阿蘇山ぐるりとコレクション
故郷である阿蘇の思い出を「根子岳」を中心にした山々を描きながらさまざまな出来事や思いを記し自らの歩みを再確認していきたいと思う。
屋号「隆庵」の意味するところ
本名 隆 の心の中にひっそりと存在している「庵」は過去・現在・未来の三世を生きるもう一人の私の居るところ。そこから覗き見る「森羅万象」「人生の機微」「心の世界」を追求することによって人とは何か、自然とは何か、宇宙とは何かといったことを形而上に求め、感覚的にとらえたものをどう形而下にて表現できるかを絵画という手段をもってわが「庵」に投げかけようとしているのである。
物質を物質ならしめている「エネルギー」という存在、目には見えないが確実にある。
その物質の仲間であるこの地上に個性をもっているかのごとく目前にそびえたちたたずんでいる山々
山は山、それはそのまま地理的で無言の物理的存在としての一面をもっているのである。
しかしながら、その単なる「山々」のもう一つの側面であるところの「エネルギー」という無形で人々の歴史的存在を見つめてきた「情実」の側面の存在を忘れてはいけないのである。
人それぞれは例外なく生まれ育った土地があり独特の風景の中で各人の人生が始まるわけであり自然に思い出として心の中に刻まれているのである。したがって隆庵は山々が情実的存在であると論ずるのである。
地上にあるすべての物質は変化しているという事
身近な存在である山や谷や石ころなどの鉱物も日々その姿を変えているというのが自然の摂理、人間でいうところの「生老病死」という循環の中にある。例外なしに
ただ、山とか岩とか鉱物全般の変化の速度と有機物質である草花しいては私たち人間の変化の速度が大きく異なっているために私たちが見る山々はあたかも変化していないように錯覚するのも仕方ないことではある。
「故郷の山かわらず我を迎えけり」と
人生の節々には悲しみ喜びなど様々な心の動きを体験させられる事態が訪れるのだが、その折々に私たちを慰め勇気づけてくれる事がこれらの自然の力であるかと思う。
実のところ我々を取り巻いているすべての環境は我々自身が創り出している想念エネルギーとその想念エネルギーに波長の合ったものを引き寄せるようになっているため、普段の想念の在り方に注意しておく必要があるのだ。山々に対して感謝の念を送る時その山々も感謝のエネルギーによって我を迎えてくれるものである。
釈尊の言葉に「山川草木ことごとく仏性あり」とあるようにすべてに神のエネルギーが満ちていると考えるべきであろう。神のエネルギーとは「愛」でありすべての生命活動の前進を助ける存在であることを知らなければならない。
posted by 筆文字や隆庵 at 10:21| 福岡 ☁|
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