人生行路の旅の途中、様々な問題が私たちの目前に現われては「さあ、この問題をどう解決するのか?」というように立ちはだかります。
ある時は苦しみ、ある時は哀しみ、ある時は怒りという具合に問題解決に向かっていたことを思い出しています。
恐らく苦しい問題は、間違いの警告なのであろう。そしてその問題の元をたどればいくつかの「共通要素」が見つかるものです。
先ずは、知るべきことを知らないために起きる問題、それをお釈迦様は「無明(まよい)」と教えられた。
私自身は問題が起きることを「警告」として認識していただろうか、単なる不運だとか偶然ということで見逃していたのではないかと記憶をめぐるために日々このブログを記しながら、「原因と結果」の法則に当てはめていくことにて目前の問題も必ず原因があったのだと気づくことが出来ました。
では前述した「共通の要素」とは何でしょうか?
私自身はこのように認識しています
1. 怒り、愚痴、不平不満の心で物事に当たったことはなかったか
2. 固定観念に縛られていなかったか、過去の出来事にとらわれていなかったか
3. 現状に甘んじていなかったか
4. 自分の未来の姿を過小評価していなかったか、またそのような言動をしていなかったか
5. 自分はダメだと自らを否定していなかったか
天のプログラムは解決できないような問題を与えることはありません
行きつくところだと私が認識している要素は1.に記した怒り、愚痴、不平不満、取越苦労に持ち越し苦労、優柔不断等の心の働きが現象化しているものとして集約されるようです、
これらの問題が単独に、複合的に原因を作っていることを知ったならばそれらの原因について反省し、間違いを伝えてくれたことに対して感謝する事です。
どのような問題であっても自らの人格向上に相応しい問題であってそのためにプログラムされていると思い、その問題を学習課題とすることです。何故なら、私たちは大宇宙の一大生命エネルギー(神)を自ら分け与えられた者、即ち「自分」なのです。それらの問題を解決することによって「人格の向上」「心の安らぎ」を得るのです。
では、何のために心の安らぎを深めていくことが大切なのでしょうか、それは神の子の自分を知るという事になるのです。
それが、本来の自分に戻るという事です。
問題が発生したことに対し反省と感謝することによって解決に向かって前進することが出来ます。
すぐに答えが出来ないものは天に委ねておく方法もよいと思います。
ともかくも、本来の自分は神の子であり人格の向上のために永遠の生命の途中である今を生きているのです。
参考文献・・園頭広周著「信仰の指針」「宇宙即我に至る道 下」 熊澤次郎著「地行合一」機関紙 長山隆庵著「こころ詩綴り」より まとめました