2023年05月12日

諦める事

 釈尊が説いた四諦、四つの諦めること・諦めることとは自らの力ではどうとも止められない現象の事。

 生老病死という現象についてはどれだけ各人が努力しようと止められないのであるという事。悩みの始まりは生まれてきたという事。生まれてきた瞬間から

 人は老いていく、老いていきたくないと思っても・・年は取りたくないといっても年は取るし、病気はしたくないといっても病気はするし死にたくないといっても万物全て死の運命は避けられないのです。

 ですから、これらの状態一つ一つを止めようと思って止められた人は一人もいません・・・だからそんな現象に執着を持つものではないと釈尊は伝えています。執着を持ってもとどめられない現象だから、「仕方がない」のです

 死にたくないといっていられる多くの老人を知っています。でも結果として死ぬのです、意志に関係ありません

 所感にて伝えたい事柄はずばりこの生老病死が避けられないけれども、そもそも人の魂というか心というか目に見えないけれど異なった次元の住人になって永遠に個性を持った人間として存在するのだという事をまず記していきます。

 我々の生命活動の根源は実は死後の世界にあって、その世界での存在の中では生老病死という凝り固まった前提条件をひっくり返すことでしょう。その世界に「生老病死」などという物質的なプロセスはないのです。

あるのは、波長の世界。自らが発するオーラの波長に合っている世界に我々はそれぞれが意識をもって、個性をもって存在している。というよりその波長の世界にて生活をしているといえます。

 我々が今生きている環境にしても実はその波長の世界に生きているという事を実感しているひとは数多いでしょう。波長の合う人々やその出来事にストレスを感じることは少なく、波長の合わない人々との交流はストレスを感じるでしょう。

 これが波長共鳴の法則の存在の証明となりうる現象ですよね

 「生老病死」の苦しみから解脱するには、という話ですがそもそもそこには苦しみはないのだという立場にいかに立てるかが最大のポイント
そして、思考を止めてしまうという習慣を見直す必要があるのです。

 本来「死」というものはありません、我々は肉体を持った生とあの世の生と二元性を持っているのであると釈尊は言っておられるのであります。今肉体をもって生活をしていてその肉体の眼で見ているものがすべてであると思うのでなく、目に見えている現象は目に見えない世界で形づくられているという事を、まず仮説として考えてみて思考を深めていく、そんな事を思った一日でした。
posted by 筆文字や隆庵 at 00:38| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする