2023年02月24日

豊かな人生を送るためには

 豊かな人生のためには豊かな教養を身に着けることが大切。これらの教養は無論インターネットにある雑多な情報の集合体ではなく、学校における机上の知識でもない、もちろん学歴とは関係ない。
 教養というものは、過去において体験してきた生活の現実対応型によるものでなければならない。
かつて、ニーチェは「本をめくることばかりしている学者はついには、ものを考える能力をついには喪失するのである。」と述べている。
  
 教養を支える知識は書斎から得るのではなく、現実の体験から得るべきであろう。知識は屍のごときものではなく生を吹き込まれた知識と情緒や、様式と一体となったものである。

 情緒とは、ほぼ先天的に備わっている喜怒哀楽ではなく、より高次元ともいえる後天的に得られるもの、人が生まれ育った環境や教育、思想信条、習慣、五官による感度によって培われるものである。こうした環境を生きてきた人が環境の中で何を思い何を考え、どうふるまったかによって異なるのではあるが、いずれにしても「美的感覚」「もののあはれを感じるこころ」などが知らず知らずのうちに培われていて、自らの人生に影響を及ぼしているという事を知らなければならないのである。

 日本人的な心とは、弱者に対する涙、卑怯を憎む心、正義感、勇気、忍耐、誠実さなどを根本的に身に着けている民族なのであるが、昨今の「グローバリズム化推進運動」・・・多様化という名のごまかし・・によってか日本の心を忘れてしまいそうである。

 さて、豊かな人生を送るために必要な事を列記する。もちろんひとそれぞれ異なっているだろうがその満足度はともかくも項目としては
@ 体の健康維持 A 物質経済の維持 B 良好な人間関係 C 文化・芸術などに対する造詣 D 心の健康(@〜Cまでの項目に対しての安定感が作る心構えの在り方) E 最後に死生観 といったことに関してどう考えをまとめているかによって
 人生が豊かであるか貧弱であるかが判断できるのではないかと考えるのである。IMG_0079.JPG

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2023年02月22日

人生とは何か・・・プロジェクトの連続

 人生について語ろうと思いながらもはてさて、どのように表現していけばいいのか悩むのであるが、原点に立ち返ってみたいと思うのである。
何らかの意思によって我々は日々を生きている。
 凡そ、それはプロジェクトとしての位置づけを持ちながら人生における「節目節目」を支配している。そんな気がしている。
 人が生きていくに必要な知識はまず学校生活という名の体験から吸収するもいまだ机上の空論にしか過ぎないとということが実社会に於いて様々な問題解決のヒントにはなるのであるが、この時点で知識習得の努力を怠っている場合は何かと支障をきたすという。物事にはやってみなければわからないことと、やってみなくてもわかるという事がある。
 物理学上の法則などは変えようがないのである。

先人たちの数々の仕事はこの物理の法則を活用していったもので、そういった基礎の知識をもとに自らの人生を切り開いていったものと思う。それは知っていたか知らなかったのかを問わずで、すべての現象にはその原則が当てはまるのである。

プロジェクトの定義を自分なりに説明すると下記項目を満足させることとししている。


1. プロジェクトの名称を決めることで目標を明確にすること・・・・達成する事 わくわくドキドキするような目標
2. その目標を達成する期限を決めること・・・人生を価値あるものにするためにはいつまでにという期限を設けなければならない
3. 段取り・・目標達成はどういった客観的な事象に到達するか、それらを入手するためにはどんな段取りが必要かを書き出す
  その段取りの優先順位を決めよ。達成するための階段を設置しそれを乗り越えるためには一体何が必要かをあらかじめ知っておかなければならない、我々の持っている資源、仲間の存在、協力者の存在など総動員でその階段を上るすべを見つけよう シナリオをつくるわけだ
4. 実行段階・・・考えと心構えと実際の行為が三位一体となっている事、これ重要
5. 迷子になっていないかチェック・・・シナリオどうりに物事が進んでいるかを定期的に確認し必要あれば方法を変えることに躊躇するな
  但し目標は変えてはいけない

 様々な人生行路の中に於いてはこんなプロジェクトをいくつも消化しなくてはいけないのであるから、常日頃より頭を整理しておくことが肝心である。
 私の場合はノート、手帳に記入したものを毎日見直しているのである。

 オリジナルなシステム思考支援手帳をつくるのが毎年の仕事となっているのだ。IMG_2922.JPGIMG_2923.JPG
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2023年02月09日

信用と金と

 「金で信用を作ろうと思うな、信用で金を作ろうと考えよ」この言葉は紀元前528年生まれ同462年没、ギリシャの政治家テミストクレスによるものだそうだ。
 今から約2500年前の話しだという事で驚いている。
 今も十分通用する話であり、ある意味当然なことである。私たちが仕事をするときはまずどんなことで人様の、社会のお役に立てることができるかという事から始まる。
 私自身大変つらい思いを経験している。

零細のシンクタンクに勤めていた時の事、もう数十年前の話しなのであるが、当時その会社のオーナーはバブル期における投資の失敗によって多額の借金を抱えていたようだ。ようだと推測気味に語っているのは、その時に私たち約10名の社員には聞かされていなかったためでもあるが、その全貌が明らかになったのは給料の遅配が再三訪れていたことから社員が気づき始めたのであった。

 仕事はあったにもかかわらず、である。
 通常の仕事の流れとしては、ある企業の新規事業進出企画なるものを受注したとして、入金は着手金として3分の1、中間報告時
3分の1、最終納品時に残金というのが私たちがクライアントにお願いする内容となっていたのである。

 であるが、何故給料遅配になっていたのだろうか、それはオーナーが先方に(クライアント)頼み込んで着手時に全体の3分の2の金額を前倒しで入金してもらっていて、その金額を借金の返済にあてていたのだ。もちろん最終の入金額も返済に充てられていて、私たちスタッフはほとんどがただ働きだったという事になるわけである。当然社員の不満は高まり一人二人と会社を去っていったのだ、その際に未払いの給与の借用書をもらっていたそうだが、なんともはや情けない話ではあった。

 私は、といえばやめればいいもののクライアントとの橋渡しを担当していたことと、自らの仕事の後始末もぜんぜんできていないし、実は私個人名指しの(指名されている状態)仕事は結構発生していたことも相まって沈む船に乗り続けていてとうとうオーナーとオーナーの親族と私だけのチームになってしまったのであった。当然借財返済には及ばず入金かそっくり返済に充てられる、私の貯蓄も底をつきいよいよと思いやめようと決意。
 そういう私にあろうことかオーナーから借金の申し込みがあったのであった。給料もらえず、仕事はしている、出張もあるいそがしい私、
もう無茶苦茶な話だ。

 バブル期の行動そのものはまさしく金さえあればという観点から不動産投資、証券などへの投資。そしてバブル破綻、信用を失っていく「金なら返せん」という状況に陥ったという話。
 私自身は、それまでの仕事ぶりを買われいくつかのクライアントが個人的に応援してくれることになり、なんとか独立の道を歩み始めることができたのだが、オーナーの代わりに借金した金額をオーナーに貸すというまことにへんちくりんなオチが付いた。貸した金など帰ってこないと覚悟の上であったのだ。それより勉強させていただいたのだと感謝の心をもち袂をわかったのである。

まず仕事の質を上げることを第一考え、そのための勉強を怠ることなく顧客満足に貢献する事こそが金を作るコツなんだという話。逆説




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2023年02月06日

中庸について

 孔子伝による中庸という概念をまとめると、その論理を解りやすく次のように述べていられる
「近きより遠きへ、低きより高きへ」

 君子の道はたとえば遠くに行くに必ず近きよりするがごとく、たとえば高きに登るには必ず低きよりするがごとし・・・ときわめてあたりまえのことなのだが子思の言葉(孔子先生の息子)はさらに次のように補足している。

 「身近なものより調和を図るようにせよ」
 「兄弟姉妹仲良くあれば父母の安心が生まれる」と・・・そののち 礼記 大学にて治国平天下 といった儒教に於いて最も実践的な思考規範となり男子一生の目的とされてきた

 詳しくは修身、斉家、治国、平天下として現代において必須の事柄である。

 理想を実現するには目標を現実的にとらえ、順序と方法が必要であるという事なのだ。

 ・・・さて出家したゴーダマは今で考えると生まれたばかりの子供(「ラフラ」と名付けられていたラフラとは当時のインドの言葉で障害物という意)と妻を置いていったのだから、父親失格でありましてや王の位まで捨てていくわけであるから、無責任極まりない行為であろう。
 もっともその当時のインドに於いての修行僧というのは最終的には出家という道を歩むことが半ば常識化されていたともいえるのである。
 しかしながら、小国であったとはいえ一国の主の座を捨て、妻子をないがしろにしたことは事実として後世に残されていった。

 ゴーダマの父、シュットダナー王はこっそりと部下に命じ5人のクシャトリアをゴーダマの身辺警護を含めた役割をもたせ彼のもとに派遣するのであった、出来ればゴーダマを説得し連れて帰ってきてほしいとの希望もあった。
 一方ではゴーダマの一度言い出したら聞かないという気性を思うとその希望もかなわないとも思うのであった。
身分制度は厳然として当時のインドを差配していてバラモンという神官とでもいうべき存在を頂点に武士として領土を守っていたクシャトリヤのトップである王様とその家来のカテゴリ、次に商工業者であるベッシャーという具合にわかれていて最下層にシュドラーという奴隷階級があった。このなかでの位置づけとしてのゴーダマはクシャトリヤという事になっていた。

 しかしながら王の子息ゆえにバラモン教への造詣は深く当時の経典であった「ベーダ」や「ウパニシャッド」といった宗教哲学書はよく学んでいたようだ。それゆえか、世の流れや風潮、風俗、それに戦争という事態が何故引き起こされているのかといった疑問を/持つことになった
又生老病死の原因、輪廻転生の意味などをいかに解明していけばいいのかと、常々その解答を得んと悩んでいたのである。
 生まれてきた以上は常に何かとの相対によって自己を認識するという事になっていてすでに第二第三といった夫人の存在もあっての若き29歳のゴーダマにとっての欲望には限度がなく、翻弄されながらも自分を失っていくことを感じていたのであった。

 それこそ人生そのものの原点というものをつかみたいという一心での出家ではあったのだ。
posted by 筆文字や隆庵 at 16:48| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月01日

多くの人が正しいと思っている事

 正しいと自らが思っている事が他の人にとっては全然正しくなく、どう話し合ってもその溝が埋まらないときに闘争という事態が起きる。
ということは、平和を破壊するという事になって、どちらが勝利しても正しいという事は強さだという事になってしまう。

 強さこそが正しいというのであれば今の世の中で最も正しいという国は米国なのであって、その他はその正しさもどきのありように追従することが正しいのだという事になる。これは防衛費の多寡を競っているわけで、そうなると世界で2番目に正しいのは中国という事になるのではないか。

 それってどうなの?

 正しいといって世界を平和にするために闘争しているのが現実、簡単に人が死ぬという事は正しいことなのか。
現実を見ているとそう捉えざるを得ない・・
もしそれが正しいのならば、笑いのある平和な世界は正しくないということになり、人類はとうの昔に滅びていなければならないであろう。

 戦が正しいのであればそれを止める努力は必要なくて、死者の報告は喜んで発表しているはずではないかと思う
一体、正しいとは何なのだろうかと多くの賢者は過去から現代まで悩んでいるのであろう。
 こうした悩みを持つ人々の前に一人の男が登場する。

 彼は、日夜自分の領土を侵されまいと必死で軍備を整え敵からの侵入を牽制し自国の平和維持のために国民を守ろうとした国王の長男であった。彼の悩みは同じ人間同士が何故殺しあわなければならないのかという事から真の生きる道とはなんなのか、生まれてきた以上はこの戦いは仕方がないことなのだろうか、人間の使命とは一体何だろうかと疑問を持ち続け、ついには後継者の地位を捨て出家して人間の価値を知ろうとするのである。

 ゴーダマシッタルダー その物語の始まりである。
 父の名はシュット・ダナー2500年前の中インドカビラという小国の王である。
 
 小国であるため近隣の国からいつ襲われ領民に難儀が襲ってこないかを常に恐れ、抑止力のための軍備を重視しなおかつ自らの民族「シャカ族」を守るために一生をかける心構えをもった人格者であったと記録してある。
 生母はマヤ、ゴーダマを出産後わずか1週間でこの世をさり、ゴーダマの面倒はマヤの妹であるパジャパティという方にゆだねられることになった。幼きゴーダマは生母の死などを知る由もなく、実際は叔母であるパジャパティに育てられるという事になったのである。

 幼きゴーダマは生まれつきなのか、利発であり物事の理解も早く、当時のバラモンの経典であった「ベーダ」「ウパニシャッド」といつた文献に親しみ、又 クシャトリヤとして必要な剣の技術も上達していった、まさしく次期王としての資格を身に着けていったのである。

 では、こうしたゴーダマが何故出家しなければならなかったのだろうか。

 
posted by 筆文字や隆庵 at 21:19| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする