わたし達が有している生命活動に欠かせない五感という機能は、次の点に集約されています。
目で見てとらえる事の出来る現象から物事を認知し判断することから始まりますが、単純に表層的な部分のみ、それも自己の思い込みや体験、好きとか嫌いといった感情、損か得かといった打算、といった自己中心的な考えといった「フィルター」をかけて認識してしまう場合が多くありませんか、こうした見方をしていると大きな過ちを起こしてしまうものです。というより明らかに間違いの元となりえるのがこの「目で見る」という事に正しさが要求される所以なのです。
お釈迦様が説かれたこの世を調和へ導くための第一のカギが「正しく見る」という事なのです。この正しく見るということが出来ないと間違って見るという事なのでありますから正確な判断が出来ないのだという事になるのです。
これは間違った診察をした医者が正しい処方が出来ないという事と同様であって事態は悪化していくという事になるのですがここでの論はここまでにして(当然悪化を止める手立ては存在しているという事なのですが)、正しく見るという事に関してもう少し論じてみようと思います。
そもそも論なのですが世の中に起きている現象そのものを私たちはすべて知ることはできませんから、身近に起きている事 もっと言えば私たちに直接関連する出来事について正しく見る方法というものを考えたいと思います。
いろいろな瞬間にいろんな現象が発生しています。その現象そのものは流れている時々に意図的であろうと無意識的であろうと何らかの原因から生じているものであり、それは自然の法則である「原因結果の法則」から一歩も外れる事の出来ないのです。
まずはそのことを理解したうえで見るという事が大事なのです。正しく見るという事は現われの現象の背後にある原因を突き止めるといった心構えから「善意な第三者」として自我を捨ててみるという行為が必要なのです。自分中心の考えだと目が曇り正しくものごとを理解するに能わずという事になるのです。
冷静に物事を見る習慣を身に着けたいものです。