2022年09月18日

日本が活躍することが不満な人々

 日本人以外の人が日本を悪く言うのならかろうじて理解できるのであるが、日本人が日本を貶めるような発言をしたり、行為したりしているのがなぜかを理解するのはかなり難しい。
 深層心理なるものの存在を考えたとき、どこかこの方たちの精神状態のおかしさを感じざるを得ない。
輝ける存在として世界にアピールしこれから100年後の世界平和を導くのは世界中を見ても、日本が最もふさわしいと思っているのに
なぜかそんな気概もなく、ただただ自分と自分の周りのわずかなことが良ければいいのだという情けない政治家、官僚、教育者、思想家、財界人などが大手を振って闊歩しているという、そんな現実を見るにつけ心が疲れてしまう。

 人が生きていくといっても長くて100年その時間なんて宇宙の藻屑のような線香花火のように一瞬の出来事、人生模様にしか過ぎないのに偉そうに闊歩していても空しいものなのだ。
 数多くの災害を乗り越えてきた日本人の底力、助け合いの精神、礼儀正しい性格、優しく愛にあふれた日本人ならではの情緒性などは西洋人とは全く異質のものであり、かつ世界史における偉人たちの言葉を真剣に考え行動していこうとするのは日本人ならではの誠実性のあらわれであるのに、そのことを忘れ去れとばかりの「日本陥れ計画」のごとき風潮は、完全に心の侵略を受けてきた結果であろう。
 その原因の一つには極端な物質至上主義の蔓延とそれに伴っておきる競争主義。自分さえよければ他はどうなってもよいといった自己中心主義
物事の現象一切は何一つ単独で存在しているものはないのであって、独り占めという思考はそもそも論理が破綻しているのである・・・といってもならば共産主義がいいかといっても現実は一握りの人による独裁になっているという事は多くの人がしるところにあるではないか。
 
 いずれにしても栄耀栄華を極めてもそれを実感する間もわずかなものであって永遠に存続するものではないのである。
永遠の生命の営みの中に現在、地球という物質の世界に住しているに過ぎないのが私たちののがれることのできない宿命であり、真の魂の存在を客観的に認識するためにこの三次元という波動の荒い世界で学習しているというのが各人の姿なのであり、その学習体験を通して人格を磨くというのが我々に与えられた偉大なる使命なのであるという事を知ったならば、いかに世界の平和、調和を実現するかの努力が必要であるということなのである。

 しかしながら、一人の人間が世界平和という大それたことは無理な話だし、国家の平和貢献も土台無理だといえるのではないか、と諦めることが多いのではないか・・・といった声に対し中国の古典により開設されている文言があるという事を知ろう。修身・斉家・治国・平天下
 という言葉がある、平天下・・・世界は平和でないといけないがそれは各国がそれぞれ国を治めなければならない、国は各家庭が整っていなければならないし家族の調和はそのこうせいいんである各個人が身を修むることなのである。・・・・という事なのだが。当然現在の中国ではない。この言葉すら残っているかどうか・・・かように物事の連鎖、循環の在り方は3000年の昔から言われていることに注視したい。
 時代と所を変え「モーゼ」の十戒にある言葉は

主が唯一の神であること  ・・・・・・中国古典では「天」という概念である。天網恢恢疎にして漏らさず、「イエス」の言葉は「天の父は汝らの髪の毛一本だにご存じである。と述べられておる。

偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)・・・・拝む対象物などいらないという事・・現在の日本の宗教法人設立条件には拝む対象物がなければならないそうだ

神の名をみだりに唱えてはならないこと・・・・あくまでも人生は自力の行為が必要であり、自力の極致に天の応援があるという事ここでいう神のみなとは偶像崇拝と同義

安息日を守ること・・・・ある一定の期間に自らが思ったこと行ったことが「自分本位」に流されていなかったかどうかわ反省する時間を設けよという事である。ここから下は現実の生活の中で心がけておかなければならないことだが、古代ローマのモーゼの時代も今も変わっていない徳目なのだ、まあ人間も成長していないものだなあ・・・と思わずにいられない


父母を敬うこと・・・・・敬われないような事件を起こしていることばかり強調して報道しているものだから、人の心はマヒしてしまい日常の中に溶け込んでしまう
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)・・・安倍元総理を白昼暗殺の犯人をなぜか賛美しているような論調をつくり安倍が撃たれて当然だという印象操作を行っている。統一教会の問題をクローズアップしますますおかしくなってきている。信仰の自由という法律を知らないかの如く、情報操作のやり方は「モリカケ」騒動と同じロジック・・・うその連鎖
姦淫をしてはいけないこと・・・・不倫ドラマ日常観の演出・あたかも純愛のような表現でどれだけの過ちを遠隔的に起こさせて斉家、修身の障害を創っていったか
盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)・・・国家犯罪を犯していることもあり、ある国に対しての忖度働かしている国際報道
隣人について偽証してはいけないこと・・・国家も企業も嘘ばかりであるのに、そこには触れないといった「報道しない自由」の行使
隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと・・・勝つために手段を選ぶなともいうべき詐欺まがいの証券期間、株など

 これらの戒めを破りましょうといわんばかりのマスコミ報道は、顛倒妄想ともいうべき仕業であろう

 こうして日本はだんだんと汚染され未来に残すべき「美しい日本」を失いつつある。

 手始めは修身教育の復活による正しい生き方の道筋を伝えていくことだろう、おそらくは100年ほどかかるものと思われるがそのことを思うに今の政治家に頼めるのだろうか、近視眼的な政策もさることながら、そもそも人の存在を無視しての発展などありえない。
 憂いの心を持ちながらの発信をともかくも続けていきたい



posted by 筆文字や隆庵 at 13:16| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする