2500前のインドの状況というのは。今も存在している差別意識でした 身分というものが明確に分かれており最上に「バラモン」という祭事を執り行う一族があり直接神に仕えるといった立ち位置である。次に「クシャトリヤ」という武士の一族、王の存在は国というか部族というものを守るために各土地土地に存在していたが、日本の戦国時代のように当然大国、小国の差もあり侵略戦争も日常茶飯事だったのです。
その武家社会において戦いに明け暮れていた者たちを率いていた中インドの小国の王様が、ゴーダマシッダルターの父「シュットダナー王」といわれる方でした。
さらに一段階下の身分に商工業者がいます。経済活動の主役といってもいいでしょう、彼らを「ベッシャー」とよび様々な物資を市場に供給する仕事をしていたわけですね。そして最下級の身分として「シュドラー」という奴隷階級があり(カースト制は今も存在している)まるで人間扱いされていなかったようです。
こうした差別がはびこる世界に対して矛盾を感じていくゴーダマ。
また、ゴーダマ自身も実の母親である「マヤ夫人」自分を生んでくれた後わずか一週間で死んでしまいます。このことの事実は生長していき10歳のころに知ることになるのですが、あらためて考えるのになぜ母は早くに死んでしまったのか、そもそも「死」とは何か、と人の道の前にはだかる苦しみはなぜ存在しているのかと大きな悩みを抱えながら、青年となっていくわけです。
跡継ぎにと期待していたシュットダナー王は、こうした長男のゴーダマの様子を見るにつけ不安が募ってきます。そこで、嫁をとるよう手配し、また2号3号という具合に女性たちをゴーダマにあてがいます。四季それぞれの館と女性によって何とかゴーダマを手元に置けるよう様々な策を講じるのですが、当のゴーダマはそうした生活に一時は埋没するのですが、根本的な問題に対しての疑問「生老病死」という現象に対して何ら解決策を見いだせず、いわゆる欝の状態にまで自らを追い込んでいくのです。
この当時人々に浸透していた考え方として「ヴェーダ」「ウパニシャッド哲学」というものがあり、ゴーダマも当然バラモンの教えとして勉強はしていたものの、その内容として今世の苦悩はあの世に楽をするためだということで、苦行を続けることが死後の安楽を約束するという風にバラモンは教えていたようで、そのためにインド各地に於いてヨガ瞑想であるとか、肉体を苦しめることによる我慢の極致が悟りとまで言われていました。
その教えの根本が間違っているとは思うものの、どこがどう間違っているか納得いかず悶々と日々を費やしていきます。
妻ヤショダラとの間に
子供が生まれます。ゴーダマは「ラフラ」(障害物の意)と名付け、そうしていよいよ29歳の時に城をでて「出家」の道を選んでしまうのです。
このようにゴーダマシッダルターは、人間の持つ根本的な悩みについてその解答を得るためについに家出をし徹底的に自分を見つめるのであったのです。
世に出ている「釈迦伝」を参考にまとめてみました。
この先どうなっていくかについては適宜書いていきたいと思います