日々の生活の中で起きてくる問題について考えたいと思う。そもそも問題とは何かについてとりあえずの定義を求めていこう、問題とは何かという事である。
私たちは様々な環境の中でそれぞれの立場というものがある。本質的にあるべき形というものをそれぞれの環境の中に見つけながら相応の自分を維持していることが正常だと認識しているのではないだろうか。
問題はその維持を困難なものにしている現象が起きたときに発生するのである。まずはその現象に関して考えてみよう、問題の分類として次のことがあげられる。
生活において必要な経済に関する問題。これは各人の暮らしに必要な物質を手に入れるための手段である通貨であったり食料であったり衣料であったり住居環境であるわけでこれらが不足しているとしたらそれが所謂経済上の問題という事になる。
必然的に職業、仕事面と密接な関係性がある。そのため経済の問題は仕事の問題ともいえる。
問題として次に記すのは健康上の現象に関する都合である。どんな人も病気などしたくないというのは本来健康で入れるというのがあたりまえであり病気というのはあってはならないことだと認識しているからである。また病気というものは本人だけの問題でなく仕事にも影響を及ぼすし家庭生活にも影響を及ぼすのであるから、健康維持は人生においても大切な要素であることは言うまでもない。
家庭の問題としては上記(経済・健康)の他に夫婦の調和を軸に親子の関係、将来の設計を含み様々な事象に対応しなければならないといった家族の問題、主に心の交流を体験しながら安らぎのある家庭環境を構築しなければならない。
大まかに三つに分類しそれぞれのあるべき形をどのように確認しそれらの維持のためにどう考えどのようにふるまっていくのか・・というのが私たちの目的であり万人にとって共通の使命であると考えるのである。
それぞれの問題を原因分析するにあたって大事な点を指摘しておこう
何故この問題が起きているのか、それには今どんな現象が起きているのかをリストアップしてみよう。
自分に関連する人たち、世間の評判、身近な人たちの自分に対するもしくは自分のなしたことに対する言動、表情などを書き出してみよう
それも、あくまでも善意の第三者の立場で冷静に書き出してみよう、あたかも自分と自分の周りの人々の関連をテレビや映画で見るように眺めてみることが重要であり、出来事によっては単なる誤解であったり、うわさや中傷によって思い込まれたりしている場合もあろうかと思うがそれも含めて自分に関係しているのだという事をまず理解していきたい。
多くの場合問題のありかはおおよそ人間関係によって引き起こされているものだからである。
中には不幸にも詐欺まがいの事件にあい貴重な財産を奪われてしまった人がいたという報道があり、気の毒には思うが果たしてその被害は突発的な事象であったのだろうか、だまされた側は100%被害者だったのだろうか。そこに欲望といった自らの心があったのではないか、と反省しなければならないのも事実であろう。だまされる老人たちもいるしだまされない老人もいるわけでその差は何処にあったのかを考えてみるだけでも大いに参考になるものだ。心の在り方に起因しているのが大方である。
ある歴史のある大企業の粉飾決算が明るみに出た、もう十数年前からの状態だそうだ。何故そうなったのかを考え調べると、創業者社長の後数代も所謂サラリーマン社長という図式が定着していて社内の出世コースで勝ち残った高学歴のメンバーによってポスト争いが繰り広げられている会社だそうで、自分の任期の間は黒字決算しなければならぬとばかり小手先の財務諸表改ざんに手を染めた結果だそうだ、当然その場合は仲間の役員がいて共犯者となるわけで、その見返りという事か次の社長有力候補となっていくのである。これらを繰り返しおこなっておれば本来の業務である自社の製品の開発やブラッシュアップに力を注げ、市場に売り出すまで至らないわけで結果ある時に破綻する運命をたどるのである。これも個人の欲望のなせるわざであり、なおかつ試験という暗記力と要領の良いだけの学歴主体の人材による現実対応力、簡単に答えの見いだせない問題解決力のないリーダーを仰いだ結果である。いまそれらの会社に外資が入り込み自らのアイディンティを見失うという状態になっている。
他と比較している自らがそこにいる以上優越感と劣等感のはざまで心が揺れ動き、どっしりと自らの人生を考えることなしに生きている人こそ哀れな存在であろう。
様々な問題はどういう原因があったかを深く考え、心の修正を図っていくことか゛私たちの人生の目的そのものであることを肝に銘じたい。
※ 苦悩を生み出す原因
正しい道を踏み外したときに苦悩が表れる。苦悩が表れるということは正しい道を歩んでいませんよという通知なのだ
苦悩を生み出す原因は他人ではなく自分自身にある。このことに大抵の人が気づかないのは、原因を他人に転嫁したほうが気が楽だと錯覚している。
だが、苦しんでいるのは自分自身であるのだ。
人生の道は重き荷物を担いで坂を上るようなものである・・と誰かが言ったそうだがそんなことはない。軽やかにすいすいと人生を歩むというのが本来の姿なのである。それを苦悩に代えているのは常に欲望にまみれているからなのである。地位や名誉、物質、財宝、情欲への執着心こそ捨てなければならないのである。