2021年07月30日

信用のできない人達

 多くの方たちが様々な情報を届けてくれる。本来ならば誰誰が言ったという観点からではなく何があったか、正しさとは何かという観点からその情報の真偽を判断するのですが、この場合の客観的事実を知るにはやはり数値や直に接した現場の形などによって確認される。いわゆる「エビデンス」「証拠の品」というものでありそれぞれの信ぴょう性が問われるのである。

 現代のマスコミの情報がいかに間違っているかは、SNS インターネットの普及によって真実かどうかのチェックが容易になってきている。
従来のような一般の方たちに伏せられていた世界が今白日の下に晒されている環境が出来つつある。
毎日のようにネガティブな情報を提供してくれるワイドショーも最近は五輪騒動でまずまず不愉快さは薄れてきたが、ちゃっかりと「コロナ感染者が増えて怖いぞー」とテロップで流すのが気になるところ。

 先日東京都が感染者増ではあるものの重症者、死者とも減少状態だからマスコミも必要以上にあおらないようにと告知してましたが。早速立民の何がしという議員様が東京都の発表は虚偽であり実際は重症者は10倍ほどあると発言しているが、ならば死者も10倍くらいになっていないとおかしいがそうはなっていないではないかとSNS上で反論されていた・・・

 もともとこの議員様は変な発言で炎上しているので、そもそも信じられないというのがいきわたっています。その他ダブスタ発言が通例となっている著名人やエビデンスの不確実な公的発言の自治体、政府、誰も信じていないかを表しているのが「緊急事態」なのに増えているコロナ感染者数が物語っているではないか、既存メディアも信用ならんという事はネット民の間の共通認識になっている。

 いずれにしても普段の言動から真偽のほどを判断してしまうというのが世の常である。

くれぐれも「オオカミ少年」に注意しようではないか・・・
posted by 筆文字や隆庵 at 09:17| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月28日

知性の欠如

 物事を判断するに必要な事として民間企業経営の手法を取り入れればいいのにそのことをないがしろにして政策等立案する「官僚」諸氏に対して進言したいと思う。
 基本となる考え方の元になる理念とはなにか・・・企業ならば自らの存在のために守るべき大綱の事でありおおよそ宣言文として多くの会社は行動指針として位置付けている。我々は一体何者なのかという事を内外に訴求すべき項目なのである。まともな企業には必ずこの理念を持ち、守ろうとする。

 この理念は哲学でもあり、物事を推し進めるために外してはいけない概念であろう
次にこの「理念・哲学」を死守するために具体的な方針【企業経営方針】を決め込んでいきそれは具体的な形として表現されるべきものである。

 ここで重要なポイントは経営を取り巻く環境情報を正確に的確に収集し「今、どうなっているのか」「なぜ、こうなっているのか」という項目を理解することにある。自らの理念を実現していくためには現状の環境下においてなすべ項目を列挙し、問題を解決するための経営資源をどのように配分しどのように行動計画を作成するかを決めていくこと。【戦略】という。

 この重要なポイントである情報の収集・把握といったことをまず実施しなければならない。
という事は最低限の知性を持ち、論理的な背景を踏まえてトレンドを掴まなければ、当然その判断の 方向が間違うという事になり結果として本質、つまりは理念の実現、経営方針の未達成につながりかねないのである。

 官僚は当然「国益」に適う政策立案という理念実現にその能力を傾けなければならないと思う。
 残念ながら、小生には官僚諸氏が「国益」を優先的にしているようには思えないし、ましてや政治家においてをやであり。実業家、資産家それぞれも「自分第一」といった全く無責任な状況となっていると嘆く次第である。

 一方「国民」においても嘘つきマスコミの情報操作になんら疑いもなく踊らされている様を見るにつけ、賢く、正直な国民故の真面目な対応に危機感を感じるものである。今回の「コロナ禍」も毎日マスコミはあおっているが。厚労省発表の数値の感染者の報道ばかりで国民を脅しているのである。感染者増だが死者減少の傾向に関しての報道、コメントともなく、全く目隠し状態に国民を追いやっているような状況である。
 国も自治体もこのマスコミ・悪意ある報道に踊らされている感がありありとみて取れます。

 なにか裏があるように思ってしまう。
スマホで厚労省のホームページ閲覧できるのでコロナ関係のデータ確認すべきである。

https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kokunainohasseijoukyou.html
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2021年07月27日

煽りのマスコミ

 東京で過去最多に近いコロナ感染者などと相も変わらず煽るのが好きですね、というより全体像に関して何も報道しない姿勢はマスコミが不要であることの証明。
 7月26日現在の厚労省発表の「コロナ情報」から私がまとめてみました。
2021年2月17日から7月26日までのデータから
 
         感染者数   死者数     一日平均死者数

2/17〜3/15     7247     406        15.6

3/16〜4/15     12530     239         7.9

4/16〜5/15     22583     123         4.1

5/16〜6/1     9729      111 6.9

6/2 〜7/1     13181     174         5.8

7/2〜7/26     26113     41         1.5


ワクチンが進んできた7月の状況は、はっきり死者の現象を表している。という事は重症者も減っているという事
感染者の大半が若年層であるという事は回復力がある方たちだという事でそんなに大騒ぎすることではないという事
このままの報道姿勢を取り続けても何の意味もないことを知らなければならないし、「ワクチン」の存在が計画通りの動きであるとという事を政府の公式発表としてほしいものですね、このままでは永遠に「緊急事態」ということになりますよ。



posted by 筆文字や隆庵 at 18:17| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月22日

正しい生き方について

 この世に生きている以上すべての物質、動物 植物 鉱物のすべてには各々の役割というものがありそれぞれが単独で存在しえない環境にあるのです。太古の時代から今日までそれは永遠という名のサイクルによって相互関係の中に安定しているといえます。
 人をはじめとする動物は酸素を取り入れ二酸化酸素を排出する、植物は二酸化炭素を取り入れ酸素を吐き出す。この循環があるからお互いに共存できるし、太陽の熱光や放射エネルギーによってつれまわっている惑星の存在に関与しています。水という鉱物はある時は水蒸気となって温度調整に力を発揮し、ときとして飲み水にまたあめや雪となって大地の養分となり微生物を育みます。また太古に存在した恐竜や様々な廃棄物は現代の人間のエネルギー原として土中にまた海底に存在しているのです。

こうしてみたとき私たち人間の存在はいかなるものでしょうか

そこに仕事という事を考えざるを得ません。ここで述する仕事の定義は単なる経済的報酬を得るための行為にとどまらず人としての役割がそれぞれどこにあるのかを考えるという事です。昨今様々な報道の中には男女の差を失くそうといった「ジェンダー運動」なるものがクローズアップされていて女性の地位向上などの話が多々あり、政治活動にまで持ち込んできています。そもそも男女が人として平等なのは当たり前として昔は男尊女卑などといった話がまことしやかに伝えられておりあたかも女子が虐げられていたかの如く言われますが果たしてそうだったんでしょうか?

 表面的で声の大きいマジョリティの意見がさも全体の意見のように思わせるような報道の仕方にも問題があるのですが、そもそも肉体的に男女はその機能そのものが異なっているわけで当然「役割」も違ってくるのは当然な事です。確かに優秀な女性も数多くあり実社会において強いリーダーシップを発揮している場合も少なくありませんが、その方たちは女性だからという事ではなく役割をこなせる実力があった人間であるという事にすぎないと思うわけで万人がそうではないでしょう、このことは男女という性に関わりなくです。
 仕事というものの本質はなによりも環境の調和が目的であってそのことが生活の調和をもたらし平和な暮らしを実現していくのです。
また、仕事に関してのもう一つの側面を忘れてはなりません。それは仕事を通して己の「人格向上」を果たすという事です。人生の目的と使命はこの「人格陶冶」と「世界平和」の実現という事に収斂されていくという事を忘れてはならないのです。職業に貴賤なしとはこれらの目的に沿ったものという前提からいえる言葉なのです。

 卑しい仕事とは、嘘で塗られたもの、自分さえ良ければいいという欲望にほんろうされたもの、社会そのものに悪影響をあたえるものなどよーく考えてみたいと思います。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:01| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月21日

よーく考えよう

あまり物事を深く考えない人が増えてきたと感じます。というのは実に表面的な情報に左右され、その情報の実態に関してなんの疑問も持つことなく日々を送っている人。
彼らはいたずらに自らの行動に障害をもうけ不幸な路道を歩んでいて真実を探求する意見もなく脊髄反射を繰り返すのです。
これじゃ動物の情報処理能力と変わらないといえるのではないでしょうか。
この2年余りどれだけ「武漢」より発生し世界を巻き込んでいる通称「コロナウィルス」の情報にかき回されてきたかを考えると明らかな現象がそこかしこに現われてきています。すべてはマスコミに意図されたことのようでありとてもまともな情報発信態度とは思えないあおり方に辟易しますが、理性的でなければならないはずの政府までが踊らされています。
ワクチン接種以降現在に至る道筋の中でもnhkをはじめとする放送局並びに朝日等の新聞各社がこぞってコロナ禍は政府の対応のまずさなどといった論法で報道し続けています。
本日東京の感染者が1000を越えたとかいってさわいでいますが、重症者は減っており病床も十分たりていて改善されてきているといった類の報道は皆無・・・ネットで流れている識者の情報を見ると、地上波のニュース番組の方は頗る片手落ちの情報ばかり、あえて国民に知らせていないのであろう・・・現代の日本のマスコミは「反政府」というキーワードで報道しているように感じてしまうのは小生だけではあるまい。

あえて言うならば今世界は第3次世界大戦ともいうべき「情報戦争」の真っただ中にあるともいえるのではないかとも思う今日この頃です。

さて、そういった環境の中でも私たちは「幸福生活」をしなければならないのです、それには物事を深く考え抜くという事と同義ではないでしょうか世界の歴史の中で銃弾が飛び交っていない所謂戦争のない平和はわずか500年程度しかないのであると何かの本で読んだことがありますが、
そうしたなかでも「平和な幸福感」をもった人々もたくさんいたとも記されています。
少なくとも身近な人々と嘘のない暮らしを心掛け、日々を正しく「利他主義」で生きようとするときに私たちの本性である「人間本来善」というものが表面化しいかなる困難も乗り越えられるものと信じているのです。

小生のブログテーマは「人はみな神の子なり」という事を原理原則として今まで数百にわたり記事にしています。バックナンバー含め一読いただければ幸いです
posted by 筆文字や隆庵 at 10:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月20日

昔の話

人生の目的を成就しようと思う時にどうしても「目標設定と行動計画」が必要だと思い至ったのが、30歳を迎えた頃でした。
仕事に夢中だった私は、海外の特に米国の経営理論の勉強とその実践による理論検証の積み重ねの日々を、送っていました。その当時の経営理論の骨子は軍隊の組織と運用がモデルとなっていると教えられていました。
米国式合理主義を基本とした人の配置や教育やオペレーションシステム(作業のしくみ)
物質至上主義による業績優先主義。当然のことながら人は業績をつくるための材料であるかのような扱い、米国におけるエリートと非エリートの格差の広がりは日本における格差とは比べられない状況であったにもかかわらず、多くの日本企業がこの理論を取り入れ業績を伸ばしていったのです。
私は数々の書物に触れながらもどうも納得がいかなくてもっと違った経営理論がないものか、いやそもそも人生とは何なのか人生の中の一部が経営理論、経済であってすべてが合理主義的経営理論ではないのではないかと考えていたころに出会ったのが自己啓発テープと書籍「成功哲学」、ノーマンビンセントピールの「積極的考えの力」といった一連の「クリスチャンニューソート」といわれる思想の教えでした。
それらにかかれていたアイデアのポイントは、偏った生活の否定。トータルの幸福が必要であるという事。ジキルとハイドのような性格の否定。つまりは人格の向上こそが大切であるとの内容でした。
大まかに次の6項目のバランスを大切にせよという事です。

これらのアイデアを経営に持ち込むことが出来れば理想だと考えたのですつまり
1. 仕事と経済に関すること・・お客様にとって良い商品を提供す事で収入を得る
2. 家族と家庭に関すること・・家族主義経営 社員は家族であるということ
3. 教養と教育に関すること・・社員教育、技術や知識の習得
4. 健康と身体に関すること・・健康診断の実施などと同じく心の健康も留意する
5. 社会と文化面に関すること・地域社会への貢献
6. 精神と倫理に関すること・・経営理念とコンプライアンス

又逆に考えると私たちの個人の人生も経営という観点を持たなければいけないと思ったわけです。
posted by 筆文字や隆庵 at 12:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月15日

不思議な話、ダブスタ

 米国プロ野球「オールスターゲーム」開催が大谷選手の活躍のおかげで我が国でも大盛況の様子を伝えている。海外での日本人の活躍はいつも私たちに勇気と希望を与えてくれる。
 しかし、その状況を見るに変なことに気付いた。かの国の球場内の観客にマスク姿はない。「コロナ禍」が我が国の報道の主役なのだがその何倍も感染者?陽性者?がいる国の様子を伝えるスタンスが変なのです。
 まず、誰もそのことに触れない、次に触れたとしても日本ではワクチンの遅れがあって・・・云々
これってデータの読めない事を暴露してるようなものだしいつものような反日騒動かな、また五輪無観客に至っては笑止千万、世界の中で最もコロナ禍の感染影響の少ない国なんだけどね。こんな日本に誰がしたなんて思いたくもなりますよ。
 科学万能とは言えないけれど数値は嘘つきませんよね、マスコミの罪は重いと嘆いている今日この頃です。

この世もあの世もすべては「原因と結果の法則」から一歩も外れることがないのである。生きているうちに結果が出るということはむしろ幸福なのかもしれません。嘘には嘘が真実には真実が帰ってくるのです。

嘘を流しているダブスタのマスコミやそれに加担している個人や組織には必ずその反作用が来ますしそれには慈悲というものがなく機械的に出来事が発生するのです
だから、早く反省し修正したほうがいいのです。

テレビや新聞社の経営がだんだんおかしくなっていると側聞しています。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月11日

マスコミの悪意と言葉の限界

昨今のマスコミの「報道しない自由」に関しては多くの人達によって情報発信されているネット社会の中では通例になっています。
ネット社会とは言ってもその情報は玉石混合であり、ちゃんとした証拠などはっきりしないままに流されているきらいも確かにあります。しかしながら、地上波における情報操作には目に余るものがあると感じているのは小生だけではないだろう。
本日もまた東京ではコロナ感染者が600人越えとか単純に報道しているがざっとした内容のみで詳しくは報道しないようになっている模様なのですか具体的な言葉の定義もなしに発表するのはおかしいと思うのであります。
感染者の定義は陽性者とごっちゃとなり本来は発症者といわなければ区別がつかないではないか、また重症者とはどんな状況なのか、完治者の数も発表しないと片手落ちですよね、また諸外国との比較もなければいたずらに「恐怖」をあおるやり方には怒りを通り越してあきれてしまうのです、どなたかが提唱している「ゼロコロナ」論議のばかばかしさや、酒類提供の禁止といったまるで関係ない愚策ぶり、エビデンスのない各施策はもうすでに多くの国民が気づいている事なのです。
とはいうものの連日の「テレビ放送」という状況は尋常を通り越して「狂気の沙汰」であります。何気に視聴しているご老人にとって唯一無二の情報源がテレビであり、ひびこれだけ「コロナ」を言い続ければ当然恐怖にかられるのは当たり前ですし、その影響は多大であるわけです。
一方においては熱海の土石流の原因追及の緩さはなにか政治的な裏でもあるかの如く沈黙状態、許認可事業の実態や県、国交省の関与などうたがわしいことばかり
また中国に対する政策や、尖閣列島の情報など「国民」の知る権利は一体どうなっているのであろうか、ユーチューブで流れている情報を見るたびにマスコミ諸氏の存在価値をうたがうものである。

ということで、情報発信の言語に関して考えてみたいと思います。この世の多くの出来事は言葉と映像によってある程度は認識できるものと思っていますが実際に誤解が多く含まれていることを知らなければなりません。言葉はその言葉を発する人によって嘘か誠かという事を、判断しがちです。先ほどから述べている[コロナ」関連の情報のように適宜なエビデンスを発表しない言語空間や国民が知る由もない場所にて繰り広げられている国家の方針策定の様子を創造するにまず「信ぴょう性」を疑うところから出発するため本来とはかけ離れた現実が世を覆いがちです。そこに真実らしきものを語る人が現れると、それを一斉に否定する動きが活発になる。とすると否定の肯定という論で今まで流してきた情報が嘘であったという事なのではないかとまたまた疑ってしまうのであります。

 世の中は実は何となく○○に違いないといったあやふやな感覚で進んでいくのです。
物事をじっくり考え抜く習慣を持たなければ正しい生き方が出来ませんし、知っていなければならない事を知らなければならないのです。
知るべきを知らないことをお釈迦様は「無明」といわれ戒められたと聞いています。


 
posted by 筆文字や隆庵 at 12:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月05日

薄っぺらい思惑

 もうずいぶん昔の話、私が高校生くらいの時(昭和40年代の半ば頃)の事を思い出すたびに当時の世相と現代とそんなに大きく変わっているわけではないのだなあと感じるのである。
大衆というか、人々というか、環境というかそれぞれの動向はその本質において何ら変化なく21世紀の現代も50年前のそれも金もうけこそが唯一無二の目的かのように突き進んでいるようです。

 がむしゃらに労働してきた敗戦後の我が国が当時の世界戦略の中に(特にアメリカを中心にした白人国家の思惑の中で)組み込まれていた所以か国家の哲学など忘れなりふり構わない物質主義に翻弄され、現代に連なっているのである。
 学問は単なる出世のための薄っぺらい学歴という名のお墨付きを得るための手段となりはて、その学歴のために前段階のほとんどの暮らしは受験という名のハードルに挑むための日々。

 目的そのものが自己中心的であるために生じる葛藤は当時の私たちに暗い影を落としていったと記憶しています。当時の若者たちを称して「三無主義」といわれていたものです。※無気力 無関心 無感動 
 さらに、虚無主義や無政府主義などが加わり先輩たちの「学生運動」なる自己満足的なマスターベーション的な政治活動など云々青白き薄っぺらい思惑が少なからず当時の私たちに影響を及ぼしていたものと思います。
 一方において「ノンポリ」と称していた若者たちの間には「音楽」という自己主張の手段が与えられます。簡単なコード進行で演奏できるということで多くのギタリスト?が生まれその中からスターが登場していきます。

体制への反逆という意味合いを持ちながら新世界の創出という意気込みはいつの時代も若者たちの「特権」だったのでしょう。
その時代の若者たちも様々な紆余曲折を経て、それぞれの世界の中で活躍をしていくのですが、学歴社会を勝ち残っていった連中による間違った「エリート主義」を振りかざした結果に生じた1990年代のバブル経済の崩壊をはじめ、政治の世界の体たらくぶりは三流と呼ばれる政治家を数多く生み出し、昨今では人の命を守るはずの「日本医師会」自分たちを守ることに汲々とし、教育界も近隣諸国の圧力に屈し虚偽の歴史教育なるものを青少年に伝える機関になり、マスコミに至っては国家崩壊でも画策しているかのような報道に終始しているのではないでしょうか。

世界の中でも名だたる教養と品位を兼ね備えているはずの日本人がこのざまではいかんのだ・・

と思うこの頃ですがこのようにしたのは50年前の若者であった私たちの責任と思い反省している次第です。

posted by 筆文字や隆庵 at 11:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする