2020年04月06日

戒め

 今までの生活(環境、教育、思想、習慣)の中から知らず知らずの間に培われていった自らの行動傾向が誰にでもあり、その行動傾向が様々な問題を起こしているのではないでしょうか。
 それぞれの人は所属するコミュニティ、学校、職場や地域社会、に於いて自らが思い行為したこととその結果の如何によって正誤を感じるものであります。一般的にいって明らかにおかしい事象もその中には含まれるわけですがおおむね組織やコミュニティの同調意識によってそれらのおかしいことの方が幅を利かせているという場面が多く存在しているのではないでしょうか、いわゆる生活の柄というものであって様様゛な決断時に顔を出してきます。
 所属している組織によって価値観がなんとはなく定められているのです。大きくは意識の中に存在しているのですがまず国柄、職業柄そして地域柄 家柄、人柄を構築していくわけです。そしてそれぞれの何気ない影響を受けながら生きていっているわけであり「自分がこうだから彼もそうに違いない」と思う人あり「自分の思いがこうだからみんなそうに違いない」と思いながら生きているのが大半であろうかと考えるのであります。
 国同士の軋轢も、企業同士の軋轢も、宗教も道徳も、個人の暮らしも同じようなメカニズムが働いているようです。
しかしながら他と自分はこの時点においてはそれぞれが異なります。
 説得しようとするときも普段の言動がどうあるかが重要なポイントであることは間違いないことです。本来の姿は「何が正しいか」で判断するのだが今「誰が正しいか」を優先しているようです。特に物質経済社会が主流の今は、経済の勝者こそが正しいとばかりの風潮が顕著ならではないでしょうか。
 一方においては、精神主義社会ともいうべき大宗教団体の教祖こそが「正しい」とばかりに日頃の経済社会をないがしろにしている人人が存在するのも事実です。
 そうした中に於いても、各組織のリーダーの普段の言動に問題があればそれは「正しくない」という判断になるように真実はあやふやで非論理的になってしまうのです。
 ある国家に至っては嘘も壱百篇言えば真実になるかの如き「フェイクニュース」をまき散らす、その内容を吟味するに前記の思い方「自分ならこうするだろうから相手もそう考えているだろう」といった国柄をベースに情報発信しているようです「慰安婦問題」しかり「南京虐殺問題」しかりです。
 行動の在り方に「日本人らしさ」が全くありません。
さて、本日の戒めですが「自分がそう思うから彼もそう思うだろう」といった判断基準ではなく長い歴史環境の中での原因と結果のサイクルや日頃の言動から考慮しなければならないという事を「戒め」としたいと思っています。


posted by 筆文字や隆庵 at 12:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする