世に多くある話ですが、実に薄っぺらい思考と何となくマスごみに流され浮薄に生きている人の多さに明日の人類の在り方に危機感を持ってしまうこの頃です。
真偽のいかがわしい報道をそのままの形で受け止めてしまっている様を見るたびに正しい知識の習得がなされているのかと疑問に思ってしまうのです。
知識不足は罪なのです。知らないという事がどれほど周りに悪影響をおよぼすかを知らなければならないのです。
何故報道をそのままの形で信じてしまっているのか、なぜ嘘を見抜けないのか それは各個々人の教養のなさから現われているのです。
教養とは学歴でも暗記力でもなく論理的かつ科学的な視点と豊かな人間性 そして報道内容などの判断は
真の人間としての生き方の本質をどう捉えているかによって、真偽に関してある程度正解が導かれるものだと思う。
王陽明はまず私心、私利私欲がない状態を保っていることが真の人間であるための入り口なのである。としている
その観点から物事を見てみるといかに「私利私欲」にまみれた社会になっているのか知ることになります。政界しかり財界しかりそして教育界に至るまでその欲を軸に動いていると思わざるを得ないのであります。