如是我聞
当然のことながら私たちは永遠の生命を持つものであるという事を知らなければならないのです。いや私たちだけでなくこの世に存在するすべてのものは永遠の生命体として存在しているのだという事を知らなければならないのです。
般若心経の一説にある「不増不減」増えることもなく減ることもないのが私たちの魂なのであって今ここにあるのは肉体という物質と魂が同居している状況なのだからこの世的に死ぬという事は存在する形態が変化するだけのことであり私たちの個性も、思考の在り方もなんら変わりなく永遠に存在し続けるものであると、お釈迦様は説かれたのです。
この世があるという事はあの世があるという事の証明であり、今ここに私たちが存在しているという事は過去世もあり来世もあるという事の証明であり、私たちは永遠の魂であることを知るのです。
これらのことを般若心経では説かれているのです。
この世に生まれる前に私たちは天上の世界、あの世といわれる世界に住んでいました、その世界は穏やかで嘘のない平和であり時間と空間という制約のない世界であり、自分と同じような性格の人々ばかりの世界であります。(いわゆる波長共鳴の原則どおり)
あの世の世界の段階は細かく存在しており仏教でいうところの幽界、霊界、神界、菩薩界、如来界という具合に分化されていてそれぞれの世界は「愛と慈悲」の心を各人の霊のレベルがどれほどもっているのかという量の区域です。如来界に於いて最も高い世界に存在し私たち人類の大指導霊が釈迦、イエス、モーゼの三名であり、1976年当時高橋信次師によると426名の如来がいるといわれていました著名な方としてシュバイツァー博士などです。こういった方たちは後に神宗教神格化され当時の教えそのものが形骸化されていき間違った方向に進んでいったのは残念ですが、
先述したように、私たちが生まれる前に存在していた世界が平和であるために中々修行に時間がかかるという事は無理もないことであり、少なくとも上の段階に住するために必要な体験を提供してくれる環境としては地上の世界が適しているといってもいいでしょう。
高橋信次師による講演から・・・この世の1年はあの世の100年に相当する修行の場である
という事で、私たちはみなこの地上界に誕生し、自らの魂の学習を目的とし日々の暮らしを送っていくわけです。
生まれるという事は父母によって肉体を作ってもらわなければなりません。あの世に於いての約束事の第一は肉体の提供者を決める事なのです。
誰にでも頼めるものじゃありません、過去に縁のあった方に頼むでしょう。同じことが私たちの子供にも言えます。だから感謝しなければならないのですね・・