2020年11月30日

業種・業態・・・別の切り口

レストランチェーン、居酒屋チェーンが全国各地に出現したように一方では低価格路線を突き進んでいくファストフーズ一団の存在がクローズアップされていく。
ある意味において消費者にとっての利便性を徹底的に追求していった形づくり、むしろ物販店の様相を模した業態であろうと考えられます。
 テーブルサービスが余儀なくされているレストランや居酒屋とははっきりと区分けされ最小限のマナーと接客態度を死守し商品力を第一義に考えられたスタイルを確立していったのです。
 当然商品は単品にならざるを得ないのですが、単品なるが故の研究を徹底し食材の開発にはじまるマーチャンダイジングは煩雑なレストラン、居酒屋と異なり効率の高いものとなっていったのです。しかしながら、成功の原因である「単品力の向上」は一方において企業間の模倣の繰り返しによって同質化現象を引き起こしていくのはチェーンレストラン等と同様の結果を招いていき、結果として立地以外の差別化が出来にくくなっていきます。
 さて、立地に関しての論点は人々のライフスタイルの在り方、その変遷や働く環境の変化、産業構造の変化などの外的な様相とそれに伴う交通網の変化によって立地の特性は大きく変動していくものだという事をまず考えなければなりません。
 ライフスタイルに関しては私たちの生活環境がどのように変わっていったかをみなければなりません。それには大きく産業構造の変革に起因しており、その変革に付随して様々な要因が派生していきます。モノが不足していた時代からモノ余りの時代といわれている昨今の様相を考えると一律一様なニーズというものはもはや存在してません。一部コモディティ商品は便利さと価格がポイントなんでしょうが 自らのライフスタイルと照合しながらのモノに対してのニーズは多様であります。

 食に関して立地との相関関係を考えてみる時、特筆すべき環境はまずはランチ時間でしょう。お昼に何をどう食べようかとしたときに多くの人々がその時間帯にどこに位置しているか地理的環境が先ずあります、地理的環境とは即ち「どこで食べようか」といった決断をしなければなりませんね その時のシチュエーションに関係するのが「誰と」なのか「一人で」なのか、その誰かとはどういう関係性を持っている「誰か」によっても決断の基準は変わっていきます。次にこのシチュエーションの場合に「何を」食べるのかという判断が必要ですね、じゃあ予算は、支払いの方法は等、また誰かとという時に何人なのかという観点も考慮すべき点ですね・・さように昼の食事一つにもこれだけ判断しなければならないのです・・・描いてみると結構な作業のようですがこれらのことを一瞬の時間で判断するわけです。その判断する時間帯にどこにいるのかどの立地が良いのかを前もって仕掛けておくのがお店の作戦であり、お店のレゾンデートルの在り方を決定する要素です。
 この思考はお店を出す時に欠かせない出店者の仕事なのですが、どういった使われ方をしてほしいかを明確にしているお店って意外と少ないもんです。
 いずれにしても立地と商品、価格、店舗の規模・・
様々な要素が絡み合った中でお客様の選択肢の中に存在することが大事なのは当然であります。判断すべきあなたにとっての店選びの優先順位は何ですか?
ららぽーと店C.jpg 
 急にたべたくなるとき、ショッピングセンター便利ですね



posted by 筆文字や隆庵 at 11:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月24日

居酒屋の話

居酒屋は元々江戸時代の酒屋が付加価値サービスとして一杯ずつ酒を提供するという事から始まったといわれています。江戸は中心的大都市だったせいか地方から次男や三男が職を求めて集まってきたともいわれており極端に独身男子が多かったのだという事で、遊郭や飲み屋などの発展がなされたのではないのかと思われるのです。
 さて、その居酒屋(飲み屋ばかりでなく蕎麦屋、うどんや、屋台なども)なるものが、爾来時代劇などでもよく登場するように庶民の間でその業態が確立されていきます。
 当然のことながら小規模の店舗が主流であり生業として存在し、次に家業となっていくのだと考えられています。さて、時は流れ近代へと進んでいくのですが、ごく最近まで、というか昭和の時代には人々の集まる個所としての駅前食堂などがその役割を担っていたと考えられます。
その形態としては親父さんが料理長、奥さんが接客サービスが典型的なスタイルであり、文字どおり駅前に集まる働くおやじの為の癒しのスペースとして存在していたのであります。
 小さなスペースでの営業は一度にたくさんのお客に対応することは困難であり大人数の対応は、○○会館とか料理旅館、料亭などが対応施設だったのでしょう、今でもその名残が地方の町には存在しています。
 いずれも低生産性であり会社とは名ばかりのものでしたが現在は地方の町には成功していった駅前食堂の形もあったのです。おおむね三つの顔を持つ店がその形です。
 一般の定食屋兼居酒屋、そして宴会場併設、場合によっては個室対応の食堂などを有する店がその典型です。計数管理不在の前近代的な店舗経営が中心です。
そうした中1970年代のチェーン化レストランの台頭から若干遅れながらも企業化を目指す居酒屋群が現出してきます、「つぼ八」「天狗」「養老の滝」洋風では「ビヤホール・ライオン」などが多店化していきます。
 チェーンレストラン群からの脱皮組として居酒屋業態への挑戦も一部では見られますがこれは競争激化のファミリーレストラン群でのサバイバル戦略として位置付けられたものです。具体的には関西地区のフレンドリーグループや関東の西武系、ジャスコ系、ダイエー系等などが顕著な例でした食堂という業種から、ファミリーレストランという業態は、さらにディナーレストラン、カジュアルレストランといった様々な業態を生み出していきます。
 模倣と競争の繰り返しが各社とも同質化現象を引き起こし、「消費者不在」のビジネスゲームが繰り広げられていったのです。
小生がレストランチェーンのスーパーバイザーをしていたころに少なくない同僚が各居酒屋チェーにスカウトされていきました。
主な居酒屋企業としては「和民」「魚民」「モンテローザグループ」といったナショナルチェーン、地方のチェーンなど多くの居酒屋チェーンが活躍していました。
 しかし、模倣による同質化現象は価格競争を余儀なくされ、計数管理主体の管理に限界を感じ始めていったのです。



posted by 筆文字や隆庵 at 10:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月18日

予算と実績

 承前
店舗運営にて得た利益の貢献度に応じて「インセンティブ」として毎月の給与に加算されるといった制度が設定されるに至ったらいよいよ短期決算といった目前の計数、利益高に目を奪われがちになるのは当然の理でありました。目先の利益を追求するあまりに原価や人件費を究極に押さえることで利益を生む、本来修理の必要な箇所も見過ごす、電球がきれていても補てんしないなど店はだんだんと荒れていきます。一〜二年程度はなんとか乗り越えられてももともと無理な仕事をしているのですからおのずとじり貧になっていきます。
 確かに年次予算も月次予算も達成していくことは資金繰り勘定上大切な事柄であることを否定するものではありません。ありませんが、そのために将来へ向かっていく経営の在り方にぶれが生じていきがちなのも一方では危機でありましょう。
 要点はここです、計数の動きには実はお客様の意識の変化や競合の存在などに左右される要素が大きいのです。目先の数字にとらわれるあまりそこに顧客視点という最も大切な仕事がだんだんとないがしろにされてきたのでしょうね雨後の筍の如く出現したチェーンレストランの多くが苦戦をしはじめ撤退を余儀なくされるといった現象が先ず関東からはじまり、次に関西、そして全国的に脱ファミリーレストランといった動きが顕著になってきます。
 肌で感じた事柄といえば以前は圧倒的な集客力を持っていた「盆」「正月」「ゴールデンウィーク」の期間が押しなべて客数減に見舞われてきていたという事、関東での現象が翌年には関西へとうつり次に地方へとその現象が起きていきました。
 企業が内部の計数管理最優先の働き方を徹底していった結果として、「顧客の存在」に疎くなり顧客をデータとしてしか見られなくなっていったのです。また、多くの店舗が出現していった結果としてどこも同じような商品であり、同じようなサービス、同じような店舗デザインとなっていきました。
 つまりは、効率を徹底的に追求していくと同質の店舗が氾濫するのは自明の理であります。
かつて「米国」に学び、少なからずの日本人の「食生活」に豊かさを提供し、手軽な「ハレの場」を演出していたチェーンの限界を知ることになるのです。多くの店舗が小さな幸せを味わっているという事はとりもなおさず当時の「顧客・・お客様」も豊かな外食という行為をリーズナブルに体験できる機会を数多く体験したという事であります。そこにも「成功の理由が失敗の理由になる」要素が隠されていたのです。

 次に現われてきた現象が「居酒屋チェーンの台頭」であります・・・・・


次回へ続きますIMG_0411.JPG


posted by 筆文字や隆庵 at 09:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月09日

行動指針としての計数管理

 小生が勤務していたチェーンレストランには当時「週間損益計算書」なるものが存在しておりねマネジメント活動の指針として活用していました。従来は月次で実施されていたものが週次になったわけで作業そのものの内容は変わりませんが、何しろ7日間の実績を常に追いかけていかなければならずそれゆえに一時たりとも無駄な時間はないのです。
 月に一度の棚卸が毎週あるわけですから材料の検数もあわただしいものでした。
又、食堂業の特徴の一つに仕込段階というものがあるので、原材料の形状ごとに検数しなければなりません。
 材料が店舗に入荷される時点での形から、開封して仕訳した時点での形、さらに一次加工した形(切り出したものなど)二次加工した形(加熱や人数分に振り分けた形)最終仕上げのための保存、スタンバイの形など一つの材料がいくつもの顔を持つという事です。なおかつ形ごとに材料の価格は、つまり原価は変わっていくわけです。
 さて、棚卸は毎週の締日が日曜日でした。通常土曜と日曜の2日間で週販の50%ほど稼いでましたので最後の日曜日閉店時には(24時間営業店舗ではレジシメ時間に)在庫も少なくなっており、比較的楽に棚卸が出来るであろうとのことでその日が当てられていたのですが、人は疲れているもんだといった配慮はなかったように感じます。
 日曜日に検数した材料の金額計算、その他パートの人件費、諸々の消耗品費などを帳票に書き込む作業が月曜日。その結果を元に地区マネージャー主催の地区会議が火曜日、店長は地区マネージャーからさんざん問題解決のための指導を受けますが、地区マネージャーは水曜日に担当店舗の集計を元にその上の地区(リージョンで4名の地区マネージャーが5店舗から7店舗くらいの担当店舗)にて20店舗分の集計、同じく問題発見と解決に関しての指導を受けるわけで、さらに木曜日までに問題解決の方針が各店に通知され、店長はそれを元に毎週金曜日につくる勤務シフトに反映させるわけです、土日は営業に専念。とこのように一週間を過ごしていきます。いきつくひまがないとはこのことでしょう。
 地区マネージャーはオペレーションに問題がある店舗に張り付いてチェックするのが土日の仕事なんですがほとんどヘルプみたいなものであり不足しているシフトに入ったりと、まあ休みなどとれませんよ。

 私自身地区の仕事をしたときなど日付がかわってから帰宅するというのが普通で、大体午前11時頃から夜中の2時までが勤務時間のようなものでした。と、今となっては笑い話ですが・・
 産業化を目指し「上場」するぞと粋がっていた企業の現実の姿。こんなものだったのです・・・今もあまり変わりませんけど

 客単価の低い業態では大量の製造がないといけない、ならば何が出来るのでしょうか、高単価の仕事もしくは生産工程で人事生産性をいかに上げていくかが大きな課題として目の前に顕れてきたのです。 
 続く・・・・
IMG_0414.JPG

甘いものを食する倖せ 今日の挿絵


posted by 筆文字や隆庵 at 13:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月04日

結論めいたもの・・・チェーンストア

 人それぞれの生き方考え方があるという事は当然です。
私の場合どうしてもシステム経営優先のやり方には抵抗があって、人を中心とした考え方があって初めて有機体としての会社組織が成り立つものではないか、何のための物質であり何のためのお金であるかに関して今一度人生における「仕事の原点」を考えるべきだと思っていました。
 本来は人のために存在すべき経済が、経済のために人が存在しているというようになってしまってたように感じたわけです。
さて、引き続きチェーンストアについて私の現場体験からの報告です。
 1980年代にはチェーンレストランの発展がみられます。いわゆるファミリーレストラン御三家という企業群がトップランナーとして業界をリードしていきます。
 関東からは食品スーパーからレストラン事業へと転換してきた「すかいらーく」九州の雄であって大阪万博にて爆発的な売り上げを記録した「ロイヤル」そして、国内スーパーマーケットをけん引し関西のダイエーとしのぎを削ってきたイトーヨーカ堂系列のデニーズ」の御三家です。
 一家団欒の食事の楽しさを彼らは一般庶民へ提供していきます。高度成長を支えてきた国民の多くが中流以上の生活を満喫していった時代です。
 会社を経営するにあたってもレストランビジネスのうまみを考えれば頗る効果的な計数モデルが出現したわけです。
 例えば粗利の高さは小売業の約3倍、立地は郊外の地代の安価な場所、強力なマネジメントシステムにより従業員はパート・アルバイトの主婦や学生が主力、これらを合わせると税前利益で売り上げ対比12%以上税引き後6%以上が可能になり同じく小売業の3倍以上という事になります。
 という事は、利回りも良いため金融筋も積極的に投資を進めるというわけです。これらの現象は全国各地のレストラン企業化に拍車をかけ当時の「月刊食堂」の発行部数をも増やし、レストランチェーン化の波が至る所で巻き起こっていました。

 店数がすべてを癒すとばかり出店競争が続く・・・出店が続くという事は仕事が増えるという事でもあり雇用環境も良くなり良い人材も増え従来のような旧態依然とした食堂業界が様変わりしていきました。
 年月を経て、前述したように「成功の理由」がそっくりそっくり「失敗の理由」になっていきます。

 スペシャリスト、マネージャーとワーカーという区別もだんだんとひずみを生じさせていきます。

 続く・・・・
[016004].jpg 葱たっぷりの中華そば
今日のイラスト

posted by 筆文字や隆庵 at 09:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月02日

仕事人としての目標

 米国から輸入したチェーンストアというマネジメントシステムがすべての支店経営という手法を凌駕するかの如き風潮。
特にマーチャンダイジングに関して中央集権による品揃え及び物流の在り方を目の当たりにすればするほど疑問が生じてきました。確かに重層的な流通の仕組みが我が国の消費行動の上位に位置づけられていたことによる価格決定権がメーカー主導であって消費者にとって不都合であった点は承知しながらも大量生産、大量販売、大量消費というものが中々広めにくかった点考慮したとしたうえで上記のシステムに忠実であればあるほどチェーン、特にナショナルチェーンのマーチャンダイジングが陳腐なシステムに見え始めたのが昭和50年代の中ごろだったように記憶しています。
一億総中流の時代といわれ、特に物不足を感じることも少なくなり消費する商品の目利きも出来るようになっていき、いわゆる戦後の流通革命を荷ったバイタリティ溢れる創業者の生活者としての感覚と一般消費者との微妙なズレが生じていきます。
 本来ならば、第二世代ともいうべきリーダーが時代に合った戦略に転換していかなければならない時が到来していたにもかかわらず、戦前戦後とサバイバルしてきた創業者が強烈に存在していたために方針転換がなかなか進まなかったのです。

つまり今までの成功体験、成功事例そのものが失敗要因となっていくわけです。消費者はいやお客様は、個性を重要視していき皆と一緒という今までのテーゼから徐々に離れていき欲求は10人10色どころか20にも100色にも細分化されていきます。
大量消費に合致するという点に絞っていた流通の仕組みそのものにほころびが生じていきそのために経営方針も経営の仕組み、組織から何からすべて見直し再生していく必要性が生まれます。
 事業推進に対して鬼のような努力をしていった創業者には敬意を表しますが、仕事が増え人が組織化され業績が淡々と上がっていくときというのはえてして組織の官僚化が進みがちであり、内政志向になることが多くなります。強烈なリーダーシップが発揮されているからこそ内部での出世競争に陥ってしまうのがいわゆる社員の癖であることは古今東西の権力争いの歴史から容易に読み取れます。というよりそれが人間の性なのかもしれません。
 こんな現象を薄々感じていたのですが、スーパーチェーンそのものの形も変化していきます総合スーパーからより専門的な量販店の拡大傾向が見えてきました。ホームセンター、家電、コンビニ、洋服の○○、大手スーパーは大きさゆえに簡単には変革できずにいました。
 いずれ外食チェーンもそうなっていくだろうなといった予感めいたものがありました。 当時レストランチェーンのスーパーバイザーをしていた私の思いでした。
 いずれ・・・細分化されるであろう・・・その時に私は仕事人としてどうなっていくのだろうか
  続く
37、なす.jpg

 今日の一筆 今が旬のなすびを描いてみました




posted by 筆文字や隆庵 at 10:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする