2023年01月29日

役割、存在意義

 それぞれの人はそれぞれの転生の過程において様々な体験を積み重ねている。
この地上界に生まれる以前は、実在界ともいわれるあの世という世界に住していたのであり、各人が発しているエネルギーという波長の振動数に合致した環境にて同じ波長の人々や自然環境の各人なりのありようの中で、魂の向上のために修行しているのだと、高橋信次師及び師の高弟の一人である園頭師に教わったのである。

 しかし、同様の波長をもっている人々、親しい人達とばかり交流していたら意思疎通が簡単であり、価値観も同様であり そのために日頃の魂の修行には時間がかかるといわれている。そこで、私たちはあの世からこの世へと生まれ、地上界の荒波にもまれるように仕込んできたのだといえる。
 この世の一年の生活から学ぶことはあの世に於いて百年の修行に匹敵すると、高橋信次師は何度も講演の際に述べられていた。

波長の荒い、この地上界において様々な問題を解決していく中で不動心を身に着けることができるか というのが今の自分の役割であり地上界に生まれてきた存在意義なのだ。

 過去犯した数多い失敗を戒めるだけではなく、その失敗の原因はいったいどこにあったのだろうかと追求し、どうあればよかったのかを見出すためにはやはりこの地上界の生活が適しているのである。あの世は意識の世界であるから不調和な思い、自己中心の思いを思った時点で即結果が現れるわけであるから、すぐ反省ができるのである。という事は長い期間苦しむことはないという事であって、そのため現在存在している波長の世界に安住してしまいがちになるのだとおそわりました。
 
 私たちが学ばなければならない課目は多岐にわたり、ある時は専門職としての一生を送りある時は事業家としての役割を持ち、またある時は奴婢のごとき一生をおくり、高度な文明の世界で平凡な一市民としての暮らしをおくり、財産家であったり、ただ黙々と働く一生であったりと主種雑多の体験をしてきているのが私たちの魂の遍歴であろう。 こうした
 こうした体験が何故必要であったか、何故必要であるかと思うであろう、疑問に思うであろう。

 それこそが私たちの役割である、「自己は神性の表現体なり」神意を体現するという使命を永遠に持ち続けているというのが使命であるからに他ならないのである。

 形而上に於いての我々世界の人類が共通に目指すものこそ調和という言葉に値する世界環境を創造することなのである。
そしてそうなるためには少なくとも長い年月が必要であり、これらの調和志向が少ない人たちの中でも構わないので綿々と引き継がれていくことが知っている者たちの使命だと思う次第である。

 こうした教えは世の中が大いに乱れた折に地上に出現された偉大な指導霊の方々が説かれたものであって、いささかも間違いはないのである.
この地球上においては三人の大天使が存在し、創造主であるところの神という存在から一切の権限を託されたものと教わっている
 
 3200年前のモーゼ、2500年前の仏陀、2000年前のイエス この3人が地球上のメシアと呼ばれているのである。

  ※ この話は高橋信次師講演より・・・

posted by 筆文字や隆庵 at 22:42| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする