2022年05月21日

知性と調和と

 調和に関して考えてみると、調和には高低があります。
調和の頂点は「宇宙即我」であり低次元では「自我我欲」であります。
自我我欲は調和とは言えないが自我我欲におぼれるものはその状態が「調和」とみているかもしれません、しかし現実の想念行為は客観的にはわかっている事柄でも、自分に都合の良いように是非判断を下している場合が多いのではないかと思うのです。

 どう考えてみても客観的事実を踏まえたら「新型コロナ」などはインフルエンザと同じ程度の扱いでも構わないとはおもうのですが政府はエボラ出血熱などと同等の伝染病扱いという位置づけを変えませんし、医師会、分科会も同様で国民の暮らしを不自由にしたまま ただ「怖いよ」というだけのマスメディアのいいなりになっていっているのは、問題が起きた時の言い訳になるといった選挙対策、つまりは自我我欲の議員と医師会その他関係各位の間違った行動だといえるのではと、思う次第です。いずれにしても利権が働いているとしか思えない現状ではあります。

 本来の意味においてそこが調和であるか否かの一線は自分の欲望のためだけに知性が動いているかどうか、物の効用のみに執心し物の成り立ちを忘れていないか(すべてのものは方便にしかず、本来心主体でなければならない) 正しい想念のもとにこそ真の智慧が湧現されるものだという事を私たちは知らなければならないのです。
そこで、目的と手段のバランスを見なくてはならないという事なのですが、実際のところ調和を目的として働いている知性は智慧となって心の底から湧き出てくるのであって
たいていは望んでいる良い結果が表れてくるものなのです。

 調和を目的としてものごとを進めようとするときは天からの加護があるのです。それはなにも知性だけではなく感情・本能・理性についても勿論のことですが。天の加護といってもそれは私たちに非常に縁のある守護霊・指導霊の導きであります。
 あることについて、追求し求めていると私たちはしばしばヒラメキや直観というものが働き全く関係なき事柄があっという間に結びつき成功につながったという体験は誰しもが持っているでしょう。

 これらの作用はもちろん本人の努力の結果であるがしかしその努力に対する示唆が守護・指導霊からあるというのも事実であります。
自ら努力しないでタナボタ式に何かを求めようとしてもこうした作用は働きません、第一 知性を通して知識という縁が結ばれていないので智慧もわいてこないのであります。
 前世で学んだものは今世でも何らかの形で同じものを学ぶ機会があるものだ、だから今生でそうした縁をつくると本人の心の広がり(自我我欲を捨て去るとおのずと心の広がりは実現する)に応じて必要な智慧はどんどん湧いてくるものなのです。
 知識は外的なものであり智慧とはその外的な知識が心の中で濾過され、体験という努力を通して現れてくるものであります。

 私たちがこの世に生まれてくる前に守護霊とは様々な点での援助や叱咤などについてお願いしているという事を多くの人は知らない
 古人のことわざに「天知る・・・」「天網恢恢・・・」などというのはこのことなのであります。守護霊が私たちの今生での思念や行為はすべて筒抜けであるという事です。

 自己保存 自我我欲の煩悩をすてよ さすれば天からの示唆に敏感になっていき間違いが少なくなっていくのです。




posted by 筆文字や隆庵 at 16:46| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする