物事に対して、様々な意見があるのは承知している。承知しているという事は常識的意見であるという事だということ
連日連夜、テレビや新聞果てはインターネット上においても統一教会と自民党政治家の癒着ぶりを報道、さも教会による陰謀論までもが吹聴されている。
このことの発端が安倍元総理を暗殺した山上なるものの犯行理由に統一教会への恨みから犯行に及んだとの証言から、一気に報道のスタンスが変わったのである。重要な問題を統一教会問題へすり替えられたのである。
一番大事なことはこの殺人事件が、国民意見を集約すべき選挙という日本の民主主義の根幹である時期に、なおかつ白昼に起きた「暗殺事件」であることから、通常これは「テロ事件」というべきである。
とういうことはまず事件の真相こそ追求すべき事柄であり、再発防止策も含めたうえでの捜査活動を報道すべきであろうと考える。このことによって「テロ防止」のための抑止力ともなるのである。
それなのにその後の報道に至っては、山上に対しての同情を掘り起こさんばかりの統一教会たたき、そして統一教会に関連している政治家のつるし上げ、その結果こんな反社会的な宗教団体の支援を受けていたとされる安倍元総理の国葬あいならんとばかりの中傷報道。まったくもって的外れな話である。
統一教会がどれほどの信者を有しているか一説によると8万人、5万人というではないか、それだけの信者数が何故日本を動かすようなことが果たして可能なのか、考えてみればわかること。ましてや「宗教法人」という法的な組織であることを鑑みた場合の信教の自由への束縛になるのだ。「オウム真理教」とは違うのだ。
確かに「霊感商法」といった事件まがいもあり「合同結婚式」など社会問題はあった。しかしあれから何年もたっていて、安倍政権時代に「霊感商法」救済措置としてそれまでこれらの宗教的な金銭のやりとりにはなかった「クーリングオフ制度」を導入しているのである。
また、これらの商法というものは宗教団体に於いては日常的にある話でありなにも「統一教会」だけの問題ではなく、広く解釈すれば「マルチ商法」もにたようなものであろう。
宗教では教祖や、教本を信じ神を信じこうすれば幸福になるのだといった信仰をしていてマルチではお金を信じ金儲けで幸福になるのだという事を信じているという違いだけなのだ。
常識に関しては常日頃の生活の中でこうすればこうなるのだといった因果関係を学ぶと同時に、過去から連なる習わしなどにて身に着けるものであり、結果として周りと最低限の調和が保たれるのだと思う。
一方人間としての生き方もその常識を踏まえたうえでの立ち振る舞いが必然的に人間社会のルールとして存在しているのである。
安倍晋三という稀代の政治家の死に対しての各人のふるまいかたにこれだけ差があるとは・・・少なくとも反論できない死者に対しての野党の議員や報道にいかんともしがたい感情が芽生えてしまう昨今である。