多くの人たちは、(特に幼いころから勉学に励まされ親の言うとおりにすることが、自らのゆくゆくの満足につながるものと信じさせられた過去を持つ) どうしても物質獲得の多寡が幸福度を高めるのだと思い込み、そのために勉強しテストの成績を競い、よい待遇を得るためにはやはり良い大学に進まなければならないと信じ、そのためには良い高校に合格しなければならぬとばかり試験に通ることを第一義として日々を過ごしてきた体験がその人格形成に大いに影響を及ぼしている。
そのため自分自身の立身出世のみ考え、競争相手を蹴落として自分の目的を果たそうとする。そして地位・名誉をもって権力の座につこうとする。こうした人間が現代の社会のリーダー格として存在しているのである。
もともとが自己中心であることを親から、特に母親から教えてもらっているといっても過言ではない。
そういった環境下からとても公に貢献できる人が排出できるわけがない。
なぜならば自分の存在が自分の欲望を達成すればよいとした思想に基づいているからである。
どのような環境下であれ人間の真の姿は自己中心的であっては社会そのものが成り立たないという事を知らなければならない
何故ならどの時代の生活も他者の貢献があってこそであるからであり、大自然もその事を教えてくれている。
ましてや、私たちは転生輪廻している生命であり神仏の命によって魂の修行をし神仏の体であるこの現象界に、調和のとれた世界を建設
する使命を誰しもが持っているのである。
つまり永遠の生命ゆえに、一時の見かけだけの華やかな人生を楽しむのではなく永遠の生命の上に立って人生の道を楽しまなければならない
大自然の循環の方式があるのと同様私たちの肉体もいずれ滅しこの地上界をさり新しい肉体である光子体という乗り物に乗ってあの世というところに帰らなければならないのである。
一秒一秒、この瞬間の連続で時を刻んでいる。好むと好まざるとにかかわらずである。
だから、私たちは現世において悔いのない生活を送らなければならない。