私たちの死亡率は100%であります。
ところで、死後の世界にというよりあの世に還った私たちは、どこに行くのでしょうか。
それぞれの魂はその魂の持つバイブレーションにあった世界に当面は存在するという事を何度も教わってきました。
それぞれの一生の中で何を考えどう行動し、どんな結果を得てその結果をどう受け止めたか、ネガティブに思ったかポジティブに前向きにとらえてきたか、その一生中で作り上げてきた己の本性が創り上げた振動数に応じた場所に在することになっているのであります。
天国と地獄のいずれに住するかは、自分自身の行為の結果が現してるという事を知らなければいけないのです。
天国一言で言ってもその領域は無限に広く、この地球上という三次元世界に近い波長に合っている世界から太陽系全部を見渡せる波長の世界に至るまで、全宇宙を見渡せる世界などあるようです。
一方地獄の世界も幾層にも分かれ、今現在「ルシフェル・サタン」による力を軸にした世界が繰り広げられているという事を教わりました。
うらみつらみ、非建設的な不平不満、愚痴、足ることを知らない物質欲にまみれた人生を送ってきた人達、戦争の計画者、情欲、殺人、自己中心、間違った宗教指導者とその信者、等そのような心を持ち続けた結果、それぞれの発信する思いのバイブレーションに応じた世界が目前に繰り広げられるというのです。
しかしいずれは全ての人は救われ、明るい天国に還ることができるのですが、内容によって地球上の年数で何百年も苦しんでいる場合もあるようです。
心が軽やかであり、執着のない人生を歩んできた人は天国の門が開くのですがたいていの人は少しだけ地獄をのぞかせられるらしいです。
スピリチュアルの世界観・・・というものの知っている知っていない関係なく誰もが例外なく同じプロセスで天上界に向かうことになる という。信じている宗教などに関係なく当人の心の状態のままの世界へ当初は住するようです。
高橋信次 著「心の発見」には次のような文章があります
※ この地球上の西側の天上界に住んでおられる「光の天使」の家を訪問したときのそこは、小高い丘の上新緑の樹木に囲まれたドーム型の大きな屋敷であった・・・・高橋先生は肉体を地球上においたまま心は天上界に覚醒したまま往来ができるという能力をお持ちでした
私の友人であった方で高橋先生ご存命の折、一緒に「禅定・瞑想」に入られるときにこうおっしゃいましたと、聞いたことがあります。
先生科白「今から私の心は天上界に行きます、ついてこられる方はついてきなさい」・・・と つまり幽体離脱してついてきなさいという話でした。
とは申しても私たちの本来の目的はそこにあるのでしょうか、物事には順序と時期というものがあり最もふさわしい時期にならないとそうはいかないというのが現実的です。あと何回か何十回か、何百回かの転生が必要なんではないだろうかと思う次第であります。
さて、題にあります「今の人生を終えたら」について書いてみたいと思います。
もともと、私たちはこの世に生まれる前の天上界にて、次のような計画を立てます。あの世といわれるところも役所があり(心の発見による)
登録制というものが存在しこの世に生まれてくる目的などの計画を提出するらしいのです。もちろん申請する本人の希望が重視されることは言うまでもないことであるが、当然肉体的に関係の深かった人々や、自分が悟れる環境を選ぶのである。
その計画の内容は以下
1. 生まれる環境に関して・・・国、時代、両親、家族構成、配偶者、子供等
2. 身体的な条件 ・・・体格、容姿、健康状態、障害の有無
3. 能力 ・・・身体的、精神的なもの・・・過去世からの影響を受けている
そして
4. 人生での重要な出会いやタイミング、出来事などを設定するが肝心なことはその際に自分がどう対応するかはこの時点では未定
天上界から自らのガイド 守護霊・指導霊が直観として与えてくれたり場面を設定してくれたりしてくれるのだが、そのことに気付くか気づかないかは肉体をもって地球上で生活している私たちにかかっているという事です。
出会いとは、何も人だけではなく、本や映画、曲、絵画、芸術作品、出来事や、お金、また事故や不幸までも本人のためになることだと天上界で計画したように訪れる事柄をある程度コントロールしてくれているという。
心を静寂にし、己の心と自問する習慣を身に着けることが大事であろうと思うのであります。
私たちは正しい想念行為に基づいて各自の今の目的に専念することが重要であり、そうすることによってあの世の守護指導霊による作用が働きやすくなるのであります。「自力の極に他力あり」「自助」「天は自ら助くる者を助く」となるのです。
とはいうものの、あの世の人々ばかり当てにしてはならない、というのも彼らもそれぞれの仕事がありあのよで修行しているのだから、その生活を侵害してはならないのであります。
自主性が必要であり、間違った決断をし失敗したからといってもその失敗も魂の進歩のための経験であり苦しみもまた糧になるものであります。ネガティブな現象もプラスに捉えるだけの心の大きさをもつという事、つまり失敗から学び次に生かそうという心構えが大切であるとここでは記したい。
明るく楽しく素直にをモットーに今日も生き抜こうではないか・・・・