2021年04月07日

間違った宗教の影響力の大きさ

 生前、宗教によって「死」に対する間違った知識を身につけてしまうと、死の自覚に決定的なマイナスの影響を及ぼすことになります。周りの霊たちがすでに死んでいることを教え、地上時代の宗教の間違いをを正そうとしてもね一切受け入れることが出来ません。その結果、長い期間地縛霊として地上近くに留まり続けるようになってしまいます。
 シルバーパーチの交霊会で、地上生活時代に受けた間違った教えのために魂の進化が阻害されている霊のことが話題になりました。
それに対してシルバーパーチは、次のように述べています。

「最後の審判日を待ちながら、死体の埋葬されている墓地で暮らしているクリスチャンの霊がいるというのは、事実その通りです。それが霊界にいる者たちにとっての厄介な問題の一つなのです。
 教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているのですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならない限り、傍からはどうしようもないのです。
 イエス様の復活と同時に「千年王国」が来るのだと信じ切っているしそのことに疑問を持ちその信念がくずれない限りいつまでもその世界からは抜け出せないでいるわけです。「復活の日」がくるまで待ちますといってその場にとどまっているわけです。

 死の自覚を持たないままくらしているのです。

さて問題は、そうした他界者(霊)の側だけにあるのではありません。地上に残された人間が、いたずらに死を悼み、哀しみ続けることも大きな問題になります。地上の遺族が死者に対して未練を持てば持つほど、他界した霊はその遺族のエネルギー(念)に引き寄せられ意識が地上に引き付けられたままになるのです。
本来、死は悲しむべきものではありません、永遠の別れだと思い込んで悲しんでいるのは地上に残された人間だけであってね当の本人(霊)は生前と何も変わらない様子で生きているのでするしかも真実の愛にで結ばれた人とは将来必ず霊界で再会できるようになっています。死はすべての人間にとって新しい世界への旅立ちを意味し、物質世界の鈍重さから解放してくれる喜びの時なのです。では他界者(霊)への正しい対処とはどのようなものでしょうか
 それは、地上に残された人間が死に対する正しい知識を持っていることが不可欠です。もし死後時間が経っているにもかかわらず、遺族の夢の中などに死者の霊がしつこく出てくるようなことがあれば、その霊はいまだに死の自覚が出来ていないと思って間違いはありません。また、自分の墓についてあれこれ注文を付けてきたり供養を要求してくるような場合も地上への意識があまりにも強すぎて「霊的意識」が目覚めてないことを意味します。
 そのようなときは、地上の人間が・・・「あなたはすでに死んで、そちらの世界での生活が始まっているのです。いつまでも地上のことを心配してはいけません。あなたの傍すぐ近くに、あなたを導いてくださる゛守護霊゛がいらっしゃいますから、その方の指示に従っていきなさい」と教え諭せば、真の道を、進歩の道を早く歩み出せるようになります。これが真の意味での「先祖供養」であり「死者への供養」なのです。
霊的自覚の乏しい先祖の霊に、死んだことを自覚させることが本当の意味での先祖供養です。位牌を作ったり読経をしたり、花や果物などの供え物をしても本人の霊的意識の向上には何のプラスにもなりません。いったん本人に「死の自覚」が出来ればもはや先祖供養など必要ではなくなります。あとは守護霊、指導霊に任せればいいのです。

現在地上における宗教の死に対する無知は目に余るものがあります。人々を教え導く立場にある宗教家という者たちがね死についての事実をまったく知らないという実情は゛悲劇゛としか言いようがありません。現代の宗教の多くは゛形式的儀式゛という何の意味もないものを大事にし、それを人々に勧めています。こうしたことは、他界した者地上に残された者双方にとって大きなマイナスを生み出すだけなのです。

続く・・・

posted by 筆文字や隆庵 at 09:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする