専門知識にこだわった問題は過去から現在に至るまで多くみられる現象であります。
ここ2年に亘るコロナウィルスに対する考察、施策に触れるたびにそう強く思うのであります。
司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」にこんなセリフがありました。
旅順攻略の際、砲術の専門家といわれていた伊地知参謀長に対して児玉源太郎がこのように言います「君は昨日までの専門家であって現在の専門家でない」とこのような意味の事をいうわけです。
専門家の知識は確かに重要である。が、しかし果たしてその専門知識を発揮する領域やその分野、環境を含め変化している場合があった時には何の用にも立たないのです。公式そのものがすでにあてはまっていないのだからうまくいくはずもありません。
コロナ禍の中に於いての専門家の意見も上述の如く的外れだったような気がします。未知の分野なるゆえに当初は致し方ない事であったことは認められるし、それ相応の国民の努力を要請するのもむべなるかなとも思います。(それにしても飲食サービス業に特に問題ありとしたことには閉口しましたが)
現在の研究が一体どうなっているかはわかりませんし様々な意見があるはずなのに「注意喚起と自粛」以外の情報、つまり正しい現状の分析、感染者激減の理由や外国との差がどうなのかと国民を勇気づけるような報道は目にしません、かろうじてネットの情報がそのことに触れているのですが、正しい見解について政府も専門家も触れませんよね
そもそも問題解決の手法があいまいな場合、その研究と検証作業の繰り返しが新たな専門分野として体系づけられるといったプロセスを踏んでいくものです。少なくとも一般の経営手法はそうした手順で成り立っているわけで、試行錯誤を繰り返しながら成果に結びつけるという活動を行っているわけです。
厄介なことは問題発生の初期段階においてはその精通者が限られている事とその従来の専門家といわれている人々の知識の枠内でしか判断できないという危険をはらんでいる事です。
現実の問題を客観的に把握するほうほうとして統計学があるのですが、そちらの専門学者の意見は取り入れられているのでしょうかはなはだ疑問に思うわけです。
2020年の1月中頃に初期段階を迎えあれから2年、一体専門家はどんなデータを持ちどんな対応をするのか見ものです
今回の一連のコロナ騒ぎで判明したことは
1.医師会のていたらく・・・病床解放ふびとポジショントーク
2.マスコミの偏向・・・全く信用できないレッテル張りがされました
3.政府の及び腰、官僚の不遜な態度
4.浅はかなワイドショーに踊らされる国民と選挙の事しか頭にない政治家
これらの存在を理解させて頂きました
情報リテラシーをしっかりと身に着ける必要性を感じた一年でしたね