2021年03月02日

考察すること

今の日本を考えると、「これはダメ」という出来事がもう何十年も続いているような気がします。
それでも、日本は必ず良くなります。一人一人がダメな今に気付き、こうすればよいと気づき、「このようにするとよい」と考え動き始めた時から、良い方向に進むのです。
現代社会の情勢を考えると様々な現象が私たちにたいして「それは間違っているよ」と、言っているように見えます。
 自然現象で言えば地震、竜巻にはじまり政界財界においては指導力不足、一般社会人においては足ることを忘れ去った欲望、自己さえ良ければといった自己中心主義、交通事故に疫病、自殺、殺人、うつ病など・・・これらの結果には必ず原因があります。
 社会のせいだとか、政治のせいだとか誰彼のせいだとかいって目を閉じるのではなくこの現実に、まず気づくことが大切です。

 現状を把握するといくつかの問題点は凡そ次のようなものであろうと推測できます
1. ものを深く考えなくなった。ことにより「判断力の欠如」がみられる、薄っぺらで表層的な意見に左右され物事の真実を追求する粘り強さがうしなわれていると思われる。
2. モノを大切に扱わなくなった。感謝の心が忘れられている
3. 自己中心の人が増えた。相関関係の欠如。

 これらの現象は一体どこから生じたのであろうか原因を探ってみると、私たちの暮らしの中に入りこんでいる「マスコミ」の存在が大きいのではないかという考えに行きつきます。
 マスコミという視聴覚拡大傾向は、特にテレビ、パソコン、スマホなど次から次へと情報を提供し考える余裕を与えないほどコマーシャルや番組、特にワイドショー等の影響は大である。
 情報はその真偽に疑わしいものも含めて無防備な人々の意識に入り込んできます。何気に見聞きしている無意識の領域に入りこんでしまうものであり、知らず知らずに「洗脳」されているわけです。
 学校教育においては、暗記主体、前例踏襲という意味も含めたテストが出来れば高学歴を手に入れることができ出世できるとばかりに「テクニック主体」の学習が主流となってきており、それらの結果として判断能力の欠如した「社会のリーダー」たちをたくさん生み出してきたのも事実であります。
 情操の何たるかを知らぬままに知識だけは一応身に着けていて、子供のころから試験勉強だけは出来るといったいびつな環境下にて育ったエリートもどきの排出そのものが現代の日本の体たらくなのではないかと思う次第であります。
 家庭に於いては反抗的な人を急増させるような教育をしているといっても過言ではありません。たとえば親が子供を育てる過程で、親の意志を押し付け子供の才能を引き出そうとしない。子供は自分を理解してもらえない寂しい心を反抗することで訴えているが、親は気づかない。もしくは生来の素直さのあまりいつまでたっても親のいう事に従うような主体性を失っていく場合もあります。いずれも親が子供に与える影響によって生じるものです。
 ある政党の代表が「母が言っているから・・・」などとテレビで発言して失笑をかっていたことを思い出します。

子供は親のいうとおりにはしない、親のするとおりにする。

国の教育の在り方はこの70有余年の間に大きく変わってきてしまいました。何度読んでも納得する「教育勅語」「愛国心」「情操」などといったよきものを捨て去り、いわゆる「物質至上主義」を中心にした味もそっけもない「教育」が主となっていきました。
これを是正するのには100年近くかかるでしょう・・・是正しようと思っている人が増えることを期待します
国家100年の計は「教育」であることを肝に銘じたいものです。
 それには「家庭教育」が大切であり、その中心的な役割は「親」つまり「夫婦」の在り方が大きいと思う次第です。ジェンダーのひずみが家庭そのものの問題を生み出してきたと思う次第です。これは私の「思想」ではなく「普遍的な自然法則」なのです。
 人生は各人が思うことによって行動を引き出しその結果として良きこと悪しきこと、喜びや悲しみや様々な出来事を体験するものだ。
あらゆる結果はその思うことと行うことで作り上げた原因により発生するのであるという事をまず知らなければならないのです。
 「原因と結果」は宇宙を貫く法則であり何人たりともこの因果から逃れることはできません。
国家が今おかれている現状は過去の行状の結果、つまりはリーダーの在り方、国家観というある種の哲学的概念の継続性と、それに導かれひきいられる国民の総意によるはずなのですが、昨今の現状を鑑みるに「マスコミ」という名の情報発信力の影響下にあるという事を危惧するものであります。
顕著な事例として昨今の「コロナ禍」本来は「武漢肺炎」というべきものにもかかわらず中国に遠慮してか「新型コロナ」などという言葉で表現されている報道姿勢を考えるとなんか違和感を覚えてしまいます。世界の中の我が国の感染者数をみると明らかに抑え込みには成功しているように思うのですが、テレビも新聞も「悲観的な口調」で過去最多、今日の感染者、重症者等深刻な表情で謳っています。果たして正確な数値のすべてを発表しているのでしょうか、陽性者の定義も発症者の状況もその内容が不明確、例年発生している「インフルエンザ」との比較や退院者の数、実行再生産数等の発表など行われているのだろうか。行われるとしてもその定義に関して説明があっただろうか、ただひたすら「大変だ大変だ」とあおってはいないだろうか、また緊急事態宣言」等で飲食店に負担を求めているが納得できる「エビデンス」は説明されたか、また飲食店関連の業者に関して対策はあっただろうか、政府も識者といわれている学者たちも納得できる説明がなされているようには思えない。
 ある番組で「コロナウィルス」そのものはそんなに恐れることはなくすでに「集団免疫」が出来ているといった専門家の先生(たしか京大でした)
の意見もあったのですが、もうテレビには出ていないようです。
 テレビ局の意向に沿わない意見は言えないのだという事もきいています。いずれにしても多くの意見ではなく選択された意見しか出せないのであるならば私たちは、自らが自らの考えで判断するしかないのでしょう。
これら一連の事態は原因となって結果を作っていくものであります。
 マスコミは「反政府」に舵をきっており野党も同様であり、地方の自治体も政府に文句をいうだけ。有識者もだんまりをきめ込み医師会に至ってはまるで「他人事」のような発言が相次いでいます。
 現実的代案のない批判は昔から書生論といってとるに足らない事とされているのを知っているのだろうか。
少しでも建設的な意見が出る事と実行していくことを待つ前に、私たちはもっと賢くならなければなりません。
場合によっては赤貧に甘んじなければならない事も覚悟し、自らの人生観を見直すことも視野に入れながらこの危機を乗り越えていこう。
という事は、新たなる原因作りに励もうという事であり、そのためにも私たちは八正道を行じなければならないのですね。



posted by 筆文字や隆庵 at 10:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする