2022年08月15日

常識というもの

 安部元総理の暗殺という前代未聞の事件が起きた。
世界の中で最も平和を創造できるであろう偉大なる政治家を失ったのである。
このことを理解している世界の常識的な首脳たちは 皆嘆き哀悼の意を表明している。

 日本の警備体制の不備、ノー天気なお花畑志向 反安部の執拗でみっともなくて下品で野卑な報道は我が国のマスコミの死を意味している。
たとえ安倍嫌いだとしても昨今の報道姿勢。これはない
 
 選挙運動の演説のさなか無謀な暴力によって命を落とした元総理に対しての報道姿勢に終始している姿。
暴力こそは民主主義の最大の敵、このことをいつも言っている「マスコミ」がこの体たらく、安倍たたきなら何でもいいのだという性格のいびつさ、日本では亡くなられた方に対する最低限の品位があるはず。
 またこのマスコミを無防備に信じてしまっている少なからずの大衆の存在。物事を深く考えることを忘れ去っている国民の知的水準の低下と非常識さに恐怖すら覚えるのである。

 奈良県警は事件の経緯に対して検証しているのであろうか、
 統一教会と叫んでいるマスコミはいったい何を知っているのか
 問題をすり替えようとする何者かの存在があるのではないか
 
安倍さん一派を抹殺しようとしている気がしてならない

 テレビでは毎日のように「統一教会」ネタで騒いでいるが、これは今に始まったことではない。何十年も前から問題視されていたではないか
政治と教会の関係をいうのであれば、公明党の存在に触れなければならないと思うし、よしんば選挙活動に票がいるとしても統一教会信者の数はせいぜい5万人ほどの規模、そのことによって大衆に影響与えれるほどの存在であろうか。
 非常識である。

 ともかく今必要な行動は、事件そのものの徹底検証が先だろうに一体何をしているのか。
法治国家として恥ずかしいとは思わないのか・・・・・・
posted by 筆文字や隆庵 at 08:44| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする