2022年06月03日

成功哲学なるもの

 世にいう成功という言葉に踊らされただ「物質的豊かさ」を手にしたことが「成功」と思っている節があります。
末は博士か大臣かといわれていた明治の時代から、今日に至るまでその意味は似たようなものであると捉えられます。

 されど少なくとも維新後の明治人たちと現代との違いは国家のためにその運命を切り開いた人物の数の差異であり、国家を背負うという意気込みに関して明治の人たちに後れを取っているのが現代の成功者(といわれる)たちではないだろうかと思う次第です。
 今や金持ちになりさえすれば成功者であり、又権力を握ったから成功者であり、学界の重鎮になったから成功者であり、芸能やスポーツの世界で高額所得者になったから成功者であり、それ以外は認められないというのが定義になっているようです。

 しかし、誰しもが成功を目指しているという事、決して物質所有の有無だけでは計り知れない領域であれ自らの目標を目的を達成したのであればそれを「成功者」と呼ばなければならないのです。

 実は、何度も生まれ変わっている私たちはこの地上界でなすべきことをあらかじめ決めており、その旨をあの世というところの役所のようなところに申請することになっていて、認可されてこの世に生まれてくるのです。この世に生まれてくるという事はあの世から見ればいったん死んだという事になるのです。
 何度もこのブログに書いているように、私たちの目的は調和を軸として人間本来の生きる道を学んでいるのでありその学びの中から神意を習得するというのが人生の使命であるわけですから、ある時は医者として、政治家として、又男として、女として、ある時は軍人だったり僧侶の時だったり、お金持ちだったり、貧乏だったりという人生を体験してきた魂なのであります。
 ある子供は、生まれながらにピアノがうまいとか、絵がうまいだとか、それぞれ天才的な技能を発揮する場合があります。それは過去生きていた時の体験がなせるわざなんだという事を知りましょう。
 
 努力はしておいて損はありません、今生で学んだことは次の生にもっていきますからいずれ花開くことでしょうね

 成功とは各人が生まれる前役所に登録したこと、おおよそ400字詰め原稿用紙10枚程度かは知りませんが計画書というものを皆が持っているわけで、今生で盲目的人生の旅の途中でひらめいたり、こうすればいいとわかったりするのはその計画書の存在があるからであり、また私たちのあの世の友人や、兄弟たちが心の中に電気的信号を起こし気づかせてくれることもあります。

 だから、今生においても明確な目標設定を行い、あの世にある生まれる前の計画に合致していく過程に「成功」というなのプレゼントが私たちの目前に現れてくるのであります。私自身は常にあの世の兄弟や友人たちを意識し物事に対して調和という軸を中心にした努力をしていこうと思っているわけです。

 己自身は孤独にあらず意識の中に己に関連せし守護・指導霊の存在を知るべし
 守護・指導霊に感謝しさらに反省は己の守護・指導霊の導きを受けることを知るべし

・・・・高橋信次師による「心行」の一説より抜粋



posted by 筆文字や隆庵 at 16:20| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする