いろんなことが起きている、防衛費という国家予算獲得のために増税するという話がある。
一国民としてそれはやぶさかでなく国家のために負担しようとは思うのであるが、何故今更唐突にそんなことになるのか。今までの税の使い方の中で防衛に充てる予算はいかほどであったのか、それでは足りないという事なのか、明らかにしないといけないと思う。
次にある疑問はこの唐突(本来はすでに分かっていたこと)に軍事に関しての危機が迫っているのか、どうなのか、何故なのかといったことを説明できなければならない。
何事も現実対応として最低限の情報は国民に対して発信すべきものである。
しかしながら、マスコミ(某国諜報機関の影響下にあるかのごとき有様を世間にさらしている)による偏向報道にまどわされている国民が存在しているのも事実であろう。
正しい物事の観察は現状をまずは正確にとらえることが第一であろうと、それも自らが過去の歴史を紐解きながらそれぞれの原因と結果の渦巻き状の現象を鑑みながら今を見そして今起きていることによる結果を推測できなければならないのである。
正しい事態は正しいという各々の価値観の違いによってとらえられている幻のような世界
各々の価値観によって正しい事態の解釈がなされていることが大きな問題を引き起こしているともいえる。正しいと正しいかぶつかって戦になっている事。これが現実の正しさ訴求による戦いなのだ
話は横にずれたが、防衛とは何のために、誰のために存在しているのかそれこそを議論のトップにもってこなければ話は始まらない、単なる経済、お金の話しでなく人としての尊厳のことを伝えるのが政府の仕事、学ぶべきは歴史。
歴史とは人々の考えと実践の結果を記録したものでありそれは世界的であり日本的でありそれぞれの国家的なのである。いまだかつて国民の総意による戦など起きたことはない。あたりまえである。国際社会の中でいかんともしがたいと考えている輩によって起こされていることであって本質は自己中心的な思想から発生した人類の業であろう。
そういった輩から囲まれている我が国の状況の中での防衛予算は、戦に活路を見出さんとしているある国家群から国民を守るべきために必要だと至う事を、政府は声高々に宣言すべきだと思う今日である。