2021年06月30日

思想と習慣

 世界の歴史は特定のリーダーたちの思想、習慣、五感を通した考えや人間の持つ自己中心的な行いによって現象化されたものであり、それぞれの時代という時の流れの中の、ある一点の思念と行為の結果として作られていきました。
 もともと性は善なりという事を知っていながらも知らず知らずに培われていった誤った考えの結果いまだに戦火が途絶える事のない現実が作られていっています。
 また、兵器のない戦争、情報を駆使した戦いも現在水面下で進んでいるという事も事実であります。いわゆる情報戦というもので主にマスメディアを利用した国家侵略があちこちで勃発しているのです。
 ここのところ「伝収録」を読むという書籍(吉田公平 著)から中国における思想界について考察しているのですが、中々人間とは何かといった観点から儒教という哲学的記録を読み取るとき「文化大革命」といった代物が大中華を腐らせていったと考えざるを得ないのです。

今一度考えてみよう・・・なぜかの国で四書五経なるものが生まれ人としてどう生きるかといった思想が体系化され、かつ我が国にも影響を及ぼしていったのかを・・・

 孔子が説いた論語を元に各世代の王朝は自らの栄華を磐石にしようと試みたが、本来の人間の質に気づくことなく自らの立場のみを守ろうと固執した結果次々と王朝は戦いによって取って代わられ、殺伐とした歴史を繰り返してしまったのである。
 ここで考えられるのは各王朝が学問は学問としてとらえ日常の生活にとっては、全く活用しなかったという点があげられるのではないかという事であり一切関連性を認めなくただ勉強のできるやつとして当時の官僚を存在させていたのではないか、官僚はまた出世だけを目標とした自己中であり各人がほとんど自己中心主義になってしまっていたのではないかと想像できるのであります。

これは、朱子学における格物致知を誤って活用していった時代にもあてはまるのではないかと小生はおもうのであります。

 
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2021年06月27日

陽明学からみた朱子学

 朱子学を学びし後世の人々は、格物致知という概念にて聖人となる基本は、天理そのものになることだという事をわきまえずに逆に知識の量や才能の大小ということで聖人を追求した。
 そこで、聖人は何でも知っているしどんなことでもできる人の事だから我々はぜひとも聖人の膨大な知識・才能を一つ一つものにしてこそはじめてよろしいことだと考えた。

 その結果「天理」そのものになることをなおざりにして、無意味にも精力を使い果たして書物を研究し、モノの名称を考察し、事績を調査して知識が広くなればなるほど人欲益々旺盛になり、才能力量におぼれ知が豊かになればなるほど「天理」はますます蔽われてしまった。

 知識・才能を得るための努力は否定されるものではないのだがその裏にある個の立身出世欲や財に関するためのものとなるとき人は堕落するのである。
 陽明はこの点に関して朱子学を批判したのである。
 つまり、先天的にすでに天理であるはずの私たちに後天的な個の欲という不純物を付けてしまい本来の人生の目的である人格の向上を邪魔しているのである。と論じたのである。

 ここで聖人となるための基本をわきまえていないと決めつけられているのは「朱子学徒」である。後天的に知識、学問、才力を得ることのみに努めるのはその動機によって天理から益々遠ざかるものだと王陽明は「本来聖人」を確信しきれていない朱子学を似非の性善説というのである。
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2021年06月24日

陽明学の骨子

聖人の良知は、雲一つない青空の太陽と同様に全くさえぎられていない。賢人の良知は、片雲のうかぶ空の太陽同様に一部分がさえぎられている。愚人の良知は、黒雲のたれこめる空の太陽同様にすっかりさえぎられている。このように良知の発現に明暗の違いがあるといっても、ちゃんと黒白を見分けるという点は同じである。真っ暗な夜でも物事に黒白を見分けるのは、それこそ太陽の余光がつきていないからである。苦心して学ぶという努力をするとは、この一点の明るさを基点にしてとくと考察していくことなのである。

阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」にある言葉に「蒼天かける日輪・・・」とありますがまさしくこのことなり
人もすべては雲がかかっているように見えても実は燦然と輝く日輪は常に健在であるという事です。
したがって、その曇りさえ取り除けば光り輝く善なる存在が私たちの本質である。と陽明は論じたのです。

その曇りとは自我我欲というものでありその自我にまつわる心の動きによって現象化される不都合な状態をいうのですから、それを取り除く努力をせよ・・という話なのです

さて問題はこれらの思考は学問であるか否かという論があり、確かに「朱子学」であり「陽明学」とよびあたかも学問である訳ですがもとはといえば四書五経の発展的理論なのであり日々の暮らしから政治に至るまでの段階的な成り立ち、システムを解説したものとなります。

治国平天下は斉家、修身からスタートするのだといった考えを重点的にまとめたものに朱熹と王陽明の思想が加味されたのが14世紀15世紀あたりの江戸時代に学問として入ってきたのであります。
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2021年06月23日

人元来本質即善成

 須らく人は本来善でありまごうことなく天理の存在であるはずなのに。なぜ世は乱れているのか・・・という問いに王陽明は下記の如く述べる
善は先天的で悪は後天的であるのであって、その本質は善そのものである。

 生まれたばかりの乳児には善悪の区別そのものがないように、悪という概念はその児の成長に伴う様々な体験が後天的人格を育てていくのである。周りの環境、教育、思想、習慣。そして五感という肉体的な感覚に支配されながら日々を送っていくためにだんだんと天理から離れていってしまい本質を忘れ、自己中心的な自我我欲に翻弄されていくのである。(昨今の物質至上主義をみよ)

 物そのものはその存在の性格上、入手することによりある手段を得るものであってその種類はそれこそ千差万別の代物であり、ある人にとっては、有用な手段として存在するがある人にとっては何の意味もない物として扱われるという事は枚挙にいとまがない。

 陽明学では天理に近づかんとするものはまず私欲なるものを捨てよというのである。
・・・・

 聖人が聖である理由は、人格(心)が天理そのもので人欲のまじることがないこと。この一言です。ちょうど純金が純粋である理由は、その金の純度が100%で銅や鉛が混じっていないのと同じです。
 ですから人間は天理そのものになってこそはじめて聖なのです。

モノの多寡に聖人か否か それを求めることではなくその純度こそが大事だということなのでしょう。
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2021年06月17日

朱熹の事

 朱子学も陽明学もともに「意」を「心の発する処」と定義した。
陽明は「意」を誠意と私意に区別した。
 私意は後天的であり悪を生む意となり本来完全な善であるという自らを覆ってしまうのである。
 世の中における悪といった現象ははその後天的に身についた悪癖が引き起こすものであり私意がなくなり万民がともに豊かな人生を、本来は送れるはずなのである。
 という事であり、悪は専ら根源的に「非在」なのである。
 したがって「私意」を働かせれば悪を生じさせる危険をはらみ「誠意」を働かせれば善が生じるのである。

 しかしながら現在の世界は物質主義が正義とばかりに唯一の価値観になり果てている。

 八百年前に説かれた「朱子学」・・朱熹の思想として「格物論」というのがあり世のすべてのものは天理より起因しているがゆえにそれぞれの人間が有する知識、才力の分量によって比較することを覚え、結果的に「功利主義」に堕落するのである。と陽明は朱熹の論を批判するのである。
 より多くの者を持つものが偉大であり、そのものの質に関しては問わないといった心を誘発する恐れがあると陽明は論じたのである。
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2021年06月12日

伝習録より

 人間は本来完全であり善であるという王陽明とその弟子たちによる問答を書記したものであり「陽明学」の神髄である「良知」「知行合一」がいかなる理によって成り立っているかを知る教材であります。
 凡そ「四書五経」を基本としている、人間いかにあるべきかに関しての思想哲学を元にその発展形としてより具体的な行為推進といった生き方の基本をまとめたものであり、特に「朱子学」との比較が興味深い。

 陽明は次のように述べている。人はすべからくその本質は「善」なのであるから「悪」の世界からは救われて存在せしめられている。現実にはいかほどに深刻に悪を顕現していようともそれはあくまでも非本来的要因(後天的な習得、身体的欲望など)に起因するにすぎないのであるから「本来の完全」であることを回復しさえすれば、その悪から救われるのである。そして人間は本来完全なのであるからそれを回復する能力を完全に固有するのである。

 つまり人間は自己の外に存在する救済者を必要としないのである。

 この徹底した自力主義が王陽明の思想の中核であるのです。

 一方において陽明出生時より三百数十年ほど前に説かれていた「朱子学」の提唱者「朱熹」はどのように人間の本質をとらえていたのでしょうか
朱熹もまた「性善説」主張することで「自力主義」を基本とするがそもそも「性即理」とはいうものの「心即理」とは言っていない。朱熹は心と性(創造発見力え心救済力)とは心がその性を統制下にあってこそ初めて心を介して発揮されるものと説く。

 ※「性即理」とは性・・・人間が持って生まれた本性・・・が即ち「天理」であるとする説で人間の本性は天理に適う「善」なるものである
   (性善説)という考え方である。
性とは、仁・義・礼・智・信の五常であるがこれは喜怒哀楽の「情」発達する前の未完の状態である。

 朱熹は次のように述ぺている人そのものの人生は後天的習得、身体的欲望などに深く縛されるものと苦慮し、根源来処の天理に答えを求めよ
うとしても天はものを言わない、
そのために、天理の実現者である聖人(この場合「孔子」という個別者・・・天の代理)にたいして格物に求めそれを神性化し天の意思として依存する事にて生き方を決めるという事なのです。

 実はこのことこそ陽明が朱子学を批判する骨子であったものと思われる。
posted by 筆文字や隆庵 at 09:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月03日

卑しい人々

 私たち自らの存在理由を考えたとき、じっくりと心の奥で考えたとき 果たしてこれでいいのかと考えたたことがあるのだろうか。今まで思ってきたことや行ってきたことが自分の心の中で、真の自分が納得しているのだろうか。毎日のようにテレビのワイドショーは誠に薄っぺらい感情によった見方であることないこと、ないことあることを各マスコミが右へ倣えといった風に報道を続けている。「武漢肺炎」という言葉はすでに死語となっているのだが、なにより国の特定をすることは差別だそうだが、いや待てよイギリス種だインド種のコロナだと堂々と述べているではないか、なにこのダブルスタンダードは、まったくもって卑しいマスコミの典型的報道姿勢である。
 一時期はコロナ感染数で過去最多だの、日々視聴者を恐れさせている報道ばかり。はっきりいって感染数とは何かの定義もあやふやで単なる陽性者の数だという事らしいし、発症者ではないという事を知らなければならないしそもそもPCR検査の信ぴょう性も70%程度だともいわれている。はたまた病床数不足だと報道しているが医師会が非協力的だともきいている。
 世界に比して日本の感染者数が「さざ波」程度と述べた識者はマスコミの集中砲火を浴びる・・・グラフをみると確かに我が国の姿はどう見てもさざ波程度であるがテレビではその部分の上にテロップがかかり見えにくくしている状態にしている。
「緊急事態宣言」の意味も一体どういう原理で進められているのかもわからない、飲食店がまるでいけにえのような仕打ちになっている。このことに関しては飲食企業から訴訟が起きているようだ。

 特定野党は政府批判とばかり対応について、あたかも政治家の仕事をしているといわんばかりに首相に詰め寄ってるのだがその論点の所在は実に軽薄であり、論理展開はあまりにお粗末。我が国では「緊急事態」といっても法的裏付けなどなく拘束力を高めるのであれば゛憲法を改正しなければならないのだがこの部分には全く触れない。
 まったくもって意味不明な政治屋の跋扈、反日的言動をあおるマスコミ、盲目的に従ってしまう国民各位。一体どうなっていくのだろうかと危惧してはいるもののユーチューブなどで発信していられる識者の存在があることを知りすこしだけホッとしてるわけである。

 今日テーマに上げた「卑しい人々」に惑わされることなく真剣に前を向いて歩きたいものです。

 ※ 卑しい人とは、自らのおかれた立場の本質を理解できず理解しようともせずただそこで得られる物質的利益にしがみつき、きゅうきゅうとしてその場にしがみついてる人のことであり、自分さえ良ければ他はどうなってもいいと薄っぺらく思っている人のことをいう。
 薄っぺらとはさしたる知識も教養もないものがその場その場の思い付きの言動で得意げになっている様をいう。
   したがって、判断材料となっているのは自らの乏しい知識や体系付けされていない自らの体験からならまだ許せるもののそもそも単なる妄言だから始末に悪い。そこには反省がないため成長もない成長がないために最終的に自らが自らを知ることもないのである。

posted by 筆文字や隆庵 at 09:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする