好むと好まざるとにかかわらず私たちは他との関係、相互の意思疎通によって様々な出来事に遭遇し社会生活を営むようになっています。
元々幸福な人生を送ることが約束されているはずなのに、多くの人々は自我中心主義に陥り他者への思いやりの心を見失いつまらぬ優越感というものに支配され、他人を誹謗中傷の言葉でさばき自己自慢に没頭している。
一方においては自らの上部に対してはぺこぺこと自己卑下し劣等感にさいなまれている。そんな人々の多いことを教えてくれているのが今の世界の特徴である。要するに他との比較からしか自分の位置づけを確立できない哀れな人だといえる。
昨今の国会での議論、またその議事を報道するマスコミ(報道しないという報道も含む)はここ数年ほどますます悪化しているような気がしている。
言葉を発する以前の思いの間違いを含めるとまさしく「世は末法」なのであろう。思う後の言葉遣いの間違いは問題多し
具体的には、国会議員のレベル低下には目を覆うばかりの惨状、またマスごみといわれる集団の能力不足、想像力の低下云々、専門家と称する集団の自己中など枚挙にいとまがない
それもこれも一般国民の教養不足に負うことが大きいのではないかと危惧するものである。
知るべきことを知り、自己中心的な態度をすて他者への思いやりを育み、正しく言葉を語り意志疎通を図る・・・特に言葉遣いは運命を創造するほどの力を持つものであることを知らなければならない。常日頃から荒々しい言葉を語っているとその言葉に波長の合う人が集まり行動そのものも荒っぽくなっていくのは良く見聞きする話である。
業界用語というものがあり、その用語は同類の方たちにとっての親和性があるのと同じように日頃使い慣れている言葉にも同類にとって心地よいものになるように・・・である。
少なくともこういった観点からも言葉を選ぶ必要はあります。様々な環境でどのような言葉が発せられその環境がどういう方たちで組織されどのような生活がそこに存在するか考えてみることも人生の学習に繋がることでしょう