他とは一体何なのか、優劣を比較するための存在であるとすれば限りなく空しく愚かであるという事に気付かせてくれるし、その根本は調和にほど遠い環境の中に身を置くことになるのである。
他とはその違いを認め合いながら、それぞれを大切に思う心をもち互いに幸福であれと願いたいものである。
人は、相対的な存在であるように古くから言われている。
男女の別、年齢の別に始まり美醜の別、体力の別、学力の別・・・などの別があるがもっとも現代の別を顕しているのが経済の別、差別を所有物の多寡によって定めてしまう風評が顕著である。
その別意識によって世の中の様々な出来事が繰り広げられているように感じる。
金持ちになりたいために様々な努力を為し、その目的のためには手段を選ばないといった生き方に対して、賛成 反対の意見はあろうとも果たしてその得た財産をどのように活用するかに関しての意見はおおむね世の為とか、地域社会の為とか、恵まれない人々の為に活用すべきだと
よく言われることであり、そうすべきであると小生も思う次第である。
しかしながら現実にはそれらの財産の多寡によって他と優劣をつけたがる場合をよく見かけるのである。同じことが地位や名誉や学歴や 家柄などの属性に関する優劣、はたまた美醜の優劣など枚挙にいとまがない。
ということは、自分より持っている(優れていると自らが判断する範疇において)という他に対しては劣っているわけだから、心を劣等感に持って行ってしまう事を現象としてよく見るし話にも聞くのである。
物事の基準をそういった優劣の観念から決めてしまっている者の不幸な心根であろう。
自他を比較することはたやすいがその中で本来の自分を見失う愚かさを知るための事象としてこんな考えを持っていた事を反省し、より良い人生を歩んでいきたいものだ。
優越感と劣等感 虚栄心などは本来の自分を表現するための障害物にしかならないという事を知らなければならない。
次回 学歴社会に思う・・東大出身の元総理と偏差値60代の私大出身の総理の話・・・