標記した本の内容に死後の在り方が次のように記されていました。人は死ぬとあの世という世界に例外なくいきます。
ただ生前の思ったことや行ったことによってしみついている心の振動数が精妙であるか荒々しいものであるかによって行き着く先は無限に存在していると説明しています。
この書では次のように分類(ケーススタディ)して説明がなされています。
前提として死後の姿は非物質の肉体をもっています、物質の世界で活躍していた肉体は滅びていますのであの世の肉体をまとうという事になっています。というよりそのあの世の肉体こそが本来の自分でありこの世の肉体は仮の姿という事になるのです。ちなみに顔かたちは当面生前のままだそうです。
地上界に肉体は置いてきましたが意識だけはそのまま自分のものであり当然記憶力もあります
意識は地上界にいる時よりも数倍明晰になっており、本性が表面化しているといいます。但しそのメカニズムを生前机上で勉強していない人はパニックに陥り、混乱している例はおおくあり、自分が死んだという事を理解できないという人もいるのです。
一口にあの世といっても実は広大な世界です。(意識の調和度により段階あり)
この本によりますと低層界・中層界・高層界 と呼ばれている世界が説明されています。まあ大きく3っつの層に分かれているとのことです。
それぞれの層を境界線のようなものがさえぎっていて異なった波長が存在しているがゆえにそれぞれの層から上の層には行けないようになっているのです。
境界線・・・この世とあの世の境があります。仏教でいうところの「三途の川」のある領域で自然の花や草原とともに横たわっているという事です。各人によってその川が大きかったり、一跨ぎくらいの小さい川だったり個人差はあるようですがいずれにしてもこの川の向こう岸にあの世の世界があるという事なんです。次に向こうの世界に渡るための通路として
@川にかかる橋、道、エスカレーター、エレベーターなど
A移動手段として列車、バス、飛行機、船などの乗り物
Bそういう乗り物の乗車場 駅、バスターミナル、空港、波止場
C乗り場に隣接するショッピングモール
D色々な建築物 カフェ マンション、ビル、スタジアム 等
この世ではないのに建物や乗り物、挙句はモールのようなものがあるなんてふしぎな感じがしますがこれは人間が次の世界へすんなりとは言っていけるよう用意されているのです。
一体だれが用意しているかといえば私たち人間自身の想念と、向こうの世界のヘルパーと呼ばれている存在たちです。
ここのカフェには中にテーブルがいくつも並んでいて多くの客でごった返しています。左手にはカウンターがあり、右手の先は明るくなっていて明るい日差しが差し込んでいます。窓の外にはテラスがあり、そこにもテーブルが並んでいます。緑の植え込みがあります。テラスは階段状に何段かあるようで、その先に川が見えます。川面がキラキラと光輝いています。ここにいる人は死んでからあの世に行く人たちなのです。
この境界線から次にどこに行くのかを考えてみたいというかガイドはどこに案内してくれるのだろうか、
低層界の事・・・この低層界は2つの層に分かれている@はこの世のすぐ近くにある層 Aはこの世から少しだけ離れたところにある層
@の状況の事例ではこの世(物質界と重なっているという風に言えるかもしれません)非物質の体のままこの世に居続けている状態です
■ 樹海の中で道に迷い、出口を求めて黙々と歩き続けている男。死んだのに、そのことに気づいていない。
■ 生前に住んでいた家にそのまま住み続ける女性、何やら独り言をつぶやきながら「なんだか変だわ、物が上手くつかめなくて素通りしてしまう、それに誰も私に気づかない」
■ 死んだら墓の下に眠ると聞いていたので実際に死んだあと墓の下で寝ている人
■ 病院で死んだあと、死んだことに気づかないで病院内を徘徊し続ける人。親しくしてた看護師さんに話しかけるが反応がないのでイライラしている。看護師の背中に乗ることもある。
何が起こったかわからず混乱している人もいるようです。彼らの共通点は現実の家や部屋、死んだ現場にそのままいるという事で、その場にとらわれている「地縛霊」といえます
この領域には死んだことに気づかずあちこちに動き回っていたずらや悪さをする霊たちもいます「浮幽霊」ともいわれる存在で人を怖がらせ たり 寝ている人の上に乗っかったり、羽交い絞めにしたり(これらを金縛りともいう)性的に誘惑しようとしたりします。
彼らは一見自由そうですがこの領域からは抜け出せないという点では「囚われ」ています
Aの状況の例としては
■ 病院のベッドに男性が横になっている。その人は死んだことに気づいていない。部屋やベッドはなんとなく薄ぼんやりしていて、向こうが透けて見える。部屋もゆがんでる・・・みなその人の想像が生み出したものだ
■ 炭鉱の爆発で死んだ人。岩の下敷きになったまま動けない必死に動こうとするが岩が重すぎて動けない。自分の思いが岩を作り出している。
■ 雪山で雪崩に遭遇して死んだ人。雪崩を何とか切り抜けて生き延びたと思いこんでいる。雪山の斜面を霧の中ひとり黙々と歩いている。
雪山は自分の思いがつくり出している
■ アトリエで絵を描き続けている画家、思い通りの絵が描けないので描いては破りを繰り返している。このアトリエも画家の思いがつくり出したもの
■ 自分の部屋で食べては寝て、起きては食べるという事を繰り返している太った女性。
