2022年06月15日

自分の歴史

 古希の同窓会、小学校時代の友との交流あり懐かしき風景がよみがえる。
割と気軽に参加しようと思ってましたが
 長年の様々な理由ここにありてすべてが懐かしいものばかりではなく、触れられたくない事柄もあるというのが小学校時代から芽生えていたというのが実感としてあるものだ。
 そこには、私たちの幼き時代の大人たちに左右させられていた問題も踏まえていて、各人それなりのレッテルが張られているものなのでしょう。
 永年の推移ありても ひとつの認識としてあるようです。幼いころの影響は各人の家庭環境からにじみ出る立ち振る舞いが各人のアイデンティティを形成しているような気がする。・・というのが小学校の同窓会

 地域の中での小中学校という事ならば、校区の関係から少しは小学校時代より範囲は広がるもの・・・である。

つまり・・
 それぞれの人生はいくつかの区切りをもってその時々に色々な決断をするようになっている。それはまるで小さな田舎から都会に出ていくときの道のようなものであり、特に山村で生まれた私にとってはそんなに多くの選択肢はなくあぜ道から村道へそして県道、国道へと合流していくという事になっている。
 その都度、人は増え選択肢は広がり見聞も増えつつ環境への対応力もついてくるのである。

小学校がいくつか集まり一つの中学校に行くのだがその時点で一つの選択となり学業や運動能力などによってそれなりのグループが形成されていく、その後高校、大学と、また一部は社会人として旅立つ人などそれぞれの人生の主人公として自らの歴史を紡いでいくのである。

実は、様々な時点における決断というものはこの世に生まれてくる前に色々と計画しているという事は前にも述べた。そういう意味ではある種の運命というものかもしれない。たとえば過去世においては王として生まれ、その生涯を窮屈にしながら一生を終えたので今度はのびのびと生活できる環境で自由に趣味に没頭しよう、その中から神理をまなぶといった方針をたててきた人は、頑張ってみても政治的リーダーにはなれない、仮に何らかの後押しでなったとしても、もともとそんな計画は立ててなかったのでうまくいかないことが多いのである。
 
各人の運命には上限と下限とがあってそのあいだを上がったり下がったりして一生を送るのである。
上限はその人の運命の好調時、下限とは最低時、一番苦しい時期である。
上限 下限の枠は各人によって異なっているのでその枠の外には出られません。大抵の人は下限と中間の間を行ったり来たりしている場合が多いのである。

ここに、神理正法を学び理解し実践することの重要性がある。

高橋信次先生の話をきき、本を読み実践していくとその各人の運命の下限に落ちることなく上限にまで自分の運命が切り開かれていく
病気が治ったとか事業が好転したとか、いい顧客に巡り合ったとか、いい職業につけたとかはこうした原因によるものである。

 以上のように自らの歴史を歩んでいく過程に神の光を導いていくためにはそれぞれの機会における判断、決断が正法にかなっているかを考えていくことがだいじでしょう




posted by 筆文字や隆庵 at 10:25| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする