2022年12月18日

人生という旅について(仕事編)

 おギャーとこの世に生を得て今日まで69年と10か月余り、現在も仕事をしている。仕事をしているという事は少なくとも誰かのお役に立っているということか、自分がしがみついていて誰かの世話になっているかのいずれかであろう。
 しかし誰かの世話になっているといってもその誰かにとって役に立っているという事だからこの二者は同等であろう。

 仕事の本質は少なからず誰かのお役に立ってこそであり おおよそ生きているすべての存在はそのまま何らかの役に立っているということが大事であると釈尊はその説法の中で再三述べておられる、
 
 「仕事」は、自らの生活を助けるとともに人々の生活に潤いをもたらすものである。

私の仕事の大部分は飲食店・旅館・ホテル・小売業といったお店の繁栄維持のためのコンサルティングを主とした援助活動だといっていい。
 それも単なる経済的成功のみをよしとせず人生の在り方に関しての
 
総合的な課題を仕事をとおして どう学んでいくかについて考えようではないかという姿勢である。

 それら人生の課題解決の手段の一つとしての経済という観点,からいかに利益を上げるかは大切な事柄であろう。
ゆえに経済の成功を得ることのアドバイスをさせていただくのが私の仕事である。
 少なくともこのアドバイス実施によってか いまだにお客様のコンサルティング要望があることに感謝している次第です。

 我々人類の師である「釈尊」の説かれた理により実践していければ道は大きく開かれるものと思うのであります。

教えは昨今の宗教団体が勝手に解釈して現代に誤った教えがはびこっている事を私たちは知らなければならないのです。
○○宗、○○派、などがあるという事が釈尊の教えが正確に伝わっていない証拠だと思います。



 
posted by 筆文字や隆庵 at 23:01| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月15日

正しい事態とは何か

 いろんなことが起きている、防衛費という国家予算獲得のために増税するという話がある。
一国民としてそれはやぶさかでなく国家のために負担しようとは思うのであるが、何故今更唐突にそんなことになるのか。今までの税の使い方の中で防衛に充てる予算はいかほどであったのか、それでは足りないという事なのか、明らかにしないといけないと思う。
 次にある疑問はこの唐突(本来はすでに分かっていたこと)に軍事に関しての危機が迫っているのか、どうなのか、何故なのかといったことを説明できなければならない。
 何事も現実対応として最低限の情報は国民に対して発信すべきものである。

 しかしながら、マスコミ(某国諜報機関の影響下にあるかのごとき有様を世間にさらしている)による偏向報道にまどわされている国民が存在しているのも事実であろう。

 正しい物事の観察は現状をまずは正確にとらえることが第一であろうと、それも自らが過去の歴史を紐解きながらそれぞれの原因と結果の渦巻き状の現象を鑑みながら今を見そして今起きていることによる結果を推測できなければならないのである。

 正しい事態は正しいという各々の価値観の違いによってとらえられている幻のような世界

 各々の価値観によって正しい事態の解釈がなされていることが大きな問題を引き起こしているともいえる。正しいと正しいかぶつかって戦になっている事。これが現実の正しさ訴求による戦いなのだ

 話は横にずれたが、防衛とは何のために、誰のために存在しているのかそれこそを議論のトップにもってこなければ話は始まらない、単なる経済、お金の話しでなく人としての尊厳のことを伝えるのが政府の仕事、学ぶべきは歴史。
 歴史とは人々の考えと実践の結果を記録したものでありそれは世界的であり日本的でありそれぞれの国家的なのである。いまだかつて国民の総意による戦など起きたことはない。あたりまえである。国際社会の中でいかんともしがたいと考えている輩によって起こされていることであって本質は自己中心的な思想から発生した人類の業であろう。

そういった輩から囲まれている我が国の状況の中での防衛予算は、戦に活路を見出さんとしているある国家群から国民を守るべきために必要だと至う事を、政府は声高々に宣言すべきだと思う今日である。


posted by 筆文字や隆庵 at 23:31| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月08日

理想の日本を考える。ワールドカップ

どのような理想の姿を日本の国は、描いているのであろうか。
日本の国は、どの方向に進もうとしているのか、国民一人一人に解るようにしてほしいものだ

 何故なら、行き先、つまり到着地点が分かると人は、その方向に動き出すからである。
人間にとっての理想は、世界の平和と人間の幸福を目指すのは当然のことだろう。

 そのためにはそのようになる順序として第一段階を、どんな目標の設定したほうがいいかを考える必要があるのではないか。
国旗の日の丸は生命あるものを生かし続ける太陽を中心に宇宙が描かれ、自然の恵みに感謝して生きるのが日本人である。

 国歌の君が代は、みんなが仲良く助け合い団結をして末永く幸せであるように方向付けをされている。理想の姿は、国旗と国歌を中心に考えるべきだろう。

 サッカーワールドカップを見てての所感である。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:23| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月07日

身の回りに起きる出来事は自分のせい

 現在自らが置かれている環境は偶然にそうなっているわけではなく、過去自らが思い行ってきたことの決算として存在しているのだという事を知らなければならない。
 これは、心の世界でも同様に働くのです。心の世界というのは好きとか嫌いとかいった感情や、気に入っている友人などとの交流もしかりまた自らに降りかかっている非難中傷に至るまですべてであり、そのことを高橋信次著「人間釈迦⓵」より見出すことができる。

 85頁に
 普通、他人から誹謗されると、つい自分をかばう心がでて、怒りの感情が燃えだすものである。他人から誹謗されるという事は誹謗される何かが自分にあるか、天の試練か、そのどちらかである。しかし天の試練とは言っても試練にあるカルマが自分になければ試練は受けずに済むことである。とするとこれも自分に帰着する。
 原因が自分にあるとするならばその原因を静かに見渡すだけの心の余裕、寛容さがなければ少なくとも道を求める者の態度とはいいがたい。そうしたもう一人の自分を忘れて、相手の中傷に反発していく態度は、もはや修行者とは言えないのである。
 また怒りの感情は、心の平安をもっとも毒す。なんとなれば心の安らぎは人間感情のもっとも奥深いところにあるからである。
もしも人間が感情という情操というものをなくしたらどうなるだろう。人間はロボットと変わらないし生きた人形になってしまうであろう。
人のものを横取りしようと、殺めようと、感ずるところがない。ものの哀れ、救いという愛の心も芽生えてはこないだろう。
 人間には感情という情緒があり情操があるゆえに、大自然の慈悲に感謝し、愛の行為に、人は勇躍するのである。人間の感情はそれゆえに、にんげんであるがゆえのもっとも重要な精神作用であり、これを無視して人間を語ることはできない。感情とは其れほど大事なものだが、その同じ感情でも怒り、中傷、ねたみの想念は慈悲、愛の心を受け止める、ないしは発動させる広いおおきな情動を表面的な感情想念で閉ざされてしまうため、これほど悟りから遠ざけるものはないのである。

・・・・いうまでもなく私たちは永遠の生命をいただいてる神の子であるからしてもうすでに何千回何万回とこの地上界に生をもって様々な事をなしてきています。それはそれぞれの環境の中で己の魂を磨くための道程としてあったにも関わらず、自己中心的な生き方によって多くの過ちを犯してきているもです。それぞれの生き方はいったん天上の世界(心のふるさと)にかえって地獄の世界を経由し反省しているのですが、再びこの世に肉体をもって生活するようになってもまた同じ失敗をしていたり、カルマの解消ができてうまくいったりと人生の学習を積み重ねていくのでありますから、今度の人生によって反省したことの確認をしながら各人の課題をクリアーしていかなければならないのであります。

修正しなければならない項目に関してはそのご幾たびか自分に降りかかっていくように計画しているのも実は自分自身なのです。
そこで冒頭の文章・・・という事になるわけです・・・これを天の試練と表現されているのです。
posted by 筆文字や隆庵 at 11:31| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする