2021年10月07日

永遠の魂旅・・・その連続性

 般若心経の一説に「不増不減 不生不滅」 増える事もなく減ることもない また生まれる事も滅することもないと直訳すればそうなるのではあるが本意は
 神の意識により生まれたところの万象万物はそのエッセンスとして永遠不滅のエネルギーの集中固体化したものとしてこの世に存在し、時を経て(熱光の振動の変化)エネルギーの分散状態になり存在はしているものの可視化できない事になるのですが(物質そのものの個性は変わらず意識そのものも当然変わらない)再度、再再度と何度でも、いわゆる永遠の存在として循環を繰り返すのです。そのことを「不増不減 不生不滅」と表現されているわけです。
 当然万物の霊長である私たちも同じように循環を繰り返している訳なのです。これを「転生輪廻」というわけです。
という事は、私たちの「魂」※魂という呼び方は実はどうでもいいのですが便宜上こうよぶ そのものの永遠性という事は死んでも死なぬということであって、死とは魂を覆っているものの着替えみたいなものだという事を知らなければならないのです。
 という事であるから本来過去に体験した事や思ったことのすべてが潜在している記憶室のようなところに保管されていているという事なのです魂の不滅性、個性は私たち個々の心の奥底にあり良いことも悪いことも実存しているという事を認識しなければならないのです。

 今この地上界で生きているという事は過去現在において自ら為した行為、行為という事は思念と同義ですから、その思ったこと行ったことの集約されている状況が今の私達であり、地域であり組織であり国家なのです。だから言い訳で目先を繕っても問題解決は難しいといえましょう。

 有名な平家物語の一説に「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・盛者必衰の理をあらわす・・」とありこの世は常ならずして空しいものだと訳してしまったから話はややこしくなるのであります。
 物質界つまりこの地上界に存するすべての物は神の理によってその形は変化するように仕組まれていて、本質であるエネルギーともゆうべき実在は滅びることはないのであります。だから形を変えて永遠に存在するものこそが生命の原点なのだから
ゆめゆめ今の瞬間をおろそかにしてはいけないし、また挽回の余地も無限にあるという事なのだから悲観することもないのです。
 このことを理解するには日常の思念と行為に関して反省し心構えを入れ替えて邁進するしかないのです。

 




posted by 筆文字や隆庵 at 14:32| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする