淡々として日常を送り、大小問わず喜怒哀楽といった心の動きに、ある時は喜怒哀楽それぞれに対して激しかったり、緩やかだったりしているわけであり、いつもこれでいいのだろうかという漠然としたとりとめもない日々を送ってしまっている。
多くの人はそんなもんだろと無意識に日々を生きている。
それでいいのかといった疑問はないのだろうか・・・・自身に価値観、自分の存在とは一体どんな意味があるのかという事を考えもしない 己の肉体の栄枯盛衰の流れにさしたる意味を考えることのなき人生とは、やみくもに生老病死という時系列に沿った避けることのできない事態に対してすら真剣に考えることを拒否しているとしか思えない。
はっきり言ってどんな人も死を避けることができないのである。
「突然の悲しみに際して私たちは遺族の皆様の心を大切に、厳かな葬儀を執り行ってまいります」といった宣伝文句が気になってきた。
はっきり言ってこのキャッチコピーって何なんだろうか
葬儀の意味は死者になく生きている人にあるのだろうか、と真剣に考えた人がどれほどいるのだろうか
2022年09月27日
2022年09月24日
国家にも働く因果律
結果をつくる原因というのは何も個人だけの法則ではなく、家庭にも学校にもあらゆる組織、会社、組合、地域社会、国家に至るまで適用されるものだという。当然である
原因があって結果があるという事は歴史の学習によって明らかにされていることを理解するのである。
栄枯盛衰は「驕る平家は久しからず」といった言葉によって伝えられてはいるものの、本来の「人々の調和」を目的とした政治だったならば衰退するものではなかったのである。そこに、自分たちだけが良ければいいのだという驕った心理が働き、平家であらずは人にあらずなどという言葉が残っていることで、滅びの法則が理解できるのである。
そののちも同様、源氏の在り方もまた自己中心主義によって滅びを迎える
このように、自他の区別、差別が自己中心的思想を持つ者の宿命として、栄枯盛衰を体験してしまうのである。
さらに、一つの結果は新しい原因をつくる糧となり先人の過ちを理解し、新時代をつくろうとするリーダーが生まれ、改革という名のもと様々な行為を進めていく、多くの仲間たちの賛同を得て程度はともかく成功していくのであるが、再び自らを驕り自己中心的になっていくのだ、人の持つ「業」の深さを思い知っていくというのが人類の歴史があらわしている事なのである。
何度間違えればいいのであろうか。
21世紀の現代・・・同じことを国家がやってる
企業がやってる、学校がやってる、家庭がやってる
自分たちだけが良ければいいと・・・その結果はいずれ自らが悔いる事態を招くのだ
ブーメランともいう
原因があって結果があるという事は歴史の学習によって明らかにされていることを理解するのである。
栄枯盛衰は「驕る平家は久しからず」といった言葉によって伝えられてはいるものの、本来の「人々の調和」を目的とした政治だったならば衰退するものではなかったのである。そこに、自分たちだけが良ければいいのだという驕った心理が働き、平家であらずは人にあらずなどという言葉が残っていることで、滅びの法則が理解できるのである。
そののちも同様、源氏の在り方もまた自己中心主義によって滅びを迎える
このように、自他の区別、差別が自己中心的思想を持つ者の宿命として、栄枯盛衰を体験してしまうのである。
さらに、一つの結果は新しい原因をつくる糧となり先人の過ちを理解し、新時代をつくろうとするリーダーが生まれ、改革という名のもと様々な行為を進めていく、多くの仲間たちの賛同を得て程度はともかく成功していくのであるが、再び自らを驕り自己中心的になっていくのだ、人の持つ「業」の深さを思い知っていくというのが人類の歴史があらわしている事なのである。
何度間違えればいいのであろうか。
21世紀の現代・・・同じことを国家がやってる
企業がやってる、学校がやってる、家庭がやってる
自分たちだけが良ければいいと・・・その結果はいずれ自らが悔いる事態を招くのだ
ブーメランともいう
2022年09月23日
常識なき人々は人間としてもおかしい
物事に対して、様々な意見があるのは承知している。承知しているという事は常識的意見であるという事だということ
連日連夜、テレビや新聞果てはインターネット上においても統一教会と自民党政治家の癒着ぶりを報道、さも教会による陰謀論までもが吹聴されている。
このことの発端が安倍元総理を暗殺した山上なるものの犯行理由に統一教会への恨みから犯行に及んだとの証言から、一気に報道のスタンスが変わったのである。重要な問題を統一教会問題へすり替えられたのである。
一番大事なことはこの殺人事件が、国民意見を集約すべき選挙という日本の民主主義の根幹である時期に、なおかつ白昼に起きた「暗殺事件」であることから、通常これは「テロ事件」というべきである。
とういうことはまず事件の真相こそ追求すべき事柄であり、再発防止策も含めたうえでの捜査活動を報道すべきであろうと考える。このことによって「テロ防止」のための抑止力ともなるのである。
それなのにその後の報道に至っては、山上に対しての同情を掘り起こさんばかりの統一教会たたき、そして統一教会に関連している政治家のつるし上げ、その結果こんな反社会的な宗教団体の支援を受けていたとされる安倍元総理の国葬あいならんとばかりの中傷報道。まったくもって的外れな話である。
統一教会がどれほどの信者を有しているか一説によると8万人、5万人というではないか、それだけの信者数が何故日本を動かすようなことが果たして可能なのか、考えてみればわかること。ましてや「宗教法人」という法的な組織であることを鑑みた場合の信教の自由への束縛になるのだ。「オウム真理教」とは違うのだ。
確かに「霊感商法」といった事件まがいもあり「合同結婚式」など社会問題はあった。しかしあれから何年もたっていて、安倍政権時代に「霊感商法」救済措置としてそれまでこれらの宗教的な金銭のやりとりにはなかった「クーリングオフ制度」を導入しているのである。
また、これらの商法というものは宗教団体に於いては日常的にある話でありなにも「統一教会」だけの問題ではなく、広く解釈すれば「マルチ商法」もにたようなものであろう。
宗教では教祖や、教本を信じ神を信じこうすれば幸福になるのだといった信仰をしていてマルチではお金を信じ金儲けで幸福になるのだという事を信じているという違いだけなのだ。
常識に関しては常日頃の生活の中でこうすればこうなるのだといった因果関係を学ぶと同時に、過去から連なる習わしなどにて身に着けるものであり、結果として周りと最低限の調和が保たれるのだと思う。
一方人間としての生き方もその常識を踏まえたうえでの立ち振る舞いが必然的に人間社会のルールとして存在しているのである。
安倍晋三という稀代の政治家の死に対しての各人のふるまいかたにこれだけ差があるとは・・・少なくとも反論できない死者に対しての野党の議員や報道にいかんともしがたい感情が芽生えてしまう昨今である。
連日連夜、テレビや新聞果てはインターネット上においても統一教会と自民党政治家の癒着ぶりを報道、さも教会による陰謀論までもが吹聴されている。
このことの発端が安倍元総理を暗殺した山上なるものの犯行理由に統一教会への恨みから犯行に及んだとの証言から、一気に報道のスタンスが変わったのである。重要な問題を統一教会問題へすり替えられたのである。
一番大事なことはこの殺人事件が、国民意見を集約すべき選挙という日本の民主主義の根幹である時期に、なおかつ白昼に起きた「暗殺事件」であることから、通常これは「テロ事件」というべきである。
とういうことはまず事件の真相こそ追求すべき事柄であり、再発防止策も含めたうえでの捜査活動を報道すべきであろうと考える。このことによって「テロ防止」のための抑止力ともなるのである。
それなのにその後の報道に至っては、山上に対しての同情を掘り起こさんばかりの統一教会たたき、そして統一教会に関連している政治家のつるし上げ、その結果こんな反社会的な宗教団体の支援を受けていたとされる安倍元総理の国葬あいならんとばかりの中傷報道。まったくもって的外れな話である。
統一教会がどれほどの信者を有しているか一説によると8万人、5万人というではないか、それだけの信者数が何故日本を動かすようなことが果たして可能なのか、考えてみればわかること。ましてや「宗教法人」という法的な組織であることを鑑みた場合の信教の自由への束縛になるのだ。「オウム真理教」とは違うのだ。
確かに「霊感商法」といった事件まがいもあり「合同結婚式」など社会問題はあった。しかしあれから何年もたっていて、安倍政権時代に「霊感商法」救済措置としてそれまでこれらの宗教的な金銭のやりとりにはなかった「クーリングオフ制度」を導入しているのである。
また、これらの商法というものは宗教団体に於いては日常的にある話でありなにも「統一教会」だけの問題ではなく、広く解釈すれば「マルチ商法」もにたようなものであろう。
宗教では教祖や、教本を信じ神を信じこうすれば幸福になるのだといった信仰をしていてマルチではお金を信じ金儲けで幸福になるのだという事を信じているという違いだけなのだ。
常識に関しては常日頃の生活の中でこうすればこうなるのだといった因果関係を学ぶと同時に、過去から連なる習わしなどにて身に着けるものであり、結果として周りと最低限の調和が保たれるのだと思う。
一方人間としての生き方もその常識を踏まえたうえでの立ち振る舞いが必然的に人間社会のルールとして存在しているのである。
安倍晋三という稀代の政治家の死に対しての各人のふるまいかたにこれだけ差があるとは・・・少なくとも反論できない死者に対しての野党の議員や報道にいかんともしがたい感情が芽生えてしまう昨今である。
2022年09月22日
大学之道・・・中国、夏・殷・周の時代
「大学之道、在✓明✓明徳在✓新(親)民在✓止於至善」
大学の道は明徳を明らかにするに在り、民を新たにするに在り、至善に止まるに在り
・・・三つの綱領としてまず (朱子解釈)
一、「明明徳」 人が天から受けて生まれもった輝かしい徳(明徳)に覆いかぶさってる濁りを取り除き本来のように徳を輝かせること
二、「新民」 古くからの持ち続けている悪の状態にたたずんでいる民衆を教え導くことて革新させることにあり
三、「至止善」 そして究極の善に至りそこに止まることにある
3000年も前からこういう教えがあったという事に驚かなければならない
これらの教えは君子・・リーダーたるものの必修課題であった・・・
明徳とは・・・中国古典「大学」より
明徳とはすべての人が生まれながらに天から授かった天の道理と同じ輝かしい徳である。
ただ、人は肉体を中心にした五官によって生じる数々の過ち、生まれ育った環境や思想、習慣によって濁ってしまった気質がこの明徳を覆い
その輝きを失っている。
しかし、本来は明徳という澄み切った善は誰しもが有していて、要はその覆っているものを取り除くことをすれば、本来の輝かしい存在になるのである。「明明徳」、と本来の徳を明らかにするために必要な修行を、自己修養「修己」である。
次に目標とすべきことが「民を新たにする(親民)」ことである。「明徳を明らかにして自らを修養すればと、それで終わりではなく社会のリーダーとして自らが明らかにした明徳を他者に(民に)おしひろげ、彼らに押し広げ、自己修養自己革新を遂げさせる それが「民を新たにする」の意味。己
これは修己に対していえば人々を治める「知人」の行為である
これが「明明徳」「新民」「至止善」というのが「朱子」の分類による三綱領なのである。
※ 参考・・中国古典 「大学・中庸」より抜粋
・・・人の世においてリーダーの在り方こそが社会を円滑にするために必要な事柄・・
大学の道は明徳を明らかにするに在り、民を新たにするに在り、至善に止まるに在り
・・・三つの綱領としてまず (朱子解釈)
一、「明明徳」 人が天から受けて生まれもった輝かしい徳(明徳)に覆いかぶさってる濁りを取り除き本来のように徳を輝かせること
二、「新民」 古くからの持ち続けている悪の状態にたたずんでいる民衆を教え導くことて革新させることにあり
三、「至止善」 そして究極の善に至りそこに止まることにある
3000年も前からこういう教えがあったという事に驚かなければならない
これらの教えは君子・・リーダーたるものの必修課題であった・・・
明徳とは・・・中国古典「大学」より
明徳とはすべての人が生まれながらに天から授かった天の道理と同じ輝かしい徳である。
ただ、人は肉体を中心にした五官によって生じる数々の過ち、生まれ育った環境や思想、習慣によって濁ってしまった気質がこの明徳を覆い
その輝きを失っている。
しかし、本来は明徳という澄み切った善は誰しもが有していて、要はその覆っているものを取り除くことをすれば、本来の輝かしい存在になるのである。「明明徳」、と本来の徳を明らかにするために必要な修行を、自己修養「修己」である。
次に目標とすべきことが「民を新たにする(親民)」ことである。「明徳を明らかにして自らを修養すればと、それで終わりではなく社会のリーダーとして自らが明らかにした明徳を他者に(民に)おしひろげ、彼らに押し広げ、自己修養自己革新を遂げさせる それが「民を新たにする」の意味。己
これは修己に対していえば人々を治める「知人」の行為である
これが「明明徳」「新民」「至止善」というのが「朱子」の分類による三綱領なのである。
※ 参考・・中国古典 「大学・中庸」より抜粋
・・・人の世においてリーダーの在り方こそが社会を円滑にするために必要な事柄・・
2022年09月18日
日本が活躍することが不満な人々
日本人以外の人が日本を悪く言うのならかろうじて理解できるのであるが、日本人が日本を貶めるような発言をしたり、行為したりしているのがなぜかを理解するのはかなり難しい。
深層心理なるものの存在を考えたとき、どこかこの方たちの精神状態のおかしさを感じざるを得ない。
輝ける存在として世界にアピールしこれから100年後の世界平和を導くのは世界中を見ても、日本が最もふさわしいと思っているのに
なぜかそんな気概もなく、ただただ自分と自分の周りのわずかなことが良ければいいのだという情けない政治家、官僚、教育者、思想家、財界人などが大手を振って闊歩しているという、そんな現実を見るにつけ心が疲れてしまう。
人が生きていくといっても長くて100年その時間なんて宇宙の藻屑のような線香花火のように一瞬の出来事、人生模様にしか過ぎないのに偉そうに闊歩していても空しいものなのだ。
数多くの災害を乗り越えてきた日本人の底力、助け合いの精神、礼儀正しい性格、優しく愛にあふれた日本人ならではの情緒性などは西洋人とは全く異質のものであり、かつ世界史における偉人たちの言葉を真剣に考え行動していこうとするのは日本人ならではの誠実性のあらわれであるのに、そのことを忘れ去れとばかりの「日本陥れ計画」のごとき風潮は、完全に心の侵略を受けてきた結果であろう。
その原因の一つには極端な物質至上主義の蔓延とそれに伴っておきる競争主義。自分さえよければ他はどうなってもよいといった自己中心主義
物事の現象一切は何一つ単独で存在しているものはないのであって、独り占めという思考はそもそも論理が破綻しているのである・・・といってもならば共産主義がいいかといっても現実は一握りの人による独裁になっているという事は多くの人がしるところにあるではないか。
いずれにしても栄耀栄華を極めてもそれを実感する間もわずかなものであって永遠に存続するものではないのである。
永遠の生命の営みの中に現在、地球という物質の世界に住しているに過ぎないのが私たちののがれることのできない宿命であり、真の魂の存在を客観的に認識するためにこの三次元という波動の荒い世界で学習しているというのが各人の姿なのであり、その学習体験を通して人格を磨くというのが我々に与えられた偉大なる使命なのであるという事を知ったならば、いかに世界の平和、調和を実現するかの努力が必要であるということなのである。
しかしながら、一人の人間が世界平和という大それたことは無理な話だし、国家の平和貢献も土台無理だといえるのではないか、と諦めることが多いのではないか・・・といった声に対し中国の古典により開設されている文言があるという事を知ろう。修身・斉家・治国・平天下
という言葉がある、平天下・・・世界は平和でないといけないがそれは各国がそれぞれ国を治めなければならない、国は各家庭が整っていなければならないし家族の調和はそのこうせいいんである各個人が身を修むることなのである。・・・・という事なのだが。当然現在の中国ではない。この言葉すら残っているかどうか・・・かように物事の連鎖、循環の在り方は3000年の昔から言われていることに注視したい。
時代と所を変え「モーゼ」の十戒にある言葉は
主が唯一の神であること ・・・・・・中国古典では「天」という概念である。天網恢恢疎にして漏らさず、「イエス」の言葉は「天の父は汝らの髪の毛一本だにご存じである。と述べられておる。
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)・・・・拝む対象物などいらないという事・・現在の日本の宗教法人設立条件には拝む対象物がなければならないそうだ
神の名をみだりに唱えてはならないこと・・・・あくまでも人生は自力の行為が必要であり、自力の極致に天の応援があるという事ここでいう神のみなとは偶像崇拝と同義
安息日を守ること・・・・ある一定の期間に自らが思ったこと行ったことが「自分本位」に流されていなかったかどうかわ反省する時間を設けよという事である。ここから下は現実の生活の中で心がけておかなければならないことだが、古代ローマのモーゼの時代も今も変わっていない徳目なのだ、まあ人間も成長していないものだなあ・・・と思わずにいられない
父母を敬うこと・・・・・敬われないような事件を起こしていることばかり強調して報道しているものだから、人の心はマヒしてしまい日常の中に溶け込んでしまう
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)・・・安倍元総理を白昼暗殺の犯人をなぜか賛美しているような論調をつくり安倍が撃たれて当然だという印象操作を行っている。統一教会の問題をクローズアップしますますおかしくなってきている。信仰の自由という法律を知らないかの如く、情報操作のやり方は「モリカケ」騒動と同じロジック・・・うその連鎖
姦淫をしてはいけないこと・・・・不倫ドラマ日常観の演出・あたかも純愛のような表現でどれだけの過ちを遠隔的に起こさせて斉家、修身の障害を創っていったか
盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)・・・国家犯罪を犯していることもあり、ある国に対しての忖度働かしている国際報道
隣人について偽証してはいけないこと・・・国家も企業も嘘ばかりであるのに、そこには触れないといった「報道しない自由」の行使
隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと・・・勝つために手段を選ぶなともいうべき詐欺まがいの証券期間、株など
これらの戒めを破りましょうといわんばかりのマスコミ報道は、顛倒妄想ともいうべき仕業であろう
こうして日本はだんだんと汚染され未来に残すべき「美しい日本」を失いつつある。
手始めは修身教育の復活による正しい生き方の道筋を伝えていくことだろう、おそらくは100年ほどかかるものと思われるがそのことを思うに今の政治家に頼めるのだろうか、近視眼的な政策もさることながら、そもそも人の存在を無視しての発展などありえない。
憂いの心を持ちながらの発信をともかくも続けていきたい
深層心理なるものの存在を考えたとき、どこかこの方たちの精神状態のおかしさを感じざるを得ない。
輝ける存在として世界にアピールしこれから100年後の世界平和を導くのは世界中を見ても、日本が最もふさわしいと思っているのに
なぜかそんな気概もなく、ただただ自分と自分の周りのわずかなことが良ければいいのだという情けない政治家、官僚、教育者、思想家、財界人などが大手を振って闊歩しているという、そんな現実を見るにつけ心が疲れてしまう。
人が生きていくといっても長くて100年その時間なんて宇宙の藻屑のような線香花火のように一瞬の出来事、人生模様にしか過ぎないのに偉そうに闊歩していても空しいものなのだ。
数多くの災害を乗り越えてきた日本人の底力、助け合いの精神、礼儀正しい性格、優しく愛にあふれた日本人ならではの情緒性などは西洋人とは全く異質のものであり、かつ世界史における偉人たちの言葉を真剣に考え行動していこうとするのは日本人ならではの誠実性のあらわれであるのに、そのことを忘れ去れとばかりの「日本陥れ計画」のごとき風潮は、完全に心の侵略を受けてきた結果であろう。
その原因の一つには極端な物質至上主義の蔓延とそれに伴っておきる競争主義。自分さえよければ他はどうなってもよいといった自己中心主義
物事の現象一切は何一つ単独で存在しているものはないのであって、独り占めという思考はそもそも論理が破綻しているのである・・・といってもならば共産主義がいいかといっても現実は一握りの人による独裁になっているという事は多くの人がしるところにあるではないか。
いずれにしても栄耀栄華を極めてもそれを実感する間もわずかなものであって永遠に存続するものではないのである。
永遠の生命の営みの中に現在、地球という物質の世界に住しているに過ぎないのが私たちののがれることのできない宿命であり、真の魂の存在を客観的に認識するためにこの三次元という波動の荒い世界で学習しているというのが各人の姿なのであり、その学習体験を通して人格を磨くというのが我々に与えられた偉大なる使命なのであるという事を知ったならば、いかに世界の平和、調和を実現するかの努力が必要であるということなのである。
しかしながら、一人の人間が世界平和という大それたことは無理な話だし、国家の平和貢献も土台無理だといえるのではないか、と諦めることが多いのではないか・・・といった声に対し中国の古典により開設されている文言があるという事を知ろう。修身・斉家・治国・平天下
という言葉がある、平天下・・・世界は平和でないといけないがそれは各国がそれぞれ国を治めなければならない、国は各家庭が整っていなければならないし家族の調和はそのこうせいいんである各個人が身を修むることなのである。・・・・という事なのだが。当然現在の中国ではない。この言葉すら残っているかどうか・・・かように物事の連鎖、循環の在り方は3000年の昔から言われていることに注視したい。
時代と所を変え「モーゼ」の十戒にある言葉は
主が唯一の神であること ・・・・・・中国古典では「天」という概念である。天網恢恢疎にして漏らさず、「イエス」の言葉は「天の父は汝らの髪の毛一本だにご存じである。と述べられておる。
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)・・・・拝む対象物などいらないという事・・現在の日本の宗教法人設立条件には拝む対象物がなければならないそうだ
神の名をみだりに唱えてはならないこと・・・・あくまでも人生は自力の行為が必要であり、自力の極致に天の応援があるという事ここでいう神のみなとは偶像崇拝と同義
安息日を守ること・・・・ある一定の期間に自らが思ったこと行ったことが「自分本位」に流されていなかったかどうかわ反省する時間を設けよという事である。ここから下は現実の生活の中で心がけておかなければならないことだが、古代ローマのモーゼの時代も今も変わっていない徳目なのだ、まあ人間も成長していないものだなあ・・・と思わずにいられない
父母を敬うこと・・・・・敬われないような事件を起こしていることばかり強調して報道しているものだから、人の心はマヒしてしまい日常の中に溶け込んでしまう
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)・・・安倍元総理を白昼暗殺の犯人をなぜか賛美しているような論調をつくり安倍が撃たれて当然だという印象操作を行っている。統一教会の問題をクローズアップしますますおかしくなってきている。信仰の自由という法律を知らないかの如く、情報操作のやり方は「モリカケ」騒動と同じロジック・・・うその連鎖
姦淫をしてはいけないこと・・・・不倫ドラマ日常観の演出・あたかも純愛のような表現でどれだけの過ちを遠隔的に起こさせて斉家、修身の障害を創っていったか
盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)・・・国家犯罪を犯していることもあり、ある国に対しての忖度働かしている国際報道
隣人について偽証してはいけないこと・・・国家も企業も嘘ばかりであるのに、そこには触れないといった「報道しない自由」の行使
隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと・・・勝つために手段を選ぶなともいうべき詐欺まがいの証券期間、株など
これらの戒めを破りましょうといわんばかりのマスコミ報道は、顛倒妄想ともいうべき仕業であろう
こうして日本はだんだんと汚染され未来に残すべき「美しい日本」を失いつつある。
手始めは修身教育の復活による正しい生き方の道筋を伝えていくことだろう、おそらくは100年ほどかかるものと思われるがそのことを思うに今の政治家に頼めるのだろうか、近視眼的な政策もさることながら、そもそも人の存在を無視しての発展などありえない。
憂いの心を持ちながらの発信をともかくも続けていきたい
2022年09月17日
嘘つきマスコミにいいたい
淡々とした日々を何事もなく送っている、そう思っていてもその時間経緯の中で、不機嫌になったり喜んだり悲しかったりといった感情の起伏を生じさせている。
そしてそれら感情の起伏が淡々とした日々の暮らしに影響を及ぼしているのだという事を知らなければならない。
感情の起伏は個人が作っていく部分がある。とは言いながらその元は何かと考えを深くする人は少ない。
物事を深く考えていけばいくほど、昨今のマスコミ情報の偏りに辟易する。
毎日「統一教会」問題を取り上げつつ今の政府批判、ひいては安倍元首相の「国葬批判」につなげていく手法は本来もっと大切な議論「憲法改正」に至る道筋を妨害しているとしか思えないような作戦という気もするのだ。
ワイドショーによる下劣な報道、一部野党の面々の下品な言動、それらに右往左往している政府の重鎮たち おいおい日本は大丈夫かい?
こんなことも常識的な教養を持っていればおかしいと思うはずなのに、それを許しているかのような国民の数々。
さあ考えてもみてください統一教会が国家の運営にどれくらい影響を及ぼすことができるのだろうか、信者数から見てもわかるであろうに・・
そんな教団と癒着していたとしても日本の人口から見て些細な事むしろ公明党の支持母体のでかさこそ問題視すべきじゃないか、
マスコミによる「報道しない自由」によってテレビや新聞しか情報ソースを持っていない人たちには正しさの基準を強要しているようにしか思えず、なんだか朝から不愉快になっている自分の心を立て直す必要があると強く思う今日この頃である。
憂鬱な報道に対して腹がたっててしばらくブログの更新ができずであった
そしてそれら感情の起伏が淡々とした日々の暮らしに影響を及ぼしているのだという事を知らなければならない。
感情の起伏は個人が作っていく部分がある。とは言いながらその元は何かと考えを深くする人は少ない。
物事を深く考えていけばいくほど、昨今のマスコミ情報の偏りに辟易する。
毎日「統一教会」問題を取り上げつつ今の政府批判、ひいては安倍元首相の「国葬批判」につなげていく手法は本来もっと大切な議論「憲法改正」に至る道筋を妨害しているとしか思えないような作戦という気もするのだ。
ワイドショーによる下劣な報道、一部野党の面々の下品な言動、それらに右往左往している政府の重鎮たち おいおい日本は大丈夫かい?
こんなことも常識的な教養を持っていればおかしいと思うはずなのに、それを許しているかのような国民の数々。
さあ考えてもみてください統一教会が国家の運営にどれくらい影響を及ぼすことができるのだろうか、信者数から見てもわかるであろうに・・
そんな教団と癒着していたとしても日本の人口から見て些細な事むしろ公明党の支持母体のでかさこそ問題視すべきじゃないか、
マスコミによる「報道しない自由」によってテレビや新聞しか情報ソースを持っていない人たちには正しさの基準を強要しているようにしか思えず、なんだか朝から不愉快になっている自分の心を立て直す必要があると強く思う今日この頃である。
憂鬱な報道に対して腹がたっててしばらくブログの更新ができずであった