2023年08月31日

軽佻浮薄

 物事の本質を熟慮することなく、上っ面の薄っぺらい情報に左右され何の根拠も持たずしてうわついた言動に終始している人。
福島における処理水の件 反対などの意見を述べている政治家やマスコミの識者と呼ばれている人たちの事を思うと情けなくなってくるのだ。

 韓国や中国の抗議なんてのは単なるディスカウントジャパン、いやがらせとしか思えない。国際的にみて基準をはるかに下回っているのだから文句を言われる筋合いはない。

 それどころか抗議している国の処理水は我が国の状況よりひどいのにである。
 物事を冷静に見たら当然理解できるはずなのに、もともとゆがんだ国家意思しかないため件の状況を作っているのだが、それに同調している日本人が存在しているというのだから驚きである。

 高学歴のお偉いさんが言っているらしい

 恥とは思わないのだろうか・・まあ物欲の塊だから、金になるからこういっているのだろう


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2023年08月07日

常に学問とは何かを考える

 学問は常に心と一致している事が肝心であって心なき学問、「知識偏重」といってもいいだろう。そのことによって優越感を持っている人の多きことが現在の世界を司っているから、様々な問題が起きているのである。
 よって自分の心をしっかり把握して修養していくことが大事である。

政治を行う場合は第一に目をつけるところは「情」の一字にある。人情の機微に従って世を治めるこれ王道という。学問も徳をもって学ぶべき。

 昨今のパンデミック対応に対する有識者と称する「学者」の右往左往ぶり、や医師会の横暴と医師会に配慮する政府の右顧左眄ぶりはなぜ起きたのか

 所謂今の学者の失敗は学問が狭いからではなく広いため失敗している。学問が偏っているから失敗しているのではなく追求するのが浅すぎて失敗しているのである。
 そもそも医者は細菌学を徹底して学問しているわけではなくその分野は専門家の意見を素直に聴けばいいのにそれを怠る。

 本来学問は立派な人になろうとする心構えがまず必要であってそれは、自分の徳を磨くために学問があるのであって「道」を体得することを尊ぶべきである。雑多な学問をして外面を飾り立てるようなことはしてはいけない
 ところが最近の学問をする者はその精神を忘れ他人にじまんすするためのまるで嫁入り衣装を作るようなことをしている。

 要するに人間が薄っぺらいのだ・・・・

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2023年08月05日

人間の生き方その役割

 自分が一体何者かと日々確認することを大切に思っている。
何者であるかをという事は同時にどんな役割を持っているかについて日々考えているという事になる。
 さらに何者であるかという事は自らの人生という歴史の中で体験によって培われているように後天的な要素をももっているといえるのである。
 
そもそもの生まれ持った性格に周囲の環境や教育、親の在り方の影響を受け人格を形成していくのである。
少年期、青年期、中年期とそれぞれの年代に応じた問題解決の連続というのが大きく自分を構築していく。

 その時々の役割、立ち位置によって解決すべき課題のありようは異なるもののいずれにしても問題解決への努力が自らのアイデンティティに大きな影響を与えていくのであろう。
本来の自分は「徳を高める」という目的のために今を生きているのにその目的を忘れ物欲のとりことなり、そのためにあらゆる問題を惹き起こしていく。

 それぞれの問題解決のために
自分でいう言葉は自分の耳で聞くことが大事
自分の立ち振る舞いは自分の眼で見ることが大事

そうして、自分で見自分で聞いて心に恥じることがなければ人もまた敬服するであろう。

「人のふり見てわがふり直せ」
人生には順境もあれば逆境もある。これは栄枯盛衰の自然の法則で少しも不思議ではない。
だが順境の中にも逆境はがあり逆境の中にも順境がある。

 だから逆境にあっても不満や自暴自棄の気持ちを起こさず、順境の中にあっても慢心や怠る心を起こしてはいけない
 ただ敬の一字をもって終始一貫とするが良い。

  心静かに自然が生み出す草花をみていると少しも無理なく強いてやってやろうという気構えは全くない・・・
  
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2023年08月04日

言志録より

最も優れた人は天を師とし、次に優れた人は聖人を師とし、その次に優れた人は書物を師とする。
  
※ 天とは「自然こそ最良の師である」というところの自然そして宇宙の真理のことをいう。あるてはキリスト教における創造主・神と考えてもよい。かつて夏目漱石のいった「則天去私」自我を棄てて天に従う・・・という天と同義である。
高橋信次師はそれを「大宇宙大神霊」といわれた。

※ 2500年前の釈尊はこの世を去る時にアナンを始めとした弟子たちにこう言った「人を頼りとせず法を頼りとせよ」「法帰依・自帰依」を説かれ最後の説法とされた。

つまり宇宙自然の公理は公平普遍なので、優れた人は天を師として教えを受け、次に聖人、書物となる。もちろん聖人・書物から学ぶことも重要だがそこにはそれぞれの表現方法の違いがあり言語の解釈によっては天理と異なってしまう場合があり万人の師としては言い難いものだ。

仕事をする場合は、天に仕えるといった謙虚な気持ちで行うのが大事で、人に自慢しようといった気持ちがあってはならない。

現実をみるにつけ昨今の政界、経済界また教育界に於いて指導的立場であるはずの人たちの徳性、品性のなさにはあきれてしまう。

学問の何たるかを知らずに地位名誉、物質的利益のためには手段を問わない人々のなんと多いことか、自民党女性諸君のパリ外遊の件など自らの立ち位置、役割がどこにあるのかを忘れている結果ではないか。百歩譲ったとして、言い訳として視察のためという大義名分があったとしよう、それにしても世の中は思い込みと誤解を生じさせるようなマスコミが情報支配しているといった自覚が欠如しているとしか言えない。

ビッグモーターの事件に関してはこれも物欲のなせるわざ、その典型的事例。これら中古車市場に対する裏切り行為であろう。
またぞろ日大アメフト部問題の発覚。いずれも天の法則に反する事ばかりである。

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2023年08月01日

学問とは

 学問にはげむという事は立派な徳のある人間になるためにするのであって、決して学歴を得て社会的な経済的成功のためにするものではない。
単なる知識を得て試験やテストの解答のためにあるものでもない。
posted by 筆文字や隆庵 at 17:15| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする