2021年10月31日

目標設定の在り方

 目標を定め、その目標を構成している背景や要素を分解し行動用語に置き換え、期間を定め自ら不足している事柄を発見しそれらの問題解決に力を注ぐことで立案した目標は達成できるのである。

・・・・というのが目標実現のための手順だという事は、多くの書籍やプログラムにより紹介されているわけだが・・・・
 少なからずの人にとって肝心な事、つまり目標が何かを発見するという事で悩む人がいる。つまり自分の目標って何だろうと漠然としている場合が多い、
だから目標は明確にせよということなのだ。
問題発見の手法も同じく何が問題かをいかに見つけるかが重要なのである。

 物事は原因と結果といった循環が働いているので あるべき結果を自分の望ましい形を想像しそのための原因作りが即ち行動計画という事になるわけだから、まずそのあるべき結果を想定すればそれが目標設定という事なのだ。

 だからまずなんでもいいから手に入れたいものをランダムに書き出してみよう。欲しい物したい事なりたい事など自由に描きだすことで自らの内なる能力を引き出すきっかけができていくのだ

 門を叩け扉を開けよ、求めよさらば与えられん そらば見出さん
 
 イエスの言葉もそうあるではないか



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2021年10月30日

愚人の話

 他人の言葉に毒されて自分を見失う愚かな自分に気付かない事
自分の我を通して相手を苦しめていてそのことに気付かない人
自分こそ賢くて正しいといいはって他人の意見を無視しそのことで気まずくなっていることに気付かない人

 国家のかじ取りを依頼する人々を決める選挙が近い、さてどのような人がどんなことを考えて投票するのであろうか興味深い
 民主主義こそが最も優れた政治形態だとは思わないがともかくも我が国の政治はその制度をとっているのだから仕方なく従う事にする
 ここの所ますます国民の意識が低下し「衆愚政治」を呼び込んでいるような気がしている。
 あまりに低レベルな人によって政治が存在しているからなのか、はたまたマスコミの反日思考が極端なのか低俗なのか、戦後の我が国の教育に  
 問題があったのか・・・おそらくこれらの複合されたものが国家意識の薄い国民を増やしていったものと思われる。

 ネットの発達によって確かに従来のようなマスコミ偏向報道に対しての「リテラシー」はわずかながらも育まれてきたようには感じるのである
 しかし、NSS全盛とはいうもののそれらの情報も多々玉石混交の有様であり真偽のほどは定かではない
 読解力の欠如、環境に関する理論構築の不適切、など教養不足が著しい 新作映画などの語彙不足、軽い言葉などは残念ながらアニメ文化が生んだ弊害だろう、もっと日本の古典的文章を読んでほしいとも思うのである。自らもふくめてであるが・・・世界に名だたる言葉を有している我が国の国柄は実はその豊富な言葉と感情豊かな表現力が作っているともいえるだろう

 虚偽を見抜く力、分析力の低下はコロナ禍のいわゆる「専門家」のアドバイス内容を鑑みれば一目瞭然、論理のないアドバイスなどふようである

藤原かずえ さんのツィッターより
@kazue_fgeewara

10月28日
分科会は、セキュリティ対策(感染制御)としてセーフティ対策(患者への医療提供)に繋がるリスク評価システムを設計・構築できず、短・中・長期のPDCAサイクルも全く機能することなく、支離滅裂なリスク・オプションで国民を混乱させました。政権は分科会を大改革すべきです


 



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2021年10月29日

感情についての考察

人間を行動に駆り立てるものとして本能とともに感情という心の領域がある。感情は本能とともに肉体の五感でとらえられた状態に即座に反応し得るものとして心の機能を支えている。
いわゆる直接行動を促進する源であるともいえよう。しかしながら現実には知性・理性が働くことによって物の善悪や損得や状況把握などの思考が行動に対してブレーキ役になっている場合も多いのであるが、とにかくも感情的といわれている行為としては例えば何かを、誰かを助けようとする場合の行動はとっさに感情が行為をおこさせるれいもあれば逆にカッとなって誰かを傷つけようといった感情もあるのである。

 そのいずれも感情という領域のなせる技であり、他人をいとおしいと思う感情もかわいそうと思う慈しみの感情も、恨みもつらみの感情も同じ領域なのである。
 要は五感を通して感ずる現象をどうとらえるのかといった各人の想念の働きが重要なのであり、行き過ぎは戒めなければならないのである。
感情の行き着くところが愛であるかその逆の恨みや怒りであるかによって各人の運命は大きく動いていくという事なのだ。

 小生の知る少なくない会社経営者による成功、失敗の分岐点はどうやらそのあたりに(感情という領域をいかにコントロールできたかどうかという性格によって)幸不幸を導いていると思うのである。

 自我の強い感情的な方たちの失敗は数多く見てきた。どんなに知的で理屈は知っていても会社経営という生きている教材の道しるべにはなっても自我我欲の強い性格の経営者はいずれ失敗の憂き目にあうという事例は後を絶たないようだ。
 これは会社経営だけではなくあらゆる場面で共通に発生していると考えられるのである。国家もしかり家庭も学校もしかり、それらのリーダーの在り方に強く影響をうけるものだといえよう。短気は損気ということばあることに注目したい







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2021年10月28日

知性が強くなると

 知性は智慧とは違い、物事の成り立ちをまるで数学のように捉え冷静に分析された事象を完全なものとしてとらえたものであるとは、小生の理解である。
 確かに世の中にある便利なもの、文明の礎になってきたのが「知性」というものの存在価値であることは疑いのない事であろう、しかし一方においては知識教育といったものでいびつな人間を作り出してきたのも事実なのである。
知に偏り過ぎる弊害は、細やかな人間の感情的なしぐさやもののあはれに感動する情緒、言うならば冷たい何事にも心を動かせない環境を作っていくのではないかと危惧するものであり、心の豊かさといった本来の人間模様を忘れたような立ち振る舞いなど昨今の社会を鑑みるにつけそういう場面を多くみるようだ。
 政治・経済・教育・医療・福祉・厚生の世界など知が勝ちすぎていてそのことによる差別すら平然と行われている。そんな世界に危機感を持っている次第である。

 実はこのブログで「真の人間の生きる道」とは一体何だろうという事から自らの人生を見直すためにあちこちの書に触れながらこう述べているわけです。わずかながらもこんな駄文を読んでいただいてる方もあり小生としては面はゆいながらも書き綴っていこうと思っている次第です。
 読んでいただいた方に感謝致します

 隆庵
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2021年10月26日

心の構成・・それぞれの領域

 人間の行動を司っている意思というものの発信装置は一体何なのだろうか。それは心という、精神ともいうが行動そのものの第一原因はそこにあるのです。
 生きとし生けるもののすべてはまず思うという行為から始まっていてその次に行動という事になります。

 結果的にその行動があらゆる現象(善くも悪しくも)を生んでいくのだが多くの人はその事実に中々気づかずに物事が偶然に起きているのだろうと勝手に思い込んでいるのではないだろうか・・という事で「心」が一体どういった方向性をもって働いているかについて考えてみたいと思う。
 明治の文豪夏目漱石は次のように記している
智(ち)に働(はたら)けば角(かど)が立(た)つ情(じょう)に棹(さお)させば流(なが)される 理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、他人の感情を気遣っていると、自分の足をすくわれる。 夏目漱石の小説「草枕」の冒頭の部分。

 これが心の動きというものであるがさてもう少し詳しく分け入ってみたい。
高橋信次 著 「心の原点」を参考にしてその概要を説明してみる。
 日常に最も隣接し反応するごく浅い部分に存在している領域を表面意識といい、それぞれの役割をみると大きく4分野に分かれる・・@感情の領域 A本能の領域 B知性の領域 C理性の領域となっていて それぞれが一つの現象に対してバランスを保っていければいいのだが時として各領域だけが突出して自らの意思に直結してしまい、大きく判断を誤ることがあるものだ。
 幼い子供、赤ちゃんの動きはほとんどというか本能と感情の領域で日々を過ごしそこに知性も理性ももだ発達していない様相を顕しているのである。
 件の著書によると人はこの世に生を受ける時にはまずは両親の調和によって形創られた肉体に魂が宿るという事は、天上の世界から肉体に入り込むという手順になっていて最初は本能、次に感情、学びとともに知性そして遅れて理性という具合に特性が現われるのだと記されていてそれでも全体の90%しか現実に対応できないという事であって、この90%の潜在意識は例えていえば水中に氷を浮かべても表面に現われるのが
10%であるという事と等しいのである。同じく鉄の塊もドロドロ溶けた液体の上に顔を出す部分は10%という。これが物質の世界の取り決めなのである。と高橋信次師は述べられている。
さて、私たちは地上での生活体験を積み重ねることによって心の顕在化が進んでいく、徐々に知性や理性が発現されてくるのと同時にすでに芽生えていた本能や感情という領域との共同発信が始まるために色々と葛藤しなくてはならなくなるのである。生まれてきた環境や教育・思想習慣そして五感というものに翻弄されながらある時は智が先立ち、冒頭の草枕の如き様相に出会あうという事になるのである。
 少年少女がお年頃になると恋愛という感情と本能という領域が大きく膨れ上がり知性、理性を小さくしていく時を経なければならないというのも私たちの試練というものかもしれない。

 そうした様々な心の領域も単独で働くとどうも問題が大きくなりそうだという事で知性という論理的理解と理性というブレーキが適度に働くことで周りとの調和を図っていく事、これが地上界における私たちの課題なのである。




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2021年10月21日

マイナス思考とプラス思考

 この世は誤解によって存在していると思うことが多すぎるといった話をよく仲間たちとする。
この世に住むそれぞれの人々はそれぞれの思い、生まれ育った環境や両親や親しい人たちによる教育、思想、習慣そして五感によって今日まで生きてきたといえる。
 そうしてそれぞれの人は各人がおかれた歴史的な環境下でとにもかくにも人生という旅をつづけてきているのである。
人生すなわち社会との関連性の中にありそれは社会を構成している人間関係によって成立しているのが事実であろう。
だから多くの人達との関連が調和されていることが幸福への条件なのではないか、もしくは競争の中に人生があってその競争に勝つことが幸福の条件なのか・・・

 これらの命題に向かって学び、体験をし研究を積み重ねた過去の人達は試行錯誤を経て人生の哲学を学んだり、偉人といわれている方の体験などを参考にしながら日々を送っているといえる

 これは意識してるかしていないかは別にして誰もが何かを教材にして日々を送っているともいえるということである。その人たちの羅針盤が何かについては所属している組織、家庭、地域の環境そしてマスコミ報道である。
 そうした多くの情報は極めて「ネガティブ」な要素を含んでいるという事を私たちは知っている。何故なら人間の持つ本能にある自己防衛というものがあるために危機を回避しようといった考えが第一に発揮されるためである。またそれらのマイナスのイメージは各人の行動体系までも変化させる力をも持っているのである。

 だから前向きにプラス思考で生きようとしている人はそれなりに生き生きと幸福な人生を送っているがその逆にただ無意識に、垂れ流されている情報によってマイナス思考にコントロールされている方々は非建設的な不満を日常的に心に持ちながら人生を歩むことになるのだと小生感じる次第である。

 
 
 
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2021年10月16日

目標を紙に書くという事

 目標設定の極意といわれている行為として、目標を紙に書いて置き毎日それを見て再確認するといったことが様々な手帳術や成功ノートの書き方などの本に記述されています。
 それがどういうメカニックで構成されているかというと
1. 文字にするという事で自分の心の中を整理できて行動指針として思い出しやすい状況になります・・・・心に刻み込むことで無意識のうちに目標達成のための心のセンサーが自動的に働くことになり、関連する情報がやたら目につくようになります。例えば海外旅行にいくという目標を立てた時点から、ふと目にしてた旅行パンフレットなどが余計に目についてしまうことや、家を建てようという目標を立て眼とやたら新築住居の建築現場に目が行くようになり、新しい事業を起こそうとしたら同業の仕事ぶりに興味を覚え研究しようと思うわけです。

 目標の文字や画像や動画などに興味がいき潜在意識層に遠慮なく関連情報が入っていくわけです。

2. 目標達成の期限を決めるという事はその達成までの道筋を心に描きなさいという事ですがこれを描くことは戦略を立てるという事です。戦略立案のためには一体何が必要かという事を探っていくわけですがそれぞれの取得目標というものが必要になってきます。ここでは優先順位をどう決めていくのかがポイントとなるわけです。それぞれの個別目標を達成していきながら本来の主目標を達成するというのが当たり前ですが道なのです。いついつまでにこういう状態。つまり達成している状態を明確にしておくことが重要なのであります。
 シナリオライターのような作業になるわけです

3. 目標達成の道筋を歩んでいくときに必要な要素、これが一番大事な事だと思うのですが協力者の存在が不可欠であるという事です。その協力者に積極的に働いてもらおうとするときには目標立案者である私自身がどれだけ真摯に人間関係構築していたかにかかるといってもいいでしょう。人間性が問われるというわけです。
 実はこの協力者をつなげている要素を考えることが難しいのですが、どういう縁が考えられるでしょうか
それは@利害関係・・例えば経済面での報酬によって結ばれた縁 A信頼関係・・・例えば夫婦であったり親子であったりとは別に哲学や思想の共通性などによって結ばれた縁 B自分にとって重要な役割をになっている人からの紹介による縁  など様々な観点から考えられる限り列記してみましょう 今だけの縁 これからの縁 長い短い縁 色々ですが、達成までの時間が長ければ長いほど真の仲間という立ち位置の協力者が必要であります。「波長共鳴」という法則を思い出します

4. 紙に書いた目標はその個別の戦略とともに達成したとたんに紙くずになってしまうのですが、達成するまでの環境設定から行動までの一連の考え方は必ず実力となって心に記録され記憶されるのです。
 だから、どんな目標設定でもそのメカニズムに当てはめることが出来るようになるわけです。

と・・・・小説やドラマならこの時点でジエンドとなるわけですが、現実にはそうはいかずこの達成した目標を縁として次の目標が出来るという事になります。ましてや目標までの人なのかその先にあるものを考えているのかによってずいぶんと人生は変わっていくものです。前日述べた学歴問題も同様でその先を想像できるかがその人の人格であり小さな人間であるか否かに影響を与えることになるのです。




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2021年10月15日

学歴って何?何の役に立つのかな

 以前、日下公人氏の話にあったのですが、ある時宮澤元総理の所に政治部の新聞記者が取材に行ったそうです。すると面会早々に「君はどこの大学出身者なのか?」記者が「総理と同じ東大です」と答えた後に「学部は?」「何期の卒業でゼミはどの教授だったのかな?」と大学についての話に終始していたそうです。
 仄聞ではありますが東大出身者以外の取材を嫌がっていたそうですが・・確かに学力は高かったのでしょうけど、政治家としてどんな歴史を持っているのですかね、小生いささかも信用できる人物とは思えないのですがね。記憶に残っているのは天安門で困っていた中国の切望に応じて「天皇陛下」訪中に力を尽くしたこと。韓国の「強制慰安婦」を認めたことぐらいですかね。

 東大から官僚へという学歴主義社会から出てきた凡人という印象を持っています。いや優越感をひけらかし自慢するといった凡人である私たちですら「そういう態度って嫌われる」ことぐらいわかっていますが・・そのことに気付かない鈍感な人という事でしょうか

 つい最近では「最低でも県外・・・」とか「友愛の海」だとか「日本列島は日本人だけのものではない」とか言っていた総理もいましたね、彼も東大出身でした。
官僚組織の大半を占めている東大出身者のグループは一部の「国士」といわれている人たちを除けば自分の保身を第一優先に考えている方や
そうでなくても時の有力政治家や閣僚の学歴によってはどこかバカにしているような発言を繰り返している。特に成蹊大学出身の安倍元総理に対しての論評に現われているのではないでしょうか、そうそう漢字間違いの麻生総理時代もそうでしたね

話の節々にそのバカにしている態度や傾向を見ることが出来るのです。
解答のある「受験」に勝っていった記憶力の優秀な学力馬鹿という輩が時代を作れるわけがないのであり、そもそも解答のないのが実社会の現状なのだから問題定義力とか仮説設定力とかの方が重要であるのです。こんなこと一般の会社や事業家にとってはすこぶる当然な事なのですけど・・

少なくとも「学歴」だけでは「問題解決」の糸口にはならないという事を知らなければならないでしょう。
学問は必要であるがそれだけではだめだという事を考えさせられるこの頃です。

コロナの専門家集団しかり、経済学者といわれている人しかり、裁判官しかり、政治家しかり、そして高学歴高収入の自称エリートしかり
物事の全体に関しての調整役がいないと何の役にも立たないという事が最近分かってきました・・・・昔からそうだったかも





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2021年10月13日

他と比較する人生の愚かしさ

 他とは一体何なのか、優劣を比較するための存在であるとすれば限りなく空しく愚かであるという事に気付かせてくれるし、その根本は調和にほど遠い環境の中に身を置くことになるのである。
 他とはその違いを認め合いながら、それぞれを大切に思う心をもち互いに幸福であれと願いたいものである。
人は、相対的な存在であるように古くから言われている。
 男女の別、年齢の別に始まり美醜の別、体力の別、学力の別・・・などの別があるがもっとも現代の別を顕しているのが経済の別、差別を所有物の多寡によって定めてしまう風評が顕著である。
 その別意識によって世の中の様々な出来事が繰り広げられているように感じる。
金持ちになりたいために様々な努力を為し、その目的のためには手段を選ばないといった生き方に対して、賛成 反対の意見はあろうとも果たしてその得た財産をどのように活用するかに関しての意見はおおむね世の為とか、地域社会の為とか、恵まれない人々の為に活用すべきだと
よく言われることであり、そうすべきであると小生も思う次第である。

 しかしながら現実にはそれらの財産の多寡によって他と優劣をつけたがる場合をよく見かけるのである。同じことが地位や名誉や学歴や 家柄などの属性に関する優劣、はたまた美醜の優劣など枚挙にいとまがない。
 ということは、自分より持っている(優れていると自らが判断する範疇において)という他に対しては劣っているわけだから、心を劣等感に持って行ってしまう事を現象としてよく見るし話にも聞くのである。
 物事の基準をそういった優劣の観念から決めてしまっている者の不幸な心根であろう。
 自他を比較することはたやすいがその中で本来の自分を見失う愚かさを知るための事象としてこんな考えを持っていた事を反省し、より良い人生を歩んでいきたいものだ。

 優越感と劣等感 虚栄心などは本来の自分を表現するための障害物にしかならないという事を知らなければならない。

 次回 学歴社会に思う・・東大出身の元総理と偏差値60代の私大出身の総理の話・・・



 






 
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2021年10月08日

歴史から学ぶという意味

 私たちの目前には常に様々な問題が発生し、その都度何らかの解決策を見出しては事に当たる。ある時は解決できても、ある時は問題解決に及ばないこともありその結果を引き入れた解決策には不確定な要素を含んでいるというのが偽らざる事実であろう。

 さて、問題解決の方法を歴史に学ぶという事は一体どういうことであろうか考えてみたい。
そもそも「歴史」とは原因と結果という一連の流れを推測するに適宜な事柄を教えてくれるものだ。※もっとも、その歴史が虚偽だった場合は何ら意味のないことではあるが、いずれにしても原因と結果という振り子の振動の様子を記録したものととらえられる。この場合人が何らかの行為により出来事を動かしたという点が強調されているものとするのが「歴史」という名の記録帖なのである。

 一方において科学的、論理的な方法によって「歴史」を解明する方法も存在している。例えばある科学的発見による場合や地質学的な変動、気候の変化、また権力者等による直情的な行為や、逆に献身的な行為によっても変化していくのも歴史の特徴なのである。
地政学的な状況もさらに宗教的な問題をも含む複雑な要素が絡み合っているのも事実であろう。

 こうした結果、現代に生きる私たちにとっての歴史観も様々に複雑に絡み合っている糸を解きほぐす必要に駆られているのである。
原因は単純ではない、そのために論理的な分析力を持つ必要があるのである。
変化せざるを得ない事と人間の力ではどうしようもない事などが入り混じっているわけだからその見極めも大切であろう、すべての物は原因と結果、作用と反作用とそれに続く慣性の法則など人知の入る余地は最初の原因、作用の方向性をどうコントロールするのかにかかっているのである。

ところでごくごく最近の「コロナ禍」に関しての歴史の振り子はどのような事を私たちに教えてくれたのであろうか、果たしてそこに論理の裏付けが存在していたのかすこぶる疑問に思っているのは今や周知のこととなっている。医師会という職業集団、専門家会議、政府、自治体それぞれの因果が如実に現われたとかんがえる。いずれも責任を取りたくない日和見主義の集まり、自己保存丸出しの行動などが目につき、それをあおるマスコミ各社の根性を見るにつけ、教育の所在に根本の問題があるような気がしている。
 


 
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2021年10月07日

永遠の魂旅・・・その連続性

 般若心経の一説に「不増不減 不生不滅」 増える事もなく減ることもない また生まれる事も滅することもないと直訳すればそうなるのではあるが本意は
 神の意識により生まれたところの万象万物はそのエッセンスとして永遠不滅のエネルギーの集中固体化したものとしてこの世に存在し、時を経て(熱光の振動の変化)エネルギーの分散状態になり存在はしているものの可視化できない事になるのですが(物質そのものの個性は変わらず意識そのものも当然変わらない)再度、再再度と何度でも、いわゆる永遠の存在として循環を繰り返すのです。そのことを「不増不減 不生不滅」と表現されているわけです。
 当然万物の霊長である私たちも同じように循環を繰り返している訳なのです。これを「転生輪廻」というわけです。
という事は、私たちの「魂」※魂という呼び方は実はどうでもいいのですが便宜上こうよぶ そのものの永遠性という事は死んでも死なぬということであって、死とは魂を覆っているものの着替えみたいなものだという事を知らなければならないのです。
 という事であるから本来過去に体験した事や思ったことのすべてが潜在している記憶室のようなところに保管されていているという事なのです魂の不滅性、個性は私たち個々の心の奥底にあり良いことも悪いことも実存しているという事を認識しなければならないのです。

 今この地上界で生きているという事は過去現在において自ら為した行為、行為という事は思念と同義ですから、その思ったこと行ったことの集約されている状況が今の私達であり、地域であり組織であり国家なのです。だから言い訳で目先を繕っても問題解決は難しいといえましょう。

 有名な平家物語の一説に「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・盛者必衰の理をあらわす・・」とありこの世は常ならずして空しいものだと訳してしまったから話はややこしくなるのであります。
 物質界つまりこの地上界に存するすべての物は神の理によってその形は変化するように仕組まれていて、本質であるエネルギーともゆうべき実在は滅びることはないのであります。だから形を変えて永遠に存在するものこそが生命の原点なのだから
ゆめゆめ今の瞬間をおろそかにしてはいけないし、また挽回の余地も無限にあるという事なのだから悲観することもないのです。
 このことを理解するには日常の思念と行為に関して反省し心構えを入れ替えて邁進するしかないのです。

 




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2021年10月06日

私は誰?ここはどこ?運命はどう動く?

 運命を司るのが心構えと行動、それが習慣化されている状態が続いた時に何らかの結果が生まれそして新たな原因となるのです。
ある会社の基本的な考え方を理念というが、その理念を実現化していくための矛盾なき行動。そのことを永年徹底していくことによって「社風」という名の習慣化された柄が彩られる。国家も同様である。国家のリーダーたちや会社のリーダーたち、地方の特色も家庭の在り方もすべては何らかの習慣化された「柄」によって様々な結果を受け取ります。

 この「柄」という概念はこういった言葉に変えられます

 お国柄・・・国家の基本的なあり方は特に一人一人の生き方を考え方を越えたところから生じる。大なる思想は小なる考えを凌駕し多くの人々はそのリーダーや同調組織体やコミュニティによってある種の制約を受けるもので、そこには個人の運命をも左右する力学が働くのである
 現在においては他の迷惑を省みない国家群によって調和が揺るがされている。そういったお国柄による政治活動はいつの世も自滅の道を歩んできたという事を知らなければならないのです。道づれにされる国民こそが哀れだと思う。

 治国平天下という言葉の意味をかみしめなければならないのであるがこの言葉を創造したかつての国がその理念を守れていないという不思議さに驚くものである。各国それぞれが国を統治することで世界の平和を維持することが出来るのだという教えを無視しているのか今の中国であろう。制覇主義の国家として今あるのである。
 元はといえば自国だけ良ければよいというわがままな考え方の充満が引き起こしている。一方において半島は「恨み、つらみの思考回路」をもつルサンチマンの典型国家がそんざいしているのも 自分勝手なわがままを世界にさらしているのがこの哀れなる考えををもっている国家がある。。

 お家柄・・・本来ならば国家に先立ちて家柄を整えなければならないのだが、自らの所属する国家という名の組織に準じてしまうのが人間の悲しき性であり、あるオピニオンリーダーにひきづりこまれているのが現状であろう。
 また、マスコミによって創られた嘘の情報によってここでも各自の考え方が制約されているのだ。

 人柄 ・・・国柄、家柄等という理念的なものは一朝一夕に出来上がったものはなく歴史といった時間の要素を含めたものから成り立っているといっても過言ではない。

 そしてこれらの概念が姿を顕しているのが現在の吾々を取り囲んでいる現実なのである。
我我個人に働いている「原因結果の法則」「循環の法則」は所属している組織、家庭や会社や地方のコミュニティ。国家に至るまでその法則化にあるという事を理解しなければならないのである。
 人々がお互いに助け合い、補い合いという考えと行為はよい運命を作り、闘争と破壊をその意思の中に持ちそのように行為した時には悪い運命となるのだ。

 本来正しいものというのは「愉快」「心地よい」わけだからそうではない環境に甘んじている場合は、どこに原因があるかを観察し修正するという「反省」という作業をしなければならない。おそらくは生まれ育った環境や教育、思想や習慣化されたもの及び五感を翻弄してきたものに原因を認めることが出来るであろう。
 
 周りにある出来事のすべては自らの反省材料として存在し、他のものと思っているものもすべては自分に帰着していることを知ることが出来るであろう。


 
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学問の意味、調和のとれた世界創造

 様々な分野に分かれている学問は結果、自然の法則や人々の考え方のよりどころに関していかに顕在化していくか、その方法論をといたもの。もしくはその方法を追求していく過程の状況の事であって、世の中の現象そのものの成り立ちを発見していくにすぎないのである。
 したがって、人類にとっての学問は大自然が調和しているように我々人類が国境を越えた平和な世界を成立させるために存在しているといえる。しかしながら現実の「学問」と称されている数々のものは人々の自我に根付いてしまっていて、他を差別し自らの欲望の為のものになり下がっているのである。
 その結果最新の科学技術は軍用機器に応用され人類の生命をも脅かす学問になってしまい、人々の心の栄養となるべき文学や芸術の世界も偏向した主義主張の道具となり社会を誤った道へと導きかねない様相であり、それらの究極としての映像化社会も「プロパガンダ」の手法としての力を発揮しているのである。

 いずれも一部の「エリートもどき」による自我我欲の発散舞台となっているのが現在の世界でありその世界観が人類を覆っているのであ る。
テレビをはじめ各報道機関はその自我我欲にまみれた「征服者」の意図通り彼らに不都合な情報を閉鎖し限られた情報を流すことによって調和のとれた世界創造を阻止しようとしているとしか思えないのである。
 精神と行動の関係は綿密になっており、潜在意識が世界を作っていくのだという事を彼らは知っていてそのように人類をコントロールしているといえよう。

 ・・・このような恐ろしい話を映画化しているのが「マトリックス」だと思うこの頃であります
    12月封切りのはずです・・・

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2021年10月05日

学問の意味、調和のとれた世界創造

 様々な分野に分かれている学問は結果、自然の法則や人々の考え方のよりどころに関していかに顕在化していくか、その方法論をといたもの。もしくはその方法を追求していく過程の状況の事であって、世の中の現象そのものの成り立ちを発見していくにすぎないのである。
 したがって、人類にとっての学問は大自然が調和しているように我々人類が国境を越えた平和な世界を成立させるために存在しているといえる。しかしながら現実の「学問」と称されている数々のものは人々の自我に根付いてしまっていて、他を差別し自らの欲望の為のものになり下がっているのである。
 その結果最新の科学技術は軍用機器に応用され人類の生命をも脅かす学問になってしまい、人々の心の栄養となるべき文学や芸術の世界も偏向した主義主張の道具となり社会を誤った道へと導きかねない様相であり、それらの究極としての映像化社会も「プロパガンダ」の手法としての力を発揮しているのである。

 いずれも一部の「エリートもどき」による自我我欲の発散舞台となっているのが現在の世界でありその世界観が人類を覆っているのであ る。
テレビをはじめ各報道機関はその自我我欲にまみれた「征服者」の意図通り彼らに不都合な情報を閉鎖し限られた情報を流すことによって調和のとれた世界創造を阻止しようとしているとしか思えないのである。
 精神と行動の関係は綿密になっており、潜在意識が世界を作っていくのだという事を彼らは知っていてそのように人類をコントロールしているといえよう。

 ・・・このような恐ろしい話を映画化しているのが「マトリックス」だと思うこの頃であります
    12月封切りのはずです・・・

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