2024年02月21日

取材が増えている

 ここのところ、といっても昨年から雑誌やテレビの取材があって、何やら頑張っている「シニア」の趣味を生かした仕事・・・頑張ってるぅ・・といったテーマが僕の今の環境にあったという事なんでしょう。

 僕は数年前からデザイン、特に飲食店のメニューデザインを制作しますといったテーマで「ココナラ」というプラットフォームを利用して仕事を請け負っているというスタイルで結構このプラットフォーム内でも人気のデザイナーになっているようで、そのことで「日経マネーの学び」
にリモート出演、雑誌「アエラ」では頑張ってるシニアといったテーマ、続いて「目覚ましエイト」「たけしのテレビタックル」などにて取り上げられたのです。さらに今年に入って「ココナラ」の出版に関してのインタビュー記事の依頼等、シニア世代の頑張る人という立ち位置が面白いとマスコミは感じたんでしょうね

 どんな思想であっても日々のやるべきことは変わらない

 僕の生き方は定年なし、死ぬまで仕事というポリシーを貫こうと・・・そう考えているのです

 林修先生の番組に取材を受けることになりました。朝日放送には幾分不満があるのですが、そこは大人の対応ですか・・・
posted by 筆文字や隆庵 at 22:28| 福岡 ☁| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月07日

不思議な話

 統一教会と政治家といわれる人たちの関係がおかしいという
 論点はいったい何なのでしょうかね
 マスコミのというか自民党を攻撃するためだけの材料としてその是非を追求している
 かっこだけの立民党の各自の論・・・
 その対応をしていて言い訳をしている元大臣
 選挙対策としてお世話になったと、ただそれだけだといえばよい

 そもそも国家観がないからそんな逃げの言葉しか出ない
 情けない話

 と・・・これを報道しているマスコミも正確がどうかわからない
 ただ論理的に考えて統一教会だけの問題だけではなく

 勝共連合の話まで説明しとかんと全体を理解できない。そんな事を放送しないから
 テレビしか見ない人は誤解していく。
 正直政権運営は自民党しかできないという事を解ってるんだろうか

 反自民、反権力運動の結果として過日の民主党政権ができた。
 その事を覚えているんだろか?

 マスコミの存在が「愚民化」の悪業の一端を担っているという事を知ろうではないか



 
 
posted by 筆文字や隆庵 at 18:16| 福岡 ☔| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月02日

私の職業イラストデザイナーとしての信条

 我々を取り巻く環境、大自然の存在、なかんずく故郷の山々や海、木々をはじめ
 空を彩る星々などの自然の風景は紛れもなく我々の人生を彩る一コマの思い出であり
 心の栄養剤ともいえるのではないでしょうか。

 我々人間は、大宇宙や大自然から見れば 極小の世界のとるに足らないものだけど「心」は
 大自然、大宇宙に繫がっているのです。それは

 夜天に展開されている宇宙の星々、空の広さをたった「直径20cm程度の頭」で確認できることで証明されているのです
 
 大宇宙体大自然界は我々に大いなる「恵み」をもたらしそのことによって我々が生かされていることに感謝しなければならないのです。

 自分という文字は自然の一分という意味で「自分・・自然から分かれしもの」という
 したがって、大自然のうつくしさをも認識できるというのは当然の事なのです。

posted by 筆文字や隆庵 at 17:32| 福岡 ☁| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月01日

軽佻浮薄

 物事を深く考えることをしない人がとても多くなったような気がしています。
 特に若者という将来のある人々の薄っぺらさに危惧しているのは古今東西いわれてきたことであろう。
 我々の時代もそうであった、しかし少なくとも「社会」「国家」に対しての建設的な不満は持っていた。
 今は、どうだ

 破壊的な、刹那的な不満が渦巻いてしまっているような気がしているのは私だけであろうか
 自分さえよければ他はどうなってもいいというような精神にむしばまれている。これは若者だけではなく上は政治から
 会社企業から、国民男女に浸透しているかのような事件が相次いでいるのだと解釈している。

正しく物事を捉えることこそが大切なの思考の第一歩
 真実は何かと我々が考えるきっかけとなるのはテレビという1m四方から流されるニュースの出来事というやつである
 この情報がもし間違っていたら・・・と考えると、思考する第一歩からして間違っているという事になるのだから
 よほど注意をしていなければ正邪を見極めることが出来なくなるのである。

 よほどしっかりしたジャーナリストの存在が不可欠であることは言うまでもなく、情報を受け取る側の私たちも知性を活用し
 常識的な教養を持っておくことが必要

 世間に流れる情報が真の第三者の立場からのそれか、何らかの恣意を含んでいるかについて所謂「情報リテラシー」を持つことが大切であろう。
 

posted by 筆文字や隆庵 at 14:53| 福岡 ☁| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする