孔子伝による中庸という概念をまとめると、その論理を解りやすく次のように述べていられる
「近きより遠きへ、低きより高きへ」
君子の道はたとえば遠くに行くに必ず近きよりするがごとく、たとえば高きに登るには必ず低きよりするがごとし・・・ときわめてあたりまえのことなのだが子思の言葉(孔子先生の息子)はさらに次のように補足している。
「身近なものより調和を図るようにせよ」
「兄弟姉妹仲良くあれば父母の安心が生まれる」と・・・そののち 礼記 大学にて治国平天下 といった儒教に於いて最も実践的な思考規範となり男子一生の目的とされてきた
詳しくは修身、斉家、治国、平天下として現代において必須の事柄である。
理想を実現するには目標を現実的にとらえ、順序と方法が必要であるという事なのだ。
・・・さて出家したゴーダマは今で考えると生まれたばかりの子供(「ラフラ」と名付けられていたラフラとは当時のインドの言葉で障害物という意)と妻を置いていったのだから、父親失格でありましてや王の位まで捨てていくわけであるから、無責任極まりない行為であろう。
もっともその当時のインドに於いての修行僧というのは最終的には出家という道を歩むことが半ば常識化されていたともいえるのである。
しかしながら、小国であったとはいえ一国の主の座を捨て、妻子をないがしろにしたことは事実として後世に残されていった。
ゴーダマの父、シュットダナー王はこっそりと部下に命じ5人のクシャトリアをゴーダマの身辺警護を含めた役割をもたせ彼のもとに派遣するのであった、出来ればゴーダマを説得し連れて帰ってきてほしいとの希望もあった。
一方ではゴーダマの一度言い出したら聞かないという気性を思うとその希望もかなわないとも思うのであった。
身分制度は厳然として当時のインドを差配していてバラモンという神官とでもいうべき存在を頂点に武士として領土を守っていたクシャトリヤのトップである王様とその家来のカテゴリ、次に商工業者であるベッシャーという具合にわかれていて最下層にシュドラーという奴隷階級があった。このなかでの位置づけとしてのゴーダマはクシャトリヤという事になっていた。
しかしながら王の子息ゆえにバラモン教への造詣は深く当時の経典であった「ベーダ」や「ウパニシャッド」といった宗教哲学書はよく学んでいたようだ。それゆえか、世の流れや風潮、風俗、それに戦争という事態が何故引き起こされているのかといった疑問を/持つことになった
又生老病死の原因、輪廻転生の意味などをいかに解明していけばいいのかと、常々その解答を得んと悩んでいたのである。
生まれてきた以上は常に何かとの相対によって自己を認識するという事になっていてすでに第二第三といった夫人の存在もあっての若き29歳のゴーダマにとっての欲望には限度がなく、翻弄されながらも自分を失っていくことを感じていたのであった。
それこそ人生そのものの原点というものをつかみたいという一心での出家ではあったのだ。