様々な出来事に対して何らかの考えがあり、その対応の仕方があります。特に日々の生活の中に発生する問題は毎回毎回それぞれに対して反応していくのでありますが、まずは正しく物事を見るという事をしなければなりません。
正しく見るという事の反語は邪に見るという事になります。究極的にはその二極であってその中間という事はありません。あると思うのは思考がそうさせているのであって現象に対しては正しく見てるか否かという事になります。
つまりは見るといった行為そのものはある客体に向けてなされるわけだから素直な感覚で見るといいのです、反語として挙げた邪推で見るという事はそこに何らかの恣意が入っているという事であって客観しているとは言えないのです。
自分の思い込みというのが邪推に繋がり邪見となっていきます。
最初の段階からすでに邪であるから、次の段階である語ったり行動したりといった一連の反応が正しいはずがありません。
物事には何らかの理由があって成り立っているわけで、私たちが日々目にしたり耳にしたことも原因と結果といった背景が存在するのです。
そういったことから事象に対応していくわけです。正しく見るという事は私意を入れずに客観的に知性を使った見方を心掛けておく努力が必要なのです。
現在の日本政府の判断に関して、岸田内閣のはっきりしない有様も中国に対する方針(北京オリンピックの外交的ボイコットの有無)や18歳未満への給付金の件など迷走しているのにも理由があってのことだとは理解できるでしょう。
対中に関する決断を躊躇させているのは「経済界」との調整であろうし、クーポン券配布の件に関しては政治的な背景があろうし、オミクロン株に関しての調整は厚労省、医師会との調整であろうことは重々理解するものでありますが、これじゃ何のためのリーダーの存在かが疑われます。
日本丸のかじ取りを行うべき船長が決断しなくてはならない局面になっているのですがね・・・・
反応する材料はすでにそろっていると思われるのになぜか遅いのです。
大局をみる事が望まれます。