2021年04月21日

生きていくのに必要なもの

 肉体人生を生きる現在の私たちにとって物質の存在は否定できません。肉体を維持するためには食べなければならないし、気候の変動や危険回避のためには住むところも必要だし、当然衣服も必要なのであります。
 また、日本という国家に居を構えているという事から我が国を大切に思い、居住している地域の調和を求める事も、最小単位ではあるものの家庭や個人という存在もないがしろには出来ません。治国平天下という言葉があるように私たちの世界の平和に対する貢献の仕組みはこの言葉に収斂されているような気がします。
 世界平和の前に治国・・各国が自国の調和を図っていくこと。これは内政という事柄で政治家の力を存分に発揮していってもらいたいものです。一般の国民の代わりにあらゆる生活分野特に経済や衛生問題、何より防衛、外交という分野こそが日本国の政治の要でありましょう。つぎに地方地域のことに関しても同様、地方自治体が最も適した仕事に全力を尽くしてもらいたいのが知事をはじめ地方議員の役割でありましょう。付随して公務員の方々の奮闘もそこに集約されるべきです。
 では、大多数を占める一般国民である私たちがよりどころとする事とはどんなことでしょうか、斉家・・・家庭の調和、平和こそが大切であり
最も身近な家庭という名の組織が平和であることだといっています。そしてその家庭内の平和を担保するのが修身という事になるのです。

 あの世という存在があり、この地上界での目的がわかれば当然のごとく修身という徳目に行き着くはずなのですが、多くの人は間違った知識や習慣、人類が持ち越している悪の想念などに影響され本来持っておくべき゛愛と慈悲゛の心を見失っているかの如き世相を作ってしまっています。
 過去に遡ってみてもこれらの教えは言葉は違えても同様な意味を言い伝えてこられたという事を認識しなければならないと思うわけです。人類の歴史上最も近い過去に「イエス・キリスト」といわれる大覚者が地上の世界に生を得られ、多くの民にあの世の存在、生きるすべに関し伝道していくのですが、その際に行く手の障害になったのが「モーゼ」の教えであったとされているユダヤ教だったのです。そのユダヤ教もモーゼの神の教えが、真実の教えが、時の権力者によって聖書が書き換えられ間違ったものが一般大衆の間で広まっていたという不幸がありました。「イエス」はその過ちをも伝えなければならなかったのです。結果的に十字架にかけられるという前代未聞の出来事で地上での生命を絶たれてしまったのです。しかし、その後の経過を考えるとわかるように「イエスの教え」は全世界に伝播していったのです。これが今から約2,000年ほど前のお話です。

その後はまた、時を過ぎ間違った解釈がまたもや大衆の間に広がっていってしまいました。

・・・・参考図書 高橋信次著「心の発見」より




posted by 筆文字や隆庵 at 12:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする