人生は各人が思うことによって行動を引き出しその結果として良きこと悪しきこと、喜びや悲しみや様々な出来事を体験するものだ。
あらゆる結果はその思うことと行うことで作り上げた原因により発生するのであるという事をまず知らなければならない。
「原因と結果」は宇宙を貫く法則であり何人たりともこの因果から逃れることはできないのである。
国家が今おかれている現状は過去の行状の結果、つまりはリーダーの在り方、国家観というある種の哲学的概念の継続性というものがあり、それに導かれひきいられる国民の総意によるものであるのだが、昨今の現状を鑑みるに「マスコミ」という名の情報発信力に おうところが大きくなってはいないかと危惧するものである。
顕著な事例として昨今の「コロナ禍」本来は「武漢肺炎」というべきものにもかかわらず中国に遠慮してか「新型コロナ」などという言葉で表現されている報道姿勢を考えるとなんか違和感を感じてしまうのである。世界の中の我が国の感染者数をみると明らかに抑え込みには成功しているように思うのだが、テレビも新聞も「悲観的な口調」で過去最多、今日の感染者、重症者等深刻な表情で謳っているが、果たして正確な数値のすべてを発表しているのだろうか、陽性者の定義も発症者の状況もその内容が不明確、例年発生している「インフルエンザ」との比較や退院者の数、実行再生産数等の発表など行われているのだろうか。行われるとしてもその定義に関して説明があっただろうか、ただひたすら「大変だ大変だ」とあおってはいないだろうか、まして「緊急事態宣言」等で飲食店を的にかけているが納得できる「エビデンス」は説明されたか、また飲食店関連の業者に関して対策はあっただろうか、政府も識者といわれている学者たちも納得できる説明がなされているようには思えない。
ある番組で「コロナウィルス」そのものはそんなに恐れることはなくすでに「集団免疫」が出来ているといった専門家の先生(たしか京大でした)
の意見もあったのだが、もうテレビには出ていない。
テレビ局の意向に沿わない意見は言えないのだという事もきいている。いずれにしても多くの意見ではなく選択された意見しか出せないのであるならば私たちは、自らが自らの考えで判断するしかないのである。
これら一連の事態は原因となって結果を作っていくのである。
マスコミは「反政府」に舵をきっており野党も同様であり、地方の自治体も政府に文句をいうだけ。有識者もだんまりをきめ込み医師会に至ってはまるで「他人事」のような発言が相次いでいる。
現実的代案のない批判は昔から書生論といってとるに足らない事とされているのを知っているのだろうか。
少しでも建設的な意見が出る事と実行していくことを待つ前に、私たちはもっと賢くならなければならない。
場合によっては赤貧に甘んじなければならない事も覚悟し、自らの人生観を見直すことも視野に入れながらこの危機を乗り越えていこう。
という事は、新たなる原因作りに励もうという事である。