2022年02月04日

コロナ禍に思う

  何か問題が起きた時には、常に「事実」に ついてのみ考えればよい。
 発表される数値が私意によって変化されていないという事を前提にすると、
 現在各自治体において発生しているコロナ関連の数値は、感染者という言い方をしている
 もっと具体的に言えばウィルス保持者の数であって、それらの中で症状が出ている人数が
 どれくらいの割合なのかは未発表
 但し重症者数の発表は確かになされているものの、これまた内訳に関しては年齢の発表であり
 持病の有無や大まかなプロフィルなどもないのである。
 2年間のデータ推移を鑑みて今回のケースは、感染力が強いが弱毒化も進んでいて重症化率は
 すこぶる低いといわれている。
  しかしこれも正確な情報は伏せられているのが実情、つまり「事実」が伏せられたままであるから
 人々はイメージによって動かされている事になる。
 
 イメージによって解釈が変わってくる、ただやみくもに「恐怖」を煽るかのような報道は
 視聴率を上げたいだけ、専門家会議は今までの成果?を外出し自粛と飲食店の締め付け以外
 何をしていたのか、幽霊病床の話も聞くに至っては自らの利益のためにコロナを利用していて
 関連団体の事を優先した政策提案をしているに過ぎない、結局自分さえ良ければいいとばかりの
 行動、政治はマスコミ報道に気を使いおもね、自らの仕事しているよーといったパフォーマンスに終始
 結局は選挙目当て、

 事実には「起こったこと」「数字で現われること」「言ったこと」の3種類で判断するしかないのであるから
 まず、数値の流れと都度の行ったこととそれの検証、といった極めて当たり前の思考で分析していく
 我が国のリーダーたちにその能力がないという事が、今回判明したのである。
 
 これは人間社会に於ける「問題解決手段」の基本の基であることを知らなければならない。
 この思考手順を妨げているのが「私利私欲」という心構えなのだ。


posted by 筆文字や隆庵 at 09:29| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする