2022年11月30日

日々の生活における事件

身の回りに起きる出来事は自らがいつの時かに蒔いた原因が、結果としてあらわれている。
だから日々のエピソードを記憶し、記録することがいかに大切かを考えてみたい。

今の今起きている事象は、あらかじめ自分が蒔いていた原因が結果としてあらわれたことなのである。

その原因の大多数は習慣的に行われていることが多いのであり、多くの人はそれが正しいか間違いかを判断することはすこぶるむづかしぃことなのである。

大事件はそれなりの大きな原因をつくっているから発生しているのであってそうそう私たちの日常では起きにくいものである。
争いという事態を考えたときに、それは個々の問題の場合と社会活動上の問題の場合とによっては影響を及ぼす範囲はまるで違うのだが本質のところは因果律という法則下にあるのだ

大は大なり小は小なりの結果が生じているから
それぞれの問題が異なる手段で解決しなければならないだけであつて
基本として解決できない問題はないのである

間違えてはいけないのは問題はなにもマイナスのことばかりではなくプラスの問題も発生しているのであって、その時は過去プラスの原因をつくっているわけだからそれは今後も継続していいよという信号であるのだという事を忘れてはいけないのである。

いずれにしてもよかったこと悪かったことにはそれぞれの原因ありなのだから

日日を記録していくことは大切なのである。

釈尊の説かれた八正道・・・正しく定にいるべし・・とはこの記録されたもの、ことに対してよきかわろきかを判断し、よきことは続ければよいしわろきはあらためていけばいいのだという教えにつながると小生覚

今私自身が遭遇している悩みや苦しみは、実のところ私自身が作り上げたものであって、一見してみて私が作っていった問題ではないようなことでもその環境をつくったのは自分であるので心広く正しい生き方をしていくためのありがたい材料なのであろう・・と思うのである。




posted by 筆文字や隆庵 at 22:53| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月29日

考えなければならないこと

 70歳になったとはいえ、考えなければならないことがたくさんある。
自営業ならではの話し、定年などなくお客様の要望が降り続ける以上、私に引退はないのである。
世に多くの仕事があり、その仕事ならではの特殊な技術に対しての要望や環境に応じての存在価値というものがあ  る。
 その変化に気づかず従前の環境によってのみ成立していた自分の存在価値を過剰に自己評価し、現在の市場にあっていないという現実に目をふさぎ過去の成功事例の延長線上にあるものだという。

 そういった人たちの根本的な間違いを指摘しつつも
ではどうすればいいのかと問われること多し

 まず問題は何処にあるのかを発見する事が第一であるが、その前に理想の形を認識することが大切である。
一体、どうありたいのか。

 自らのおかれた立場から考える
 そこで
 自らの人生の今後のシナリオを構築していく

 あるべき自分とはどんな形なのかをまず考えてその形を成立させる条件とは何か・・・という風に現実的に考えてみることが第一のミッションであろう。この設定条件をどうしたら満足できるのか、そのことに意識を集中させてみよう。

見えてくるものがあるはず

 常にいい気分で過ごしたいのであれば自分さえよければいいというわがままな心構え、習慣を捨てることだ
 
我々の人生は一瞬の積み重ねであってそれぞれの一瞬の思いと行動はそれぞれの結果を生み、その結果に対する認識度が次の結果につながり
幸不幸のどちらかを受けるもの

これ 法則

 それと、自分に対しては誰も嘘をつけないという事

 
 

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2022年11月27日

循環

世の中の社会、大自然の営みは全て循環の法則の中に存在している。
循環しているという事は回転しているという事なので、自らが思い行ってきたことはぐるり回って自らに帰ってくるものだ。
 物理的な行動に関してはその結果が物質的に目に見える形としてあらわれてくるので比較的わかりやすく修正も容易であるが
実はその行動を司ってる思いにその原因があるのだという事を知る人は少ないのである。

「人を呪えば穴二つ」という諺は、人を恨んだ付けはまわりまわって自分に帰ってくるのだという事。

 思いという心の振動は同じような思いの人のエネルギーと同調し場合によっては増幅し自らにかえってくるといった話は多い
良い思いや行動は、良い人々との波長同期を起こし自分に良として帰ってくるが、他人を恨みねたみ嫉妬に燃えるような思いの振動は
 同じような人々の振動と同調し増幅して自らに悪いこととして帰ってくる・・というのが大自然界の法則なのである。

因果律、慣性の法則、波長共鳴の法則 循環の法則 エネルギー不滅の法則はそっくりそのまま人間の心にも作用しているという事なのだ

イエス様は「汝、自らにしてほしいことを他人にせよ」と・・・・逆に言えば人に意地悪な心で接していたらその人の内面に刺激を与え、鏡の反射よろしく自分に帰ってくるのだから、そうしたいときはそうしたらよいわけなのだ。選ぶのは自身・・・・・

posted by 筆文字や隆庵 at 12:00| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月18日

精神病院で最初聞かれること

 先日縁あって親しい人を精神病院に連れていき、ともに最初の問診を受けた
もともと、ここに至るまでに発生した内容は他人から襲われているといった被害妄想にかられた挙句警察に電話しようとしたという事
 特定の他人から中傷を受けいじめられているという事
さらに、自分に対して嫉妬心を持っているという事などを、周りの人々に○○(自らに対して敵愾心を有する人)は悪魔であって毒を吐いていると
いいふらかしているといった人物(女性)を精神科に連れて行ってほしいとの主治医の意見に沿いかの病院に同行した次第であり、その時の状況が、人間が生きていく中で重要な要点をついていると思い記すことにした。

 面談内容は下記のこと
ドクターはまず生い立ちに関して覚えている限りのことを語ってくださいとのこと。まずあなたを生んだ父母のこと、兄弟姉妹のこと、周りの生活環境のことなどを質問。親子の関係や兄弟姉妹との関係で、思い出したことや思い出したくないこと等に関してお話くださいとのこと、
現状の生活環境を鑑みても多分言えないことだろうとは思ってみたが、うろ覚えながらピックアップして語った。ただ思い出したくないようなことに関しては言葉を濁すか、記憶に蓋をしているかのごとき態度であったように同行者である私は感じた。

 自分がいかにいい人であり優秀であったかを語るものの肝心な部分どこに住んでいて、どの学校にいて、どんな環境だったかに関しては覚えていないという事を語った。20代から30代の間の話しもところどころ不明というかあえて忘れたいのか記憶に蓋をしてるようだ落ち着きはない
 何故現在ここにきているのかに関しての認識はなく、誰かの指金ではないかと疑心の気持ちがあるようだ
自分の行為言動に関しての記憶も薄く、またさっき話した聞いたことも忘れてしまっているのだという

 年齢的に認知症という事でもあるがそれもアルツハイマー型という診断をいただいて、薬を処方していただいた。

 が、おそらくその見立ては間違い、肉体の病ではない。
心の問題を肉体である脳の問題であると観る精神科医ではおそらくわからないだろうなという結論に達したのである。
 ただ。ここまでの生活の経緯を知るという事でどの時点で心にひずみを持ったかが判明するのだと思うのである。

 嫉妬心、優越感、優越感の裏返しにある劣等感、その劣等感は被害者意識につながり 結果として自己嫌悪、自らを裁く心を持ってしまう
しかしながら、最終的には自分をかばい、守ろうとする意識が働き劣等感転じて人をさげすむという心が出てくるのです。
 その心根はいつ頃芽生え、どのような形で発展していったかそのことを知るためにドクターは生い立ちから現在に至るまでの出来事について細かくインタビューしたのだと思うのである。

 

posted by 筆文字や隆庵 at 22:28| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月08日

考える者が考えない者を支配する

 物事を、深く考えるという人が少なくなってきているとつくづく思う今日この頃。人の生きる道についてよくよく考えていく癖をつけていないと、とんでもない未来社会をつくっていくのではないかと改めて思うのである。

 物事を考えない人、つまり考えの浅い人は精神力が弱いと思うのである。
精神力とはエネルギーを受け入れる器であり理解し判断する力のこと、精神力。

心は、ものを思ったり、考えたりするところである。器の小さい人は自分を解ってもらおうとして、相手を理解するところまで及ばないように思う。
 ものを深く考えない人は薄っぺらい情報に触れることで簡単に洗脳されてしまう
これは、その人の学歴や地位に関係ない

 少なからずの人は考えて戦略を立てる人によってコントロールされていることに気づかず、流されてしまい結果として「ふわふわした民意」という名の当事者になってしまっている。

 ならば、簡単に思想コントロールされ情報の正否を知ることのない愚民となるのであろう。

 何気なく聞いている情報番組によって知らず知らずにコントロールされているという事に危機感を持って、自らのリテラシーを確立させなければならない

 何故今統一教会なのか、騒ぎのきっかけが安倍元総理の暗殺事件から派生しているという事を知らなければならない

 良ーく考えましょう・・・マスコミ報道の矛盾に気づこう・・・宗教法人の問題を深く考えていない人々に流されている情報がいかに変なのかを論理的に考えよう

 
posted by 筆文字や隆庵 at 20:15| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする