禍福は糾える縄の如しとはいうものの、本来は福だけで済めばと誰もが思うこと。
しかし、はからずも禍にまとわりつかれ一向に心の安定を得ることができないと、いう事も現実として否定はできないものであります。その折に私たちはいかなる心構えでいることが大事なのかを考えてみたいと思います。
そもそも、禍(わざわい)とはいかなることを指すのでしょうか、今の自分が置かれている環境が気に入らないとか物質的な飢餓があるとか
病気で苦しんでいるとか、知識が不足しているために世の中に対応できないとか、いろいろあります。
それらは何らかの原因があってそうなっていることを考えもせず○○が悪いとか、問題が自分以外にあったのであるとか言って責任転嫁している人の多いこと、運がいいとか悪いとか といった言葉も何かほかに問題を転嫁しているのではないかと、自己反省している人は少ないのではないかと思う次第です。
なるほど、世間を見るとそう思わせられるような事件や事故が多発していて、どう考えても他人のせいであって当人には問題がないではないかという事案は数多く存在しています。それでも、自分が作った原因の結果だという事。これが因果律という法則であるという事を仏陀も、イエスも述べているのであります
結論からいうと、その禍も含めて福なのであるという事であって、人間の生命の目的と使命は魂の成長なのであるから禍福もそれぞれがその材料なのだという事
死しても永遠に生きているのだから一時の死に執着しない その禍福から学ぶべきものを発見し自らの魂の成長を図っていく。
これこそが正しい心構えだというのが真理であります。