承前
さて、守護霊によってはじめに病院のような休憩所に連れていかれます。そしてそこにしばらく滞在することになります。死んで間もない者は、いまだ地上の波動を持ち続けているため、これから赴く新しい環境(霊界)には、そのままでは適応できません。霊的世界に入るための準備として、ここでもう一度休息の時間を過ごすことになるのです。風呂に入ってまどろむような半醒半睡の状態の中で霊体の調整がなされます。
このまどろみの最中に、地上での一生の行為や歩みがスクリーンのようなものに(そのスクリーンは現在の立体ピクチャーモーションでありのままの形として3次元の姿です)映し出されていてそれを見ながら、自分の人生の善し悪しを自らが判断することになるのです。
地上で為すべきことをしっかりしたかどうか、エゴ的な動機から行為に走って他人を苦しめるようなことをしなかったか、何が地上人生で足りなかったのかを知ることになるのです。人によっては地上時代に隠していた悪事が目の前に示されることになります。実はそれが、これまでの宗教で言われてきた「最後の審判・死語の裁き」の実態なのです。
休憩所で一定の期間を経た後、新参者は生き返ったようなすがすがしい霊的意識をもって再び守護霊に連れられて霊の世界へと入っていくことになります。
以上が、平均的な人間の死の直後の様子ですが、生前から死についての正しい知識を持っていることがいかに大切か、という事がわかります。
人間は死を迎えてもそれで存在がなくなってしまうわけではなく、霊として永遠に生き続けるという事実を知っていることは、自分の死を自覚するためにとても大切な事です。
死ねば、それですべてが終わると思い込んでいた人は、いつまでたっても自分の死を自覚できません。死後にも生があることは厳然たる事実であり地上生活中に必ず知っておくべく常識なのです。
他界後は、死者が自分の死を自覚しさえすれば、次に進むべきプロセスが自動的に示されるようになります。したがって死についての正しい知識の有無が、他界直後の運命の分かれ道になってしまいます。
尤もすべての人間も同じ結果になるのですが、そうなるための時間経過が地上的に言うと何百年もかかることになるという事です。
ある「霊界通信」では次のように述べられています。
「現代では、こちらの世界(霊界)に入ってくる多数の者が、自分の死を意識していません。そのためこちらへきて彼らは、あなた方が 死んだらどうなる かについて知っている事を何も知らなかったのです。
次回・・間違った宗教の影響力の大きさ「千年王国」の間違いについて