2021年11月22日

自我とは何か

 自我という言葉は非常に抽象的でありますから、ここでは偽我、善我、真我と三つに分けて考えてみたいと思っています。その前にでは自我とは何かというとその意識は、他の対象と区別して意識される自己であるのです。例えば生まれたばかりの赤子はまだ自我の意識に目覚めていません、三月、半年と経っていくにつれ始めて親と自分といった周囲の対象の中で自分の存在を自覚するわけです。
 さて、そこで自我の何の偽りの我は、対象の中の自分をより強く意識し、このため自己本位に流れ自己中心に生活してしまう自分であります。
俗にエゴともいい、他人の不幸を考えず自分の事だけしか思わない、小さな自分です。
 小さな自分しかわからないと、不安動揺が絶えず心の中は苦しみに満ちてきます。なぜなら、心が小さければ小さいほどものがよく見えず、ものの判断が自由に出来ないから(独断の思い込みがある状態)いつも問題にぶち当たり悩み続けます。仏教ではこれを称して煩悩といっています。煩悩という迷いの原因は、すべてものに対する執着、捉われ、小さな心といっているわけです。

 次の善我というのは、この世の中は自分一人では生きていけない、みんなと手を取り合い、愛に生きていかなくてはならない。各人がめいめい好き勝手に生活をしているが、ものの裏側を覗くと実は各人が人々の相互作用の関係の中で生きており、自分勝手に生きるという事は結局は自分で自分の首を自分がしめてしまっているということがわかります。
助け合い、補い合い、話し合う愛の生き方こそ自分を生かし、みんなを生かすことだと理解する自我です。すべからく人はこうした愛に目覚め、相互関係の中で、他を生かしていくことです。これから外れるとこの外れた分量だけ自分が苦しむようになっています・

 では、真我とはどういうものでしょうか。「真我」とはこうした相対的な関係から離れて、人と自分とは本来一つのもので別々ではない。現われの世界では別々でも神の子としての心は一つであり、そうしてすべての万物は神の心の中で生かされ生きている。という自覚した自我です。
この場合の自我は大我というものであり慈悲と愛一筋に生きるものです。

ここで今一度考えるべきことは、これらの自我が心の領域のどの部分に当たるのでしょうか
心の領域である本能、感情、知性、理性の機能がそれ自体単独で意志に繋がる時、偽我となって現われます。感情が単独で意志に繋がれば例えば怒りに燃えた感情が爆発し、行動となって現われるため破壊につながっていきます。知性が意志に繋がると冷酷な人間になります。善我の自我は、反省によって自覚されます。したがって各人の想念の働きは、感情から意志に繋がる単独行動ではなく想念は各領域に万遍なく作用し、愛の行為として現われます。

 私たちの心は反省によって偽我から善我に移行すれば正しい生活が約束されてきます。つまり、安らぎのある生活が出来てくるわけです。

 高橋信次師のことばより
posted by 筆文字や隆庵 at 11:43| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする