宇宙と霊界に遍在する「神の愛」とは一体どのようなものでしょうか。という前に「神」とは何でしょうか、そもそも名前などあるのでしょうか、そもそもそんなものは架空の世界の話であって存在すらわからないもので、あくまでも人間が想像した産物、形而上学の中にあるものと考えているのではないでしょうか。
現代科学では凡そ46億年前に宇宙がビッグバンによって誕生したといわれていますが、それ以前はどうなっていたのでしょうか、何かが宇宙を創成したのだというのが聖書創世記に書き下ろされ、また日本の神話においても古事記の冒頭は国造りの在り方が擬人的に記述されています。時とところを替え人種の境界もなくほぼ同じように記録があるという事に不思議さを思わずにいられません。その何かを便宜上「神」と呼んでいるわけです。即ち「ありてあるもの」という解釈が最もその存在を言い当てているような気がします。
永い人類史上で神はどういう言われ方や存在が認められてきたのでしょうか、多くは神の意識の仲介者であると自認している「教会」「神社」「仏閣」などに祀られている者が神であるといわれてきました。その場合神には人格があり、性格があり、好き嫌いがあり、民族間格差がありという具合に勝手に仲介者によって解釈がなされその多くが現在まで影響を及ぼしています。
このブログで紹介している「シルバーパーチ」は次のように述べているのです。
私達は一片の信条、一冊の経典、一宗一派にこだわるものではない。ただ生命である神、その永遠の法、これに命を捧げるものである。
つまりは○○教とかは一切関係なくただありてある「神の愛」によつて生きているという事を実感するのみであります。
また、天地創造の順序方法に関しては「人間釈迦T」高橋信次著 157頁 お釈迦様の偉大なる悟りに詳しく描写されています
・・・この大宇宙は神によってつくられた。大宇宙が発生する以前の大宇宙は、光明という神の意識だけが、そこにあった。神はその意識の中で意思を持たれた。大宇宙の創造は、神の意思によって始まった。
意識の働く宇宙と、物質界の宇宙の二つの世界を創造した。意識界の宇宙はその意思をもって物質界の宇宙を動かし、そうしてこの二つの世界は、光と影という相関関係を通して、永遠の調和を目的とすることになった。神の意識は、永遠の調和を目指し、そうして、二つの世界にあって、調和の要である中道という法秩序の中に住まわれることになった。
人間は、天地創造とともに、神の意識から別れ、神の意識を受け継ぐ万物の霊長として産声を上げた。人間の誕生は、意識界という実在の宇宙に、まず姿を現した。そうして、神の意思である調和を目指す神の子として、物質界に降り立ったのである。物質界に降り立った人間を、地上のめで見るならば、大地の片隅に忽然と物質化されたといえるだろう。人間以外の動物・植物・鉱物もこうしたプロセスを経て大地に姿を現した・・・・
是非ご一読あれ
とにもかくにも私たちは神の意思によって地上界と霊界を行き来しているのです。
このことが「神の愛」を知るために必要なのです
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