2018年08月11日

信仰の生活

承前

世の中において信仰していない人々が皆無であってすべての人が信仰に値するものを持っているとは以前書いた。
問題は、信仰する対象が一体何かということであって、その対象によって幸不幸が確実に顕れてきているのであり、その是非を自らが受け入れなければならないのだという事を知らなければならないのである。

わたし達が生きていく条件として宗教団体が必要なのでしょうか

わたし達が生きていく条件として必要なのは大自然の淡々とした営みであってその営みの循環こそが信仰に値する現象なのである。
この大自然の営みに感謝し、その大自然の摂理に沿って生きていくことか゜真の信仰生活といえるのである。

物質社会に於いても

心の社会に於いても 同じ自然の法則が働いている訳でその法則はどんな宗教団体に属しようが、神仏を信じようと信じまいと同じ現象が起きるのであるという事を知らなければならないのである。

○○会とか○○教とかいう存在は全く意味のないことであり自らの思ったことや行ってきた事こそが自分の存在でありその思ったことや行ったことが自然の法則に反していたり自然の法則に忠実であったりしたことが今の自分を作っているという事を認識し自らを省みる習慣を日常の生活に取り入れる事が真の信仰生活であると思う次第である。

自然の法則とは以下の事をいう

1. 原因と結果の法則・・・あまねく宇宙の法とは一つの原因に対して必ず結果としての現象が現れるわけであって善行には善果が悪行には
             悪果が現れるのであってその結果を軽んじ消滅せしめんとするには反省という心の掃除しかないのである。
             神は反省というチャンスをすべての人に与えているのである。
             キリスト教では懺悔といい仏教的には止観というのであるがもともとは教とかは関係ないのである
             すべての事には必ず原因があるという事を知ることが必要である。
             心の法則に当てはめると、愛すれば愛される憎めば憎まれるという事、イエスは汝を憎むものを愛せよと
             これ究極の神の意識であろう

2. 循環の法則   ・・・地球は自らが回転しながら太陽の周りを回転している、天体はすべて回転している春夏秋冬の四季があり水は液
             体、個体、水蒸気と三態をあらわしている、動物と植物の間には酸素と二酸化酸素の循環がある

             人は過去世があり現世があり来世があるという事を知らなければならない
             つまり、輪廻転生を積み重ねることによって自らの神性を磨くのである。


3. 波長共鳴の法則 ・・・類は類をもって集まる、ラジオやテレビは波長があってこそ見えたり聞こえたりする。同様に明るい心の人
             の所には明るい人が暗い心の人には暗い心の人が集まる
             「笑う門には福来る」「泣きっ面に蜂」とはこのことを言っているのである。

4. エネルギー不滅の法則・本来は一番先に述べなければならない法則であり霊が永遠不滅であることを知らなければならないのである。


             今私たちがここに命を営んでいるという事は過去世があり来世があるという事であって
             永遠という魂の旅の途中であることを認識しなければいけないのである
             また、それは一宗の話ではとうていなくてすべての人々に共通する宇宙の真理であることを
             知らなければならないのである
posted by 筆文字や隆庵 at 00:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月08日

宗教、信仰

 厳密にゆうと宗教を持たない人は皆無であってすべての人は宗教を持っていてすべての人は何らかの信仰をしているのである。
宗教団体というのは世界中にたくさんあり、それぞれの信者が自分たちの団体が正しいといい他の宗教団体は邪道だ外道だと排斥しようとする。
一方宗教団体ではない信仰集団がまた世界にはたくさんある。
経済というものを信仰している集団で金もうけや物質の獲得に血道を上げている信仰者たち。言葉は物質優先主義者とでもいえばいいのか
共産主義も自由主義もとどのつまり金銭的欲望を満たすことを第一優先としているわけで宗教団体の信者と大差がなく信仰の対象が神か金かのちがいだけである。

 このことが宗教を持たない人はいないという理由である。

 また、自分の先祖や家柄や地位や名誉を信仰している人も多いが結局経済や肉親や地所などが自慢の種である以上金銭的なものに執着しているといえるのではないか

 結局は自分以外の何かを信仰しているわけでそれが「物質的」か「非物質的」かに分けられるだけのことである。

 真の仏陀の教え真のイエスの教えに帰れというのはここがポイント

 彼らは宗教者であったか否か、否である ただ創造主である神を信じ神が創造した大宇宙と大宇宙の摂理を物質的人類に

 われわれ人類の生き方の方法を教えてくれているのである 仏教でも キリスト教でも なく イスラム教でもなく自然に生かされている
 ことに感謝することを教えてくれた先達者なのである



 
posted by 筆文字や隆庵 at 16:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

反省、懺悔 潜在意識に播かれた雑草を抜く

承前

 心の畠に播いてしまった悪の種子、はからずも播かれてしまった悪の種子は
 そういう雑草のようなものは抜いてしまわなければならないといっても、心の習慣性から
 また同じような種子を播くかもしれない

 その時はまた、種子を雑草を抜き、「もう二度とこのようなことはしないぞ」と神に誓い
 勇気をもって先に進めばいいのである。

 これらの失敗は魂が向上するための、欠かしてはならない、ならなかった一つの過程であったのであると
 感謝することが大事なのである

 だから

 反省、懺悔するたびに心が暗くなるようではいけないのであって
 反省、懺悔によって新たな人生への勇気が湧いてくるような反省、懺悔を
 しなければならないのである。

 イエス曰く
 「石地に播かれた種子は生えぬ、石ころの多い、土の少ないところに播かれた種子は
  芽を出ても根を張ることが出来ないのですぐ枯れる。肥沃な土地に播かれた種子は
  よく根をだし、葉をだし、よく稔る」と・・

 つまり、我の強い頑固な潤いのない心では芽が出ないということであり
 少しは、潤いがあっても、それでも我が強く頑固であると、結局は実を結ばせることは
 できない

 心は柔らかく、すなおであたたかでないと幸福になることはできないといわれたのである

 自分の心をどのようにするかは各人の責任である

posted by 筆文字や隆庵 at 17:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月04日

潜在意識、人間の心の畑

 承前

 潜在意識は田畑に似ている 田畑自身は自ら手入れはしない

 田畑は播かれた種子をそのまま発芽させ成長させるだけである。
 田畑に雑草が生えたからといって、田畑自身がその雑草を抜くことはない
 田畑は責められない

 手入れをするのは農夫の仕事である

 人間の心の畠には、世間の噂、中傷、マスコミによる誤った情報発信、
 果ては、間違った教育、宗教など間違った種子がまき散らされている。

 物事の真意を考慮することの不得手な人がなんと多いことか
 情報リテラシーの乏しい現代の人々を思う時、上記の思いが胸に迫る

 すでにマスコミの嘘はだんだんと暴かれてきているが、未だに報道しない自由
 を実施しているのであるがネット世界の発達によりテレビ、新聞、雑誌
 の内容も厳しい批判にさらされていくであろう

 いずれにしても、私たちは心の畠に入り込んだ間違った種子を手入れしなければ
 ならない

 幸福になりたいと思いながら不幸になった人は知らず知らず不幸の種子を自らの
 心の畠に播いているからである、

 だから、その種子が良い種子か悪い種子かを見極める智慧を働かせなけれはならない
 智慧を働かせるには物事の真偽を図るための知識を持たなければならないのである
 論理的思考を持たなければならないのである
 
 常々良い種子を播いて、悪い種子を播かないようにしなければいけない
 もし、選別を誤って、知らず知らずのうちに雑草の種子が生えてきたとしたら
 その雑草は抜いて捨てなければならないのである、人間的には懺悔であり反省であり
 企業経営であれば決算時における棚卸、不良在庫の処理なのである

 
posted by 筆文字や隆庵 at 09:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月01日

潜在意識と現在意識

 現在意識は種子であり潜在意識は大地である

潜在意識は種子を選別しない。まかれた種子がよい種子であっても悪い種子であっても
雑草の種子であっても、又 
その種子が意識して播かれたものであろうと無意識のうちに播かれたものであろうとすべて
芽をだし、育て上げ、それを生活体験として顕現させるのである。
日常の暮らしの中で例えば自動車を運転するときにいちいち手足に命令して動かそうとして
訓練を続けた結果、体が勝手に判断できるようになる。
この場合は現在意識で運転していたのが潜在意識に投げ込まれた技術が内面化し習い性になった
事を意味するのである。
心の働きも同様であり、どのような情報を現在意識が捉えているかが問題となる。


 運命がよくならない、不幸ばかりおきている人たちはその潜在意識の中にマイナスの
 考えや行為という種子を播いていた結果として顕現されているのであって、
 運命が好転している人は心の中にマイナス思考を持たず積極的に前向きに行為をしている
 ということなのであ。

物事がうまく運ばない人の特徴は、ものごとを何事も他人のせいにして自己中心的でわがままで
反省が出来ないこと

上手く物事を運ぶ人の特徴は、両親に感謝し仲間に感謝し、人様のお役に立つために為すべきことを知り
為すべきことを為しまた為すべきことのレベルを常に向上させようと努力を惜しまないこと

 
posted by 筆文字や隆庵 at 11:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする