2024年08月31日

地域のブランドを活用する。

ふと思いついたんですが、レストランや旅館のブランディングを考えた時ブランドの一つに自店が位置する地域そのものがブランドの一つになるのではないかと・・・・

 地域のブランドというのは世界中どこにでもありますよね、その地域ならではの特徴、特性をアピールすることによって集客装置となりうるケースです。

 町おこしといった観点でも構いませんがここでは個別の店舗、会社について考えてみたいと思います。

各お店の前から見える風景に着目してみました。

 町の顔であるシンボライズされた建物、古民家、道筋の風情、山々、海岸、などを特徴をデフォルメした絵を描きます。

 その絵に説明をつけて名刺大にします、更に裏面には店名と、インスタグラムやホームページのQRコードを記載しお客様に配布する。

 個性の表現としてはなかなかいいツールだとは思いませんか。



 お客様の口コミ期待、リピーター確保などに役立つと思います。

 画像は阿蘇郡高森町からみた阿蘇五岳

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2024年08月30日

外食の歴史 その2.

台風のせいでこもっている。

昨日は1970年代に一世風靡したファミリーレストランの話でした。雨後のタケノコのように出店されてきたレストランたちは、他社の物まねに終始。その結果というかオーバーストアとなり、全国各地に同じような形の似たような店が乱立したものの、形だけの模倣であって本来最も重要なエッセンス・システム作りまでは至らずに次々にビジネスモデルが崩れあえなく閉店に追いやられた店も数多く見られた。

 原因の一つに模倣の繰り返し、似たような店が増え、しかもシステムを持たない付け焼刃のなんちゃってチェーン店の乱立が招いた業界に対する顧客の不信感が生じた事。があげられる

 もう一つは、店舗間格差の発生。当時の業界内では次のように言われていた。料理クォリティの高さを誇る「ロイヤルホスト」サービスホスピタリティの「デニーズ」そしてセントラルキッチンの合理化による、システム業としての「すかいらーく」この三企業をファミリーレストラン「御三家」と呼んでいたのだ。 これに追随していたのがダイエー系の「フォルクス」をはじめ、大手資本を背景に「西武のレストラン」その他もろもろがまずまずの成績を残していった。

 80年代の中ごろまではお客様の支持を得ていたこれらのチェーン店が徐々に飽きられていったと思われる。

 模倣を繰り返した店づくり、メニュー作りの結果「同質化現象」を惹き起こし、立地と価格以外に他店との差別化が出来なくなってしまっていたということ、立地獲得合戦が出店のための不動産関連費用の高騰、更に低価格化による原価率の高騰などにより「ビジネスモデル・・計数」の変化が経営体質に影響を与えていったのかサービス人員の削減などを繰り返し、かつての華やかな「ハレのひのレストラン」という様相から「カジュアルな動機」になってしまい客層の変化、深夜営業時のたむろする若者たちのそんなイメージをつくってしまった。

 消費者意識の変化か゛衰退に拍車をかけたように思われる。

80年代後半からの「バブル期」には外食スタイルのおおきな変化として「居酒屋チェーン」の台頭がみられるようになってきた。

 ファミリーレストランでは味わえなかったお酒を伴う店として開放的で明るくかつての居酒屋のような 縄のれんではなく「モダン」な店、女性同士でも気軽に入れるようなそんな業態が発生した。

 客単価がレストランの2.5倍程度だから従業員の収入もそれなりに上がるということでファミリーレストランから少なくない人員が居酒屋チェーンに転職というレ゛ン勝も起きたのである。

天狗、つぼ八、養老の滝、つぼ八から独立して起業した和民、モンテローザの白木屋、魚民、笑笑、細かく分類された店舗群など一時のファミリーレストランの起業ラッシュに似ているが、この時に都会にお客が集まったころでもある。 逆説的にみると郊外型のファミリー主体の外食が、市街地にもどってきたともいえる。

 これらもいずれ他社追随模倣合戦により個性を失っていくのだが・・・

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 この続きはいずれまた

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2024年08月29日

本日の勉強、お世話になった業界の事

台風のせいで外出不可ということで、家にこもって徹底して勉強をすることにした。勉強テーマは「メニューデザイン」を仕事にしてるため外食事業の研究・・・マクロの視点からどう進化していったかを探ってみようと・・・

 昔々の事業形態からは大きく変化している外食形態。お客様の変化とそれに合わせた店の変化が著しいのであります。

 戦後日本人の暮らしが徐々に豊かになり手軽なレジャーとしての「外食体験」が日常になり始めたのが1970年頃、関東の「すかいらーく」一地方のスーパーを経営していた会社が郊外型の所謂「ファミリーレストラン」なるものを出店開始瞬く間にブームを作り出した。ほぼ同時期に70年の「大阪万博」にて大成功を収めた飲食企業があった「ロイヤル」である。もう一つは親会社「イトーヨーカドー」系の「デニーズ」これは経営ノウハウを米国企業との契約によって日本に輸入した形になっている。

 通常御三家と呼ばれ我が国における「ファミリーレストラン業界」をリードしていくことになったのである。

 多くの企業が次々と業界に進出「月刊食堂」という月刊誌にてどんどん紹介記事が載せられていったのもこの時期で一時は100企業をこえた様相、まさしく雨後の竹の子のように全国的な出店攻勢がみられたのである。

 もともと需給バランスの関係からどの店も儲かったようで次々にチェーン化されていったのである。

 裏腹に割りを食ったのが「デパート食堂」

家族のための食を提供していたのが、ここにきて急に頭打ちになって行く。その理由の一つに挙げられるのが料理提供時間の遅れ、同時に料理が並んでいくことがなかなかできず、食事をとる楽しさを演出できなかったこと。一か所の厨房に和食あり中華あり洋食あり喫茶ありと何でもかんでも詰め込んでいたため、マネジメント上もなかなか組織化できなかったことは致命的だったのかもしれない、しかも百貨店直営であり経営効率上不備もあった。



 アーバンからサバブへの商圏変化の兆しがあり郊外に住宅、団地が建設されることで郊外型の「チェーン店」がますます隆盛を図っていくのであり特に主要幹線には数多くの「ファミリーレストラン」が軒を連ねるそんな状態が全国各地に展開、1970年代の経済をけん引する事態にもなったのである。

 時は住宅ラッシュプロ野球のオーナーに「日拓ホーム」が「フライヤーズ」を買収たのもこのころ、もっとも球団経営は1年持たず現在の「日本ハムファイターズ」に売却するのではあるが、いずれにしても日本経済上昇まっしぐらの時代で、「一億総中流時代」といわれていたころ。

 あれから50年・・・・さて次の機会に書きます

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2024年08月28日

読書の重要性 隆庵の考え

自分の人生だけでは学べないことが多くあります。そういうときに役に立つのが本であるのですが、
やはり良い本を選ぶ必要がありますね、デザイナーはどんな本を選んでるのでしょうか。

ジャンル@ 人間かくあるべしという「哲学」「宗教」「自己啓発」などの書
ジャンルA 技術書は定期的に発行されている「宣伝会議」
ジャンルB 外食産業関連図書
ジャンルC 小説、大衆小説

によって、想像の世界の中で想像力を養いいずれ創造につながるのです。

詩集とか俳句などもありますね
いずれにしても、自分以外の話を聞くことによって想像の世界とはいえ、体験するという事になります。
場合によっては自らの運命を大きく変えるような書物に出会うかもしれません。

特に大切なことはやはり「心の栄養」なるような「本」があればいいですね。
このサイトをご覧ください








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2024年08月27日

捏造と誤解

 世の中は多くの誤解で成り立っているような気がしてなんとも歯がゆい思いをしています。
誤解は個人のことからも世界のことまで多くのジャンルにて起きている現代、いや過去からもあつたよなぁ

 悲しいことは自分と自分にかかわりあっている人や組織が(日本国含)否定されている言動となって表現される。
否定はあたかも現実的な言葉となって表現される。
 その言葉は、興味ある人からない人へと伝言ゲームさながらの様相で広がる。

 意識せずして第一想念が現実に入る原則から、その時点で幻が現実のものとなっていく。
これが「プロパガンダ」という洗脳である。

 真実は消え誤解が真実となる瞬間である。

 我が国は情報戦において負け続けている。
 いつまでこの状況を続けるのか・・・・総務省の奮起を促したい知行合一.jpg


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2024年08月26日

生き方再発見

 混沌を極めカオスという名の多様化宣言が不愉快な現象とともに我々の目の前で繰り広げられています。
世界は未曽有の「反知性」がはびこり、旧約聖書にある「ソドム」さながらの様相をしめしています。

 人類の未来はどうなっていくのであろうかと危惧せずにはいられません。

 本来は皇室をいただいている徳のある国「日本」が世界の混迷を修正する役目を持たなければならないのですが、その日本ですら
多様化、グローバル化の波にのまれているのです。政治家諸君が正しいあり方、日本のあるべき姿を示していかなければならないのだけれども、
政治屋という名の国家観のなき卑小な存在になり果てています。

 こんな状況の中で「真の人間の生き方」基準をどこに求めればいいのでしょうか。

 新約聖書福音書に十字架上で臨終をむかえるイエスの言葉がこう記されています。

 「神よ許したまえ、彼らはなすべきことをしらざなるなり!!」
 つまり、生き方の基準が分かっていないのだという事を宣言します。
 罪というならば「自己さえよければ他のことはどうでもいいのだ」という自我我欲におぼれる生き方は間違いだという事なのです。

 2000年前のキリストの言葉、2500年前の仏陀の言葉 さらにはモーゼの十戒 表現は違えど同様な意味です、また中国に於いては四書五経にもあります。

 それぞれその当時彼らは「宗教家」ではありません 真の人間の生き方についてのアドバイザーだったのです。宗教ではありません。

国も地方も会社・家庭・学校において正しい基準について論じることなく、「物質的欲望」をいかに満足させるかという目的でもって働きかけをしています。今こそ真の人間に立ち返り正しい人生をあゆみましょう

  幸不幸のカギを握っているのはほかならぬ我々です、何を考えどう生きるかのヒントとなるサイトをご紹介したいと思います。

   
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勉強できるサイト紹介




       

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2024年08月25日

強きもの美しさを伴う

 真の強さは美しさを伴っている。
機能的なものは美しい、
 人がどの様に工夫しても自然の造形美をとらえきれない
自然はだから、強くて美しい 機能的で美しい

 変化しない法則の中に変化する行いがある
四季という循環にて形の変化はついて回るこれを「諸行無常」という

 それは物質世界に於いて避けられないこと
 物質の世界、この地上にて生を営んでいる諸々の現象のうらには
 変化しない実在界という世界が存在している事を知らなければならない
 変化する世界での存在変化しない世界での存在が
 同時にあるという事を理解しなければ真の強さは理解できない・・・

実在界に存在しているすべてのものは地上界に存在するものと比較してもその美はなかなか再現できないし
地上界の言葉でも語ることが出来ない・・・「シルバーバーチ」

 我々の仕事は実在の世界にある美をどのように表現するかの努力を続けることになる

 美はバランスである。美は調和である。


地上におけるあらゆる環境を調和させようと・・・
試みることで、まずは自らの調和を図ろうとすることから始まり家族の調和
郷土の調和社会の調和 国の調和最終的には世界平和というメカニズムになっている事を認識しよう

「治国平天下」より・・・

 森羅万象の営みから「美的感性」を磨きたいものだ。そこに真の強さを発見するであろう

 美しさとはやさしさであり強さであるから・・・2022-07-17 15.32.43.jpg



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2024年08月23日

所感 大自然の中に我々は生きている


 阿蘇山ぐるりとコレクション 

故郷である阿蘇の思い出を「根子岳」を中心にした山々を描きながらさまざまな出来事や思いを記し自らの歩みを再確認していきたいと思う。

 屋号「隆庵」の意味するところ

本名 隆 の心の中にひっそりと存在している「庵」は過去・現在・未来の三世を生きるもう一人の私の居るところ。そこから覗き見る「森羅万象」「人生の機微」「心の世界」を追求することによって人とは何か、自然とは何か、宇宙とは何かといったことを形而上に求め、感覚的にとらえたものをどう形而下にて表現できるかを絵画という手段をもってわが「庵」に投げかけようとしているのである。

 物質を物質ならしめている「エネルギー」という存在、目には見えないが確実にある。

その物質の仲間であるこの地上に個性をもっているかのごとく目前にそびえたちたたずんでいる山々

 山は山、それはそのまま地理的で無言の物理的存在としての一面をもっているのである。

しかしながら、その単なる「山々」のもう一つの側面であるところの「エネルギー」という無形で人々の歴史的存在を見つめてきた「情実」の側面の存在を忘れてはいけないのである。

人それぞれは例外なく生まれ育った土地があり独特の風景の中で各人の人生が始まるわけであり自然に思い出として心の中に刻まれているのである。したがって隆庵は山々が情実的存在であると論ずるのである。

 地上にあるすべての物質は変化しているという事

身近な存在である山や谷や石ころなどの鉱物も日々その姿を変えているというのが自然の摂理、人間でいうところの「生老病死」という循環の中にある。例外なしに

ただ、山とか岩とか鉱物全般の変化の速度と有機物質である草花しいては私たち人間の変化の速度が大きく異なっているために私たちが見る山々はあたかも変化していないように錯覚するのも仕方ないことではある。

 「故郷の山かわらず我を迎えけり」と

人生の節々には悲しみ喜びなど様々な心の動きを体験させられる事態が訪れるのだが、その折々に私たちを慰め勇気づけてくれる事がこれらの自然の力であるかと思う。

実のところ我々を取り巻いているすべての環境は我々自身が創り出している想念エネルギーとその想念エネルギーに波長の合ったものを引き寄せるようになっているため、普段の想念の在り方に注意しておく必要があるのだ。山々に対して感謝の念を送る時その山々も感謝のエネルギーによって我を迎えてくれるものである。

釈尊の言葉に「山川草木ことごとく仏性あり」とあるようにすべてに神のエネルギーが満ちていると考えるべきであろう。神のエネルギーとは「愛」でありすべての生命活動の前進を助ける存在であることを知らなければならない。 
  

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2024年08月22日

デザインする前に考える事

  まず言葉が必要です。

言葉とは文字となっているか、語るという音になっているか

 その双方かという事になります。

特にデザインや画像 風景画などというものは何かしらの主張がそこに込められているわけですから、デザインという形になる前のデザイナーの頭の中ではすでに出来上がっているものを現実のものにするために手を使う、技術を使うという事になります。

 形になる前の想念もエネルギーなんですがそのエネルギーが実際に紙の上で物質化されるという事になります。

 いずれにしても言葉から始まるという事を知っておきましょう。
デザイナーはいつも辞書を片手に言葉を探しています。日日是描画

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2024年08月16日

隆庵故郷を歩く

阿蘇郡高森町へ白川水源方面から緩やかな坂道を高千穂方面に車を走らせる。道路を横切るように、南阿蘇鉄道これをこえると所謂町中に入る。


シンボルである阿蘇根子岳を左に下町、上町、を過ぎて左折すると上在をとおり根子岳のふもと上色見という場所の途中にあるのが「ラクダ山」ラクダのこぶの形に似ているからの命名かと思われる。


 もともとこの地方は9万年前の大噴火によって地盤が大きく変化したのだろう とにかく奇岩多し。9万年前の当時の地形がどうだったかわからないが、高い山であったという説もあるがどうやら大きな長い山が繋がっていたらしい。その規模には様々な学説あり・・・


 そこでこの高森は南阿蘇南郷谷といい、阿蘇五岳を挟んでの彼方は阿蘇谷といっている。


ちなみに僕の名前は長山・・長い山と書く、そして隆(たかし) 阿蘇山との因縁があるかも
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2024年08月14日

組織体というもの

 この世における(あの世でも同様かと)活動は例外なく組織化されていて、この組織体そのものが活動基準となっているという事を知らなければなりません。
 私たちが居住している地球という星も大宇宙の中の銀河系、その中の太陽系という宇宙から見れば顕微鏡で見なければならないくらいの小さな諸器官であって地球もその中での細胞みたいなものです。惑星が太陽の周りを秩序正しく回転していて安定しているのは、組織活動している証左であります。

 さらにその地球という組織体の上で生きている森羅万象はそれぞれの役割を果たすことによって生存しているわけであって、それぞれの役割を度外視し勝手に活動はできないという事を認識しているというわけです。

動物 植物 鉱物 
などは自らの意思によってというより自然の摂理の中で生命をつないでいきながら他の生命の維持に役立っているわけであります。
これらの組織的な営みは人為の入り込む余地はなく淡々と自然のままに繰り広げられているのです。

 人間だけが自由意思によって行動できているわけなんですが、それでも自然をコントロールできません。コントロールのために科学を駆使し自然をないがしろにしてきたら必ずその反作用ともいうべき事態を引き起こすという事になるのです。
 人間の体は実に綿密な組織体として機能していてどっかがおかしくなると必ずそれを修復せよとの動きが起き、例えばある部分の欠陥が出るとそれを補う力がはたらくようになっています。限界まではですが、それ以上の異変に関しては外部からの修正はもちろんあります。医学がそうです。基本となるのは各器官がそれぞれの役割を全うしようと仕組まれているのが人体の組織なんです。胃は肝臓になれません、いやだといっても肛門の細胞が舌先の細胞にはなれません。これが真実です法則です。

 多様性と叫んでみてもならぬものはならぬし、人間の判断もこの法則を超えてはなされないという事を認識できますという事ですが、昨今の多様性論議は行き過ぎています。
 正しい基準が分からないために世の中の混乱を引き起こしているようです。正しい基準とは自然の法則が教えてくれています。

 この基準をみだしていったら世界は壊れるのです。






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2024年08月10日

世界が壊れかけている

 パリ五輪から見えること・・フランスはすでに壊れている、開会式の様相からそれは理解できる。
自然の法則にこれぐらい逆らっている姿は見たことがない。
 多様性とはカオスのことと思う

 本来の姿の逆をいくその姿は醜悪である。
開会式に美を感じられない、オリンピック史上最悪・・・旧約聖書「ソドム」をみるような違和感

 下品 軽薄 無教養 つまり旧体制に反発とか宗教上の問題とかではなくただただ下品に尽きるし論に及ばず
とはいうものの子の現象、つくづくこわれた思考である。

 またアジア人に対する差別的だと思える審判の態度、こんなのは文明国とは言えない仕業である。

翻って我が国の選手団の言葉は清廉であり日本人らしさを少なくともその矜持を垣間見せてくれている。

 ただ何故この競技がオリンピックに?というものも在り わが時代遅れの認識も感じたものである。
男は男らしく女は女らしく、そうあればいいと思っているのだがそれは「モラハラ」というので言わないようにと娘から教示された。

 黒髪を金髪にする、鼻にピアスして牛のようなファッションとかとても驚く限りです。これが多様性というやつか


posted by 筆文字や隆庵 at 22:08| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

嘆き

 世界の各国に災害や天変地異が次々と起こる。
 家庭は乱れ、親と子の心は断絶する。
 教育者は中道の心を忘れて思想的に偏った教育をする。
 政治家は私利私欲、党利党略に走り思想のというより自己主張の乱立
 巷での猟奇犯罪、事故死など列挙すればキリがない
 不調和な世相なのである。

 これを救うには政治家も法律家も教育者も文化人も企業人もそして宗教家も
 全てが両極端を捨てて中道的な判断を基本とするしかない

 他者をかえりみないで自分さえよければいいというものの考え方をする者は
 利己主義者を自らの調和の道を閉ざされ孤独な人生を送ることになろう

 それは人間の道ではないという事を知る必要があるのだ。


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2024年08月06日

報道の役割とは

 新聞の報道他マスコミの評論について一番大事なことは,
その報道内容が正確で ニュースに対する評価が的確であるかこれが最も重要で
ほとんど唯一の役割といっていい。

「誰が」ではなく「なにが」報道されたかが問題なのである。

 ということで我が国における(世界におけるも含)報道機関は失格である。

 (逆説の日本史  井沢元彦著 より抜粋)
posted by 筆文字や隆庵 at 09:08| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月04日

24節気 「大暑」

 最も暑いころ、大暑の末侯 大雨時行る・・・・たいうときどきふる
 旧暦の印、気候の目安となるこれらの文言に驚いているのですが、新暦でいうと8月4日ごろだそう

 夏の雨が激しく降るころ。むくむくと青空に広がる入道雲は夕立になる。

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posted by 筆文字や隆庵 at 09:26| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月03日

今 虫に凝っている

 小さな虫とはいえ大自然の中の生き物の一員として、森羅万象の営みの影響下に置かれている存在していて
大きな役割をもっているのです
 地球上における生命体はすべてが土より生まれ 時を経て土に還るというのが原則です。

動物は草木を食しまた草木によって育った他の動物を食し、循環の法則にて虫たちがその動植物を食し循環の中での役割を持っているのです。

それぞれがいとおしい存在、一切の生命は相衣性をもってその存在意義を持っているといえます。

 勝手に生きているように見えるそれぞれの生命はお互いにその役割をもち 他の生命の役に立っているという事が言えます。

尊い命の循環に感謝
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posted by 筆文字や隆庵 at 13:23| 福岡 ☁| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月02日

マーケティングの事

アナログデザインと言葉の力がいかにお客様の心の中に入っていくのかを研究しなければならないのですが、問題の一つにあるのは全く当たり前のことなんですが、あなたの(僕の)お客様は一体誰なんですかという事です、マーケティング用語では顧客ターゲットなどといいます。

一昔前は、お客様の性別や年齢層などで属性を分類していましたが現代のような多様化しているニーズにその分類がだんだんとあてはまらないようになっています。

 コンセプトの重要性は実はそこにポイントがあります。コンセプトの定義としては逆説的に考えると、こんなお客様には来てほしくないという意思表明でもあるのです。

 例えば食事をとるといった行動には様々な動機が存在します、特に我が国のような豊かな暮らしが確保されているような場合だと、ただ単に空腹を癒すだけの食と、誰かと仲良くなるための食事、本当に嗜好の為の食事などが動機として考えられるわけです。したがって以下の点を総合的に考えていかなければならないのです。単に空腹を癒すだけの食事の場合、選択するファクターの優先順位を考えてみると、空腹を感じる時間帯に存在してる場所、立地戦略と支払える予算、価格戦略 提供する食の種類、商品戦略 これらが絡み合って何らかの選択をしますが、一方においては別の選択肢があるわけです

 つまりユーザーは単なるものを買うのではなく体験に価値を感じてお金を払うこともあります、それは 空調、時間、接客、インテリア、立地、料理、評判、トレンド、予算、などの要素の複合によっての選択になっていきます。

 そういったマーケティングは特に消費者、お客様が意識的というよりは潜在意識という無意識の領域に入り込んでいる情報が大きな役割を持っているものと考えます。

 だから、店舗のロゴや看板の在り方、ビジュアルプレゼンテーション等の工夫が必要だという事です。

 私ryuanは、そうしたおきゃくさまにとってなんか「きになるなあ」といった観点からデザインを形成していこうと思っています。

 筆文字デザイナー 隆庵 記

posted by 筆文字や隆庵 at 09:03| 福岡 ☀| Comment(0) | 人生プロデュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする