物事の是非を問われるとき、人それぞれのたくさんの正義、正しいと信じていることがあって、変な話正しいと正しいがぶつかり合って対抗してしまうのはなぜか?
私たちの暮らしや人生は様々な立場の違いによってその主張が異なる。
立場の違い役割の違いで物事の是非はそれぞれであろう,
今、ひと月前に起きた中学生殺傷事件の顛末に関して報道している。
内容は、犯人が「殺すつもりはなかった」という証言からか。精神状況、自分の管理環境について精神鑑定をするという。
馬鹿ですか?
人を刺し殺すっていう神経はもともと精神異常なのです。わざわざ専門家の(何が専門家かどうか怪しいのですか)意見を聞くという
論外である、精神異常に決まっています。
事実に照らし合わせそこに是非などないのですよ。殺したという事実があるだけで情状酌量などこの場合は在りません。
殺したら罪をかぶる
多くの殺人事件に対していつも起きるこの手の論議に辟易しています。
イスラム教の経典には何と書いてあるのか、キリストは何と言っているのか、モーゼのといたユダヤ教は何と説いているのか
お釈迦様はなんと言っているのか
原因と結果の法則を言っています
罪は罪として、自らの行為は自らに帰ってこなければならないというのが因果・因縁であって数学的な正確さをもってその人に結果として体験させられるという事になっています。
仮にこの世で死んでもあの世で償わなければならないという事です。
何故なら我々の人生はこの世とあの世と行き来しながら永遠に生き続けなければならないのです。