■ 自分の部屋にこもり、愚痴を言いながらひとりで酒を飲み続けている人
@Aとも自分の思い込みに囚われているという点で同じであります。何れも地獄界という世界です。
中層界の事(地獄界だと思う)
この領域は「信念体系領域」とよばれている。ここには信念や価値観を共有する人たちが集まって作る世界が無数にあります。あの世では「同じような思いを持った人たちは互いに引き寄せあう」という原理があります。「類は友を呼ぶ原理」とも言います。
この世でも同じ原理が働いていますが、あの世ではこの世以上に強く作用します。その結果、同じ信念、価値観、宗教観、嗜好、趣味、欲望を持った人たちが引き寄せあい、集まって一つの世界を形づくります。その集団の大きさは数人程度のものから数万人規模のものまであります。事例を紹介しましょう
■ キリスト教の特定の宗派の人たちが集まった世界・・・生きていた時に一つの教会に通っていた人たちが死んでからもあの世に同じ教会をつくって、そこに通っている。自分たちか死んだことはわかっているが生きていた時の習慣と信仰心からここに引き寄せられてくる。この世でやっていたのと同じ儀式をしている。
聖書にかかれている1000年王国が来るのをただひたすら待っている。「王国はいつ来るのかしらね」といいあいながらいつまでも待っているのです
■ 生きている時に座禅をすることで「悟り」を得ようとしていた人たちの集まり・・・死んだ後も同じことをしている。大きな木の根元のまわりに人が並んで座禅のポーズで座っている。みな黄色の袈裟をきて坊主頭。そこに座ったままじっと動かない。いつまでも座禅をしている。悟りは得られない
■ 食欲旺盛な僧侶たち・・・豪華な食べ物が所狭しと並んだテーブルにラマ僧のような服装の人が何名か座って、片っ端からその食べ物を食べている。ところが、その食べ物は口元からぽろぽろと落ちてしまい、うまく食べられない。
それでも次々に食べ物をつかんでは口へ持っていく。仏教でいうところの「餓鬼界」
■ 性的に求め合ってうごめいている人たちが何万と集まっている世界。彼らは必死に求め合いながらも、決して満足は得られない。
■ 受験生の世界・・・図書館の一室で様々な学生服を着た人たちが机に向かって一心不乱に勉強している。死んだ後もそのまま受験勉強を
続けている。
■ 生け花を習う集団・・・おしゃべりをしながら楽し気に花を活けている。家元がここでも幅をきかせている
■ 議論好き思想を戦わせている集団
■ 武士の集団戦ばかりしていて、死んだり生きたりしている
同じことのくりかえしというらせんに入り込み心の安らぎのない世界。
生前の思いや行いが作った執着心がこれらの世界に同期して自らが入り込んでしまっている゛地獄゛です。
あの世の世界B 高層界
ここは光と喜び、優しい癒しのエネルギーに満ち溢れた世界で、開放感と爽快感にあふれた自由な世界です。
先ほどまで記した低層界、中層界と違い自由度があるという事です、とはいうもののここには長居はできません。ここは次の生に移行する準備を行うための場です。中継点といっていいでしょう。活動の概要として・・
■ 光あふれる世界にいる間に、自分の家や場所を持つ人が多いようです。そこを拠点として、次の生の準備をしたり亡くなった知人たちを
尋ねたりします。
生前の家をそのまま作る人もいれば、理想としていた家をその周りを含めた形で作る人もいます。例えば南洋のコテージ風とか田舎の屋敷
等・・どうやって作るかといえば想像力を使うのです。あにかんの世は意識の世界ですから思い描いたものがそのまま形になります。そこ
で次の生に関する計画をたてるという事になっています。
■ 受け入れの場。この光「あふれる世界」に来る人が最初に到着するところがこの「受け入れの場」ここで温かく迎え入れられます。
人は死んでからまっすぐにこの「高層界」に来る人もいれば地獄界に立ち寄ってから来る人もいますが、いずれにせよ不安な気持ちを抱い
ています。そういう不安を払しょくするために先に亡くなった祖父母や両親、家族、知人が出迎えに来ます(ガイドとして) 。
さらにここには、じつに多くの場所があり死んだ人たちの期待に沿うようなところにつくことになっています。たとえば美しい公園や
花の咲き乱れる草原、ホテルのロビーや温泉旅館の玄関、あるいは、金ぴかの御殿の玄関、天国の入り口のような建物という具合です。
■ ここは天国でも地獄でもなく次の生へ移るための準備する場という事を説明されます。
死んだ人が生前どんなことを思いなしてきたかを反省する場であり、人生の決算をする場所であるという事なのです。
■ 癒しと再生の場。人は死ぬ過程で何らかの形で肉体的なダメージを受けていいる場合がほとんどです。肉体はすでにないのですが肉体が
ダメージを受けているという思いがあるためにそれがあの世の体にも反映しているケースがあります。
そこで、病院で治療を受けたり、リハビリしたり、マッサージをうけたり、温泉治療などをしてくれる施設があります。そういう施設に
は、医や看護師に扮したヘルパーたちが大勢働いています。
■ 教育の場。生前の癖で自分が好ましくない思考・行動パターンをとってきた場合それを修正するために必要な模擬体験を繰り返し行う
ことが出来る場があります。
また、ここには巨大な資料館があり、これまでに生きてきたすべての人の人生経験が保管されています。ここで自分のこれまでのすべての
生について知ることが出来ます。
あと次号