観察とは現状のあらゆる現象に対して正しく見るという事であり表面的にのみ見ていないか、見ている自分が本気であるか。見ている自分の立ち位置に固執していないか・・自分の都合の良いように見ていないか、第三者の立場で見ていないか、それらのことを基準に観察することが大切であり、誰が言ったからとか、テレビでこう言っていたからという情報では片手落ちの見方 つまり邪見という事になるのです。
この時点で間違って観察したのである。間違いや嘘を真実と思い込むことがどれだけ次の行動を誤った方向にもっていってしまうのだという事を知らなければならい。
世界は今発信される情報そのものが偏向されているという事をしりつつあり、これが人々の観察という仕事を台無しにしてしまいます。
自分の日々の行動範囲から得られる現象などは取るに取らない狭いことかもしれないが,その行動の裏付けとなっているきっかけはやはり情報というエッセンスなのです。その裏付けとなる情報を発信している側が何らかの意思を持ち、その情報によって人の行動を左右していくものだといった前提で意図された偏向報道をされたら一体どうなるのか、そろそろ情報の受け手である私たちはその情報の裏に何があるのかを理解するだけの知識を持っていなければならないと思う次第である。
まずは正しく物事を見ることが大切であり、それには数値を理解する事から始め、情報発信している方たちの過去の言動や報道姿勢、身近に言えば親兄弟、友人、仕事仲間などが今までどういった心構えであってどんな行動をしていたか、言ってることと行ってることに矛盾はないかといった観点で観察していくことが正しい見方をする秘訣であるのです。
こうした観点から様々な報道機関、政治家、教育者、宗教家を見ていくことで真偽のほどはわかるのです。
特に大事なことは、その時々の各人の情報内容、考え方の変化について必ずその変化の理由というものを発信しなければならないのであってそれがない場合は信なき発信としか思えないのである。
理屈が分からない困った人の発言は、その人が無知か何らかの経済の都合か、義理か、いずれかであろう、ならばその上位戦略を観なければならないのですが・・・
立民党の安住さんの話・・統一教会と自民党の関係を徹底追及すると・・・いう事なのですがその前に自民党と公明党の関係を何故言わぬ
この事例はさっき記した項目のどれに当てはまるか考えてみてください。理屈に合わないという事を分析した。