阿片なり」といわれても
 仕方ないことである。

 イエスが「我は道なり、神理なり生命なり」 といわれたことは正しいことである。

 それはイエスが大我を悟っていられたからである。

 同様にゴーダマも大我を悟っていられた

 イエスは「キリスト」といわれ ゴーダマは「仏陀」と呼ばれ、ギリシャ神話のアポロは「シュバラー」
 と称されていたという

 加えて般若心経では観自在菩薩といった表現になっているがいずれも大我を悟られた方のことである。

 つまり、イエスも釈迦も同じ神理を説かれていたのである。


posted by 筆文字や隆庵 at 17:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大我の人つづき

さて、私たちが永遠の生命として今あるとき

イエスは、「人は二人の主に仕えること能わず」といわれた。これは、肉体の小さな自分に仕えるのか、
それとも神に仕えるのかということである。

キリスト教的に大我というのは、仏教的には宇宙即我に到達した人ということである。

宇宙即我に到達すると、大宇宙が自分が一体になり、大宇宙が自分であり、自分が大宇宙であり、万象万物
すべては神の生命に生かされている生命の兄弟だということがわかる。

愛とは、すべての生命が、切り離すことことのできない、一つに繋がっている生命であるということを知った自覚から
起こってくる、聖なる心である。その一つの生命であるからこそ、人が病気したり、苦しんでいることを見て
自分の事の様に悩み苦しむのであり

また、人の喜びや感動している姿をみて同じように喜び感動するのである。

宇宙と自分と一体となる「宇宙即我」と、神の心をはっきりと知ることが出来る。
その神の心を知ることが出来た自分を大我という。

真の大我の発見、即ち宇宙即我になることは大変難しいことではあるが しかし我々は大我になるように
精進しなければならない。

  参考文献 園頭広周 著 より抜粋

※ 恐らく大我の心を得た人として私たちが知っている偉人はそう多くはないと聞いています肉体を持ちながら
  宇宙即我を顕現した
  ゴーダマ仏陀、イエスキリスト、モーゼ、モーゼの後のエリア ギリシャにおけるアポロ
  近年では高橋信次師(1976年)などがあげられますが
  間違ってはいけないことは少なくとも世の中で宗教と呼ばれているものや○○教とか○○会などという
  組織とは一切関係なく自らの心の中はすべて宇宙に通じているということです。
  私見ですがわたしは一宗、一派、一冊の経典にこだわることなくただ永遠の存在である神と神の法にそって
  生きようと精進していこうと念ずるものであります。
  http://www.shoho2.com/ 

 
  






posted by 筆文字や隆庵 at 08:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